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魔急精神病院〜ココロ〜 第16話

 その後、一行を乗せた車は高速道路を降り、しばらく走行すると、閑静かつ洗練された住宅街に入っていった。どの住宅も高級で、住人のこだわりの詰まったお洒落な造りだった。そんな高級住宅街の中でも一際目立つ豪邸が、東方の実家だった。
 3階建てのその豪邸の敷地は200坪ほどあり、建物は、ソーラーパネルの付いた黒い屋根に金色の装飾が施された白い壁でできていた。また、庭も緑豊かで大層美しく、大きな池の中央にはハクチョウの白い石像が置かれ、その周りを立派な錦鯉が何匹も悠々と泳いでいた。そして、その屋敷を取り囲む塀もまた、白を基調に金色の装飾が施されており、その塀の中央にある黒いロートアイアンの門が、一段と豪邸の存在感を際立たせていた。
「すげぇー…美術館かホテルか結婚式場みたいだ。地下駐車場にある車も高級車ばかりだ」
 豪邸の地下駐車場で車を降り、豪邸の玄関前に立った鈴木は、口をぽかんと開けていた。
「こんな豪邸、生まれて初めて来ました!」
 鈴木の隣で、心はウキウキしていた。
「すごいね。こんなラフな服で入る場所じゃないね」
 2人の後ろに立った紗良は、淡い紅色のカットソーにデニムのショートパンツ、黒い膝下丈のレギンスにランニングシューズという、自分の格好に場違い感を覚えていた。3人が感心しながら豪邸を見ていると、重厚な観音開きの扉が軋みながら開いた。そこには、グレーヘアの小柄な老紳士が立っていた。彼は夏であるにも関わらず、上下ともに黒いスーツ姿で、白い手袋をしていた。
「お待ちしておりました。私は東方家の執事の副島忠次(そえじまちゅうじ)と申します。他の3名の方は既に到着されましたよ。さぁ、どうぞ」
 副島は柔和に微笑みながら、こう言った。3人はテレビや小説でしか見たことのない執事の登場に、驚きと興奮を覚えていた。
 豪邸の中も非常に煌びやかだった。高級ホテルのような内装で、シャンデリアや高価な調度品、高級なペルシャ絨毯など、まるで映画の中に入り込んだかのようだった。
「すげぇ〜…」
 鈴木は玄関の脇に置かれた巨大な紫水晶と、その水晶の上に掛けられた幅2mほどの巨大な絵画を交互に見ていた。
「奥の広間で皆様がお待ちです。そちらの洗面室で手を洗って下さい。また、男女で浴室が分かれていますので、お風呂にお入りください。お着替えは更衣室にあります。すべて新品なので、ご安心下さい。なお、下着はご自分で持参されたものを身に付けていただいても、更衣室に置かれているものを使っていただいても構いません。それらの衣服はすべてプレゼントいたします
「それから、鈴木様は浴室の向かい側にある応接室で洋祐坊ちゃまの診察を受けてから、ご入浴下さい。傷の手当は入浴後にします」
 執事が一通り説明すると、鈴木は「え〜…」とあからさまに嫌そうな顔をした。
「仕方ないでしょ、鈴木くんは怪我してるんだから。骨が折れている可能性もあるのよ?」
 紗良は子どもに言い聞かせるように、鈴木を窘めた。
「分かりましたよ」
 鈴木はイヤイヤ言うとおりにした。
 それから30分後、病院着から着替えた心は心身ともにサッパリしていた。彼は白地に襟の内側だけが紺色と水色の格子模様になっているポロシャツに黒いズボンを履いていた。
「お待たせしてすみません。あの、病院着は忌々しい思い出しかないので、持っていたくないのですが…」
 心はキレイに畳んだくすんだ鼠色の病院着を上下とも副島に見せた。
「あぁ、それでしたら、こちらで洗って住所空欄で病院に返送しますので、更衣室に置いたままにしてください」
 副島は優しく言った。
 しばらくすると、紗良も女性用の浴室から出てきた。紗良は紺色の生地の上に白い水玉模様があしらわれたワンピースに夏用ストッキング、白い半袖のカーディガンを身に着けていた。
「こんな素敵なお洋服をありがとうございます」
 紗良は身に着けている服を見ながら、嬉しそうに副島にお礼を言った。
「いえいえ、では、奥へどうぞ。鈴木様は後ほどいらっしゃるでしょう」
 副島は身支度が済んだ2人を広間に案内した。
 広間は、一般的な家屋が2軒は入るくらいの広さがあった。その部屋もやはり、ホテルのように豪華絢爛だった。そして、その広間の右奥にある大人が10人以上座れる位に大きな黒い革張りのソファに、きれいな服に着替えた仙石と田中、千夏が談笑しながら座っていた。3人は紗良と心が来たことに気付くと、すぐに立ち上がって手を振りながら、笑顔で近づいてきた。
「これで皆、無事に逃げられた訳だな!セキュリティバッチリな東方邸まで来れば、もう安心じゃ」
 仙石が安心した顔で言った。
「しかし、ここは凄いですね〜!お高いホテルにいるような感覚を覚えますが、個人宅なんですもんね」  
 田中が高級な調度品を見ながら、興奮した様子で言った。
「田中さん、お怪我は大丈夫ですか?」
 心が心配そうに田中に尋ねた。
「あぁ、大丈夫だよ。歯も骨も折れたり欠けたりしてなくて良かったよ。詳しい検査については、今度の月曜日に東方先生のお父様が経営されている東方総合病院でするそうだが、東方先生の見立てでは、大したケガではないとのことだ」
 田中はニッコリしながら、こう答えた。しかし、顔だけで数箇所絆創膏が貼ってあり、横島たちとの戦いの凄まじさを物語っていた。
「それよりも鈴木さんが心配ですね。俺よりも横島に叩かれたり殴られたりしているから…」
 田中がそう言った瞬間、広間の入口から東方と鈴木が入ってきた。鈴木もまた、紺色のカットソーに黒い夏用ジャケット、ベージュのパンツというお洒落な格好になっていた。
「鈴木さん、大丈夫でしたか?」
 田中は、嬉しくも心配そうに鈴木に声をかけた。
「はい、何とか…」
 鈴木は若干不機嫌そうだった。
「皆様、お揃いですね。夕食までまだ少し時間があるため、お茶とお茶菓子をご用意しますね」
 副島が7人に会釈をしながらそう言うと、厨房の方にスタスタと歩いていった。
「しかし、東方先生のご実家はやっぱり凄いですね」
 紗良は目を輝かせながら、東方に言った。
「ありがとうございます。ここは、僕の祖父が建てた家なんです。ただ、僕の代では兄が継ぐので、僕のものにはならないんですよ」
 東方は「フッ」と鼻で笑いながら、こう言った。
「お兄様がいらっしゃるんですね。そういえば、ご両親はお見かけしませんでしたが?」
 紗良がキョロキョロと辺りを見回しながら言った。
「父は東方総合病院の理事長兼院長なんですが、最新医療施設の視察のため、ドイツに行っています。母は地方公演で福岡に行っています」
 東方が答えた。
「地方公演?音楽家ですか?」
 千夏は少し驚いていた。
「母は女優の白百合麗奈(しらゆりれいな)です。本名は東方麗子ですが…」
 東方は、はにかみながらこう言った。白百合麗奈の名前を聞いた瞬間、6人は一斉に「えぇ〜!?」と言いながら、驚愕していた。彼女は、芸歴50年以上の日本を代表する大女優だった。
「わしは麗奈ちゃんのファンじゃ。サイン欲しかったな~」
 仙石は悔しそうに呟いた。
「今度、母に頼んで送りますね」
 東方は笑顔でこう言った。
 その後、お茶と茶菓子がお洒落な円形のダイニングテーブルに運ばれ、7人は和気あいあいとお喋りしながら、ティータイムを楽しんでいた。
「俺が蹴りを入れた時の五味の野郎の顔が傑作だった〜。そして、自分の愛車がパンクさせられたと知るやいなや、奴は石像のように固まっていたよ」
 鈴木は心に、精神科医たちとの戦いの様子を雄弁に語っていた。心は目を輝かせながら、その話を夢中で聞いていた。そんな彼らの隣で、田中は千夏から労いの言葉をかけられていた。田中は目尻を下げ、とても嬉しそうにしていた。
「遺品についてだが、副島さんが地下の金庫にすべて入れてくださったそうじゃ」
 仙石はよく冷えたハーブティーを飲みながら、紗良と東方に言った。
「ここなら大震災が起きても、魔急の連中が押し寄せたとしても安心です。しかし、いつまでもこのままにしておく訳にはいきません。ご遺族には、いつお渡ししましょうか?」
 東方は2人に尋ねた。
「実は少し前に皆さんにグループRINEしたが、明日全員都合がつくそうだ。不動先生の奥様は夏風邪で来れないが、息子さんが来てくださるそうじゃ」
 仙石がスマホを見ながら、こう言った。
「でしたら、明日皆様にここに来て頂いてお渡ししようと思いますが、いかがでしょうか?遠方の方には、代行を手配しますよ」
 東方がこう提案した。
「いいと思います。早めにお渡しするに越したことはありません」
 紗良は頷いた。
「これで決まりですね!あと、荒井さん…ちょっと耳を貸していただけませんか?」
 東方は紗良に向かってこう言った。紗良は戸惑いながらも、耳を東方に寄せた。
「夕食後、僕の部屋に来ていただけませんか?変なことは絶対にしませんので」
 東方は少し頰を赤らめながら、耳打ちでこう言った。紗良は頭がこんがらがっていた。
「な、何だろう?何か重要な話でもあるのかしら?女1人で男性の部屋に行くのは怖いけど、東方先生みたいな方が妙なことはしないと思うし、本人もそう言ってるし…。ひょっとしたら、何か仕事に関わる話かも!魔急精神病院のスクープ記事が書けるかも!」
 紗良は心の中でそう結論づけると、耳打ちでこう答えた。
「良いですけど、疲れてるので手短にお願いします」
 紗良の答えを聞いた東方は、内心緊張していた。そんな東方と紗良を、テーブルの対角線上にいた鈴木がじっと見ていた。鈴木の心には、嫉妬と不安が渦巻いていた。


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