魔急精神病院〜ココロ〜 第13話
仙石のトラックが職員用の出入口に着くと、仙石はトラックの窓を開け、鍵束を警備員に返却した。「これで何事もなく、魔急精神病院から出られる」と仙石が心の中で安堵したのも束の間、トラックの前に突然、1人の人間が立ち塞がった。
「そこのトラック、ちょっと待ってください!」
仙石は口から心臓を吐かんばかりに驚いた。仙石が恐る恐るフロントガラスに目を向けると、そこには何と社員旅行で不在な筈の横島が腕を組み、仁王立ちで立っていた。照りつける太陽の下に立つ真っ黒に日焼けした筋骨隆々で鋼のような体躯の男の、肉食獣のような大きく鋭い瞳がギラギラと怪しい光を放ち、形をキレイに整えた太い眉が完全に逆ハの字になっていた。その姿は、まさに怪物だった。
仙石は脚がガタガタ震え、冷や汗を大量に流していた。トラックに乗っていなかったら、彼は完全に腰を抜かしていただろう。
「な、何じゃ?」
仙石は極力平静を保ちつつ、こう答えた。
「仙石さん、荷台を確認させていただきたいのですが」
横島は丁寧ながらも、どすの利いた声で尋問した。
「わしはただ…廃棄物をごみ処理センターに持っていく所だが…」
仙石は声を震わせながら、こう噓をついた。彼は生きた心地がしなかった。
「少しだけお時間をいただけませんか?」
横島はいつの間にか、トラックの運転席側の窓の前に移動していた。仙石は当然シートベルトを締めているが、窓は空いているため、引き摺り出されてもおかしくはなかった。
「さっき、鷹野心という少年が行方不明になっていると他の看護師から連絡があったんです。あと、精神科医の先生方から、東方先生と臨時職員が倉庫から大量の物品を持ち出していたとも聞きました。仙石さんは何かご存知ですか?」
横島は仙石を鋭く睨みつけながら、こう質問した。
「わしは知らん!急いでいるから、通してくれないか?」
仙石は顔を青ざめた顔で、狼狽しながらこう答えると、サイドブレーキを解除しようと手を伸ばした。
「逃げるんですか?何もなければ、荷台を見せることはできる筈です。荷台さえ見せていただければ良いんですが?」
横島の目はさらに狂気を増した。仙石はこれ以上誤魔化せないことを悟った。彼は覚悟を決めると、サイドブレーキに手をかけた。その時だった。
「逃げんなっ!クソジジイ!!」
横島は丁寧な口調をかなぐり捨てると、スタンガンを仙石に向けた。
「お前、何か隠してるな?最初から怪しいと思ってたぜ。痛い目を見たくなければ、とっとと荷台を開けろ!」
一方、荷台の中ではトラックが止まったまま動かないことに、6人の逃走者たちはやきもきしていた。
「トラック、動かないですね。もう着いたのでしょうか?」
紗良は不安でいっぱいだった。
「いや、猟師の宿舎はもっと遠いです。恐らく、従業員用の出入口で止まっているのではないでしょうか?」
東方は難しい顔をしていた。
「皆さん、仙石さんの声が聞こえてきました。ちょっと静かにしましょう」
田中が「しっ!」と唇に人差し指を当てた。6人は声がする方のトラックの荷台の壁に音を立てないように移動すると、耳をそばだてた。
「大変だ…横島がいます」
東方は顔を真っ青にしながら、小声でこう呟いた。横島の名前を聞いた瞬間、鈴木以外の4人は声にならない叫び声を上げていた。
「怖い…」
心は消え入るような声でこう言いながら、さめざめと涙を流していた。並外れて冷静かつ賢い少年が、か弱い幼子のように震えながら泣くのを目の当たりにした5人は、横島が普段どのように患者の対応をしているのかを否応なしに理解できた。
「心くん、大丈夫、大丈夫だよ。私たちがいるからね」
千夏はそんな心の頭を優しく撫でた。
「横島と仙石さんの会話の様子から、横島は荷台を開けるつもりです。もう逃げられませんが、遺品は絶対にご遺族に届けなければいけません。荒井さん、佐藤さん、免許は持ってますか?」
東方が切羽詰まった様子で紗良と千夏に尋ねた。
「私も佐藤さんも持ってますが、普通免許しかないのですが…」
紗良は困惑していた。
「このトラックは2トントラックなので、2017年3月以前に取得した普通免許なら、運転できます。もし、仙石さんに万が一のことがあったら、お二人のどちらかが運転してください。それから、心くんをお願いします」
東方が早口で言った。紗良と千夏は不安を覚えながらも頷いた。
「田中さんは仙石さんを保護してください。鈴木さんは…」
「この中なら、俺しか奴と対峙できないでしょう」
鈴木は東方の言葉を遮りながらも、覚悟を決めていた。
「え?鈴木くん、ダメ!横島は本当に危険だよ?」
紗良は冷や汗を大量にかきながら、首をブンブンと横に振った。
「荒井さん、誰かが横島を止めないと、皆捕まってしまいます。それに俺、もう荒井さんに危険な目に遭って欲しくないです」
そう言うと、鈴木は真剣な面持ちで、自分のリュックから警棒と催涙スプレーを取り出した。
「僕は応援を呼ばれないように、警備員を捕縛し、その後に鈴木さんと田中さんの援護をします」
そう言うと、東方も警棒と催涙スプレー、縄を装備した。
「荷台の扉が開きます。荒井さんと佐藤さん、心くんは荷物の後ろに隠れてください。男性陣は扉が開いたら、すぐに行動してください」
東方のその指示で、6人は素早く動いた。
「早く開けろっ!クソジジイ!」
トラックの外では、横島がスタンガンを仙石に向け、仙石に荷台の扉を開けさせていた。仙石は溜め息をつきながら、観念した様子で荷台を慎重に開けた。すると突然、中から3人の男がクラッカーの如く飛び出してきた。
「うわぁっ!!」
百戦錬磨の横島も、まさか成人男性が3人も荷台にいるとは想定しておらず、ひどく狼狽えていた。その隙に仙石は横島から離れ、その仙石を田中が運転席まで連れて行った。
「おい!何をする?」
警備員が、従業員出入口にある守衛室の窓からいきなり入ってきた東方に、手足を縛り付けられていた。
「警備員さんには何の恨みもありませんが、応援を呼ばれたら困るので縛りますね。ごめんなさい」
東方は警備員に馬乗りになり、狂気じみた微笑みを浮かべながらそう言うと、哀れな警備員に猿ぐつわを噛ませた。警備員は芋虫のように体をくねらせ、「ウーウー」と呻いていた。
田中と東方は仕事を終えると、鈴木の助太刀に入ろうとしたが、鈴木は既に頬に青痣を作り、唇を切り、そこから血を垂らしていた。一方の横島も腕に何か所もミミズ腫れや痣を作っていた。そして、横島の唯一の武器のスタンガンは鈴木に壊され、地面に転がっていた。
「東方先生はトラックへ!早くトラックを発進させてください!俺と田中さんで殿を務めます」
鈴木は警棒で横島の攻撃を防ぎながら、東方にこう言った。
「え?でも…」
「いいから早く!!」
東方の発言を鈴木は鬼気迫る表情で遮った。そんな鈴木を見た東方は、後ろ髪を引かれる思いでトラックの荷台に乗った。その直後、東方が荷台の扉を勢いよく閉めると、トラックは猟師宿舎に向かって発車した。
「貴様ら、臨時職員の分際で何してんの?自分が何をしたのか分かってんのか!?あぁ!?」
横島は構えの体勢を取りながら、鈴木と田中を鬼のような目で睨みつけていた。しかし、鈴木は臆することなく、警棒を日本刀のように構えていた。
「俺たちは職員じゃない。このクソ病院で亡くなった方々の関係者だ!この殺人鬼め!お前こそ、自分が何をしてきたのか分かってんのか!?」
鈴木は横島に負けないくらいの気迫で、こう大音声で言った。田中はそんな2人の放つオーラに圧倒されていた。
「うるせぇ!お前らに、毎日訳の分からない言動を繰り返す奴らの面倒を見る俺らの苦労が分かるもんか!」
横島は怒りと暑さで顔を赤くしていた。
「認知症等のお年寄りの方々もいらっしゃる介護施設の職員さんは、こんなに酷いことはしません!何故なら、法律での規制があるし、貴方がたよりも遥かに高い使命感と倫理観を持って働いていらっしゃるからです。もし、介護職員さんが入居者さんを虐待などしようものなら、間違いなくニュースになりますし、その職員さんは解雇され逮捕されます
「しかし、貴方がたは日常的に患者さんに肉体的かつ精神的、性的に暴力を振るい、時に死に追いやります。恥ずかしくないんですか!?」
田中はカタカタ震えながらも、精一杯の勇気を振り絞り、こう言った。すると、頭に血が上った横島が、田中に向かって拳を振り上げた。
「田中さん、危ない!」
鈴木は大声で田中に注意を促した。横島の強烈なストレートパンチが、田中の顔面めがけて飛んできた。田中は慌てて避けるも、そのパンチは彼の右頬をかすめた。「バシッ!」という音が響いた時、田中は意識が飛びそうになり、視界がグラっと歪んだ。
「まずはお前を葬ってやる!覚悟しろ!」
横島はそう叫びながら、田中に飛びかかった。その時、横島の背後から鈴木が警棒を思いっきり彼の頭に叩きつけた。「バキッ!」という鈍い音が響くと、横島はふらっとよろめいた。その隙に、鈴木は口にタオルを当てるや否や、催涙スプレーを横島の顔に勢いよく噴射した。
「うお〜!!」
横島は催涙スプレーをモロに受け、大量の涙を流しながら、苦悶の表情を浮かべ、地面に四つん這いになっていた。
「田中さん、大丈夫ですか?今のうちに逃げましょう!」
鈴木はそう言うと、右手で頬を押さえている田中の左手首をガッチリ握り、病院の外へ駆け出して行った。
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