魔急精神病院〜ココロ〜 第11話
3人が資料室を出ると、先ほどの2人の看護師に「またいつでもいらして下さいね」と猫撫で声で話しかけられたが、3人の耳には入っていなかった。彼らはナースステーションから小走りでエレベーターに乗り、地下倉庫へと向かった。そして、東方は第一倉庫をスペアキーで開けた。
「仙石さん!」
3人は仙石たちに興奮気味に声をかけた。
「静かに!目立つ言動はしないように」
仙石は、紗良たちとリアカーに遺品の入った段ボールを載せながら、3人を窘めた。他の職員たちにバレないよう、用意周到に、名前と日付の書かれた空の段ボールがちゃんと5人分棚に収納されていた。
「失礼しました。先ほどRINEでお送りした件ですが…」
東方はそう言うと、白衣のポケットから先ほどのメモを取り出した。仙石はそのメモを自分の顔に近づけ、マジマジと見つめた。
「老眼なもんで、すまんね。おっと…これはまずいな」
仙石は不動の遺品が院長室にあると分かると、表情を曇らせた。そんな仙石の様子を見た紗良と千夏は遺品をすべて載せ終えると、メモを読んだ。
「確かに状況は悪いですね。院長は今、病院にいるんですか?」
紗良は溜息混じりで仙石と東方に尋ねた。
「いや、それは大丈夫。奴は今、政治家や製薬会社の重鎮たちと接待ゴルフに出かけていて、今日1日帰ってこない」
仙石は鼻で笑いながら言った。
「さすがは情報通の仙石さん!」
紗良は仙石の情報収集能力に舌を巻いていた。
「まぁ、清掃員は不審がられることなく色んな現場に行けるからな。あと、院長室の鍵もわしが持っている。ただ、問題は…」
「金庫ですね?」
東方が仙石の発言に割って入った。
「そうじゃ。わしも金庫の暗証番号はさすがに分からん」
仙石は肩を落としていた。
「それでは、不動先生の手記は諦めるしかないのでしょうか?」
紗良が眉をハの字にしながら、仙石に尋ねた。仙石は口を開かず、6人はしばらく無言で俯いた。そんな沈黙を破ったのは、千夏だった。
「あ、あの…私、前回この病院に取材した時に、不動先生の病室の机の上に奇妙なメモが置かれているのを見たんです」
「メモ?」
5人は一斉に千夏を見た。千夏はタジタジになりながら、自分のスマホをつなぎのポケットから取り出し、その画面を見ながら話を続けた。
「はい、そのメモにはこう書かれてたんです。『数多の命を奪った悪魔を作った者、彼は良心の呵責に耐えかねて、数多の命を救う道を示した者たちに世界で最も栄誉ある褒賞を授けることにした。彼が死してなお、その賞は消えることなく、多大な功績を残した賢人たちに授けられている。しかしある年、世界で最も賞に相応しくない男がその賞を受け取った。その暗黒の年に遡れば、数多の命を奪う闇に直面するだろう』」
そして、千夏はスマホの画面を5人に提示した。5人は首を傾げながら、その不可解なメモを読んだ。
「前半の文言はノーベル賞のことですね。ダイナマイトの発明者のノーベルは、自分の発明品で多くの人が命を落としたことを嘆き、多くの命を救う発明をした人に賞を贈ることにしました。ただ、後半がよく分かりませんね。『世界で最も賞に相応しくない男』…誰でしょう?」
紗良は右頬に右手を当てながら、考え込んだ。すると、田中がこう言い出した。
「もしかしたら、メモに書かれたこの男は、精神医療関係者か製薬関係の人間じゃないですか?ここ、精神病院ですし」
そんな田中の発言に、5人は一斉に顔を上げた。そして、東方は「ハッ!」と何かを閃いた表情を浮かべ、こう言った。
「エガス・モニス!」
しかし、5人は彼の発言にいまいちピンと来ていなかった。
「えっと、それは誰ですか?」
紗良は困惑した様子で東方に尋ねた。
「20世紀に暗躍したポルトガルの神経科医です。彼はロボトミー手術を考案したことによって、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。ロボトミー手術はご存知ですか?」
東方がこう答えた。
「はい、聞いたことがあります。外科手術で患者さんの脳を切って鎮静化させてしまう恐ろしい手術だと」
紗良は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、こう言った。
「その通りです。正確には、脳の前頭前野の神経線維を切断する手術のことです。案の定、多数の犠牲者が出て、あまりに非人道的だったため、現在ではこの手術は行われていません
「しかし、彼はノーベル賞を受賞してしまった。勿論、今でも彼の受賞取り消しを訴える人はいますが、彼は史上最もノーベル賞に相応しくない受賞者として、人類の黒歴史に刻まれています」
東方はこう補足した。
「ここまでの話を整理すると、『エガス・モニスがノーベル賞を授与された年に遡ると、数多の命を奪う闇に直面する』ということになりますね。遡るって何でしょう?タイムマシンじゃあるまいし」
紗良は難しい顔をしていた。
「もしかしたら、エガス・モニスがノーベル賞を受賞した年が金庫の暗証番号だったりするんじゃ?メモの最後の文の『その暗黒の年に遡れば、数多の命を奪う闇に直面するだろう』は、エガス・モニスのノーベル賞受賞年を院長室の金庫で入力すれば、金庫が開くということではないですか?」
鈴木がこう言うと、5人は一斉に「それだ!」と興奮気味に言った。鈴木が慌てて唇に人差し指を当てる動作をすると、5人はオドオドしながら謝った。
「エガス・モニスがノーベル賞を受賞したのは1949年です。なので、『1949』と入力すれば、金庫は開く筈です」
東方は頬を紅潮させていた。
「これで、不動先生の遺品も回収できるな。そしたら、我々3人はリアカーに乗せた遺品をわしのトラックに運ぶ。君たちは院長室に行ってくれないか?」
仙石がこう指示を出すと、5人は素早く行動に移した。その時だった。
「倉庫の電気がついてる。誰かいるのか?」
倉庫の入口から3人の精神科医が入ってきた。倉庫内は声が響くため、倉庫の隅にいた6人にも彼らの声は十分に聞こえていた。
「マズイ!この中で筋力に自信があるのは?」
仙石は青ざめながら、5人に早口かつ小声で話しかけた。東方は訳のわからない表情を浮かべていたが、東方以外の3人が一斉に鈴木を見ると、仙石は続けてこう言った。
「渡辺くんはあずまさんとリアカーを押してくれ。あとは遺品とリアカーに乗ってくれ。狭いけど、少しの我慢じゃ。4人とも乗ったら、このブルーシートをリアカーに被せる。ここに6人でいるところを見られたら怪しまれるからな」
仙石にこう言われるや否や、鈴木、東方以外の4人は各々段ボールを持ってすぐにリアカーに乗った。それを見計らい、鈴木はリアカーにシートを被せると、ズレないようにシートの端は4人の下に敷いて固定した。
200kgを優に超えるリアカーを東方と鈴木が力いっぱい押し始めた時、3人の精神科医と鉢合わせした。3人とも30代位の若い医師だったが、日々ゾンビのような患者と向き合っているからか、年齢以上に老けて見えた。しかし、彼らの目は猛獣のようにギラギラしており、悪魔のように邪悪な雰囲気を帯びていた。
「あれ?東方先生、今日は非番でしょ?こんな所で何してんの?」
東方たちから見て右側にいた脂ぎった長髪の精神科医が不思議そうに言った。東方は一瞬考えた後、こう答えた。
「仙石さんの手伝いで、資材を運んでいます。急いでいるため、失礼します」
そして、リアカーを押し、そそくさとその場を離れた。しかし、汗をかきながら重たいリアカーを押す2人の背中に向かって、3人は口々にこう言った。
「なぁお前、最近おかしいぞ。何で、やたらたと清掃員の爺さんとつるんでるんだ?」
「院長が企画した社員旅行、本当はお前が企画したんだろ?ものすごい金持ちしかできないだろ、こんな旅行」
「東方、お前何か隠してんじゃないの?」
「渡辺さん、彼らの言う事に反応してはいけません。そして、絶対に足を止めてはいけません。計画が破綻します」
東方は少し息を上げながら、囁き声で鈴木に言った。鈴木は重いリアカーを運んでいる最中に東方に話しかけられ、ギリギリと歯軋りをしたが、黙って頷いた。
6人は何とか倉庫から脱出し、人気のない廊下でリアカーに乗っていた4人が降りると、鈴木は東方の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで、東方に詰め寄った。
「東方先生、精神科医たちに計画バレてません?皆を危険に晒すのは止めてください!」
そんな鈴木を仙石と田中が宥めた。
「渡辺くん、怪しまれているだけじゃ。計画自体はバレてない。ただ、猶予はないな。わしらは遺品をトラックに運ぶから、渡辺くんと山本くんは東方先生と院長室に行って、不動先生の手記を必ず回収してくれ。倉庫ではなく金庫にあるということは、何か重要なことが書かれているのだろう」
仙石が口早にそう言うと、鈴木は腑に落ちない様子ではあったが、しぶしぶ東方、田中とともに院長室に向かった。
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