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魔急精神病院〜ココロ〜 第12話

 数分後、彼らは診察待ちの暗い顔をした患者に混じって、「院長室」と書かれた黒檀に金の細工が施された豪華な観音開きの扉の前に立った。そして、東方がポケットから白い手袋を取り出して嵌め、スペアキーで院長室の扉を開けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
 30畳ほどの広々とした部屋は、ホテルのように豪華で、床にはペルシャ絨毯が敷かれ、様々な高級な調度品が高級家具の上に飾られていた。また、院長はここで寝泊まりしているのか、院長好みに誂えた贅沢なキングサイズベッドが部屋の奥に鎮座していた。
「スイートルームかよ…」
 鈴木はワインの入った洒落た棚を見ながら、呆れと憤りを感じていた。
「患者さんは檻に入れといて自分は贅沢三昧…医者の癖にヒドイ人間ですね、院長は」
 田中も怒りを滲ませていた。
「僕もそう思います。医者の恥です。あ、ありました!金庫です」
 東方は院長のベッドの側に金庫を見つけた。真っ黒に塗装された高さ1mほどの金庫は、瀟洒な部屋に似合わない物々しいオーラを放っていた。
「このタッチパネルで暗証番号を入力するタイプのようですね。『1949』と…開いた!」
 東方は緊張した面持ちで金庫を開いた。金庫は2段構造になっており、下の段には大量の札束と小切手があり、上の段には様々な資料が整然と保管されていた。
「この札束は…汚いお金なんでしょうね。ただ、このお金については今はスルーしましょう。今は不動先生の手記だけ手に入れましょう」
 そう言うと、東方は金庫の中を探し始めた。鈴木、田中も慌てて白い手袋を嵌めると、東方と一緒に手記を探した。程なくして、田中は手記を見つけ、取り出した。
「ありました!これですよね?」
 そう言った田中の手には、厚さ3cmほどの文庫本サイズの、ミルクチョコレートのような色の革表紙の手帳が握られていた。その裏表紙の下部には「不動」と綺麗な字で書かれており、その文字の上に不動明王の絵が手描きで描かれていた。
「そうですね!早くここから出ましょう」
 東方はそう言うと、金庫を素早く閉めた。手帳は東方が白衣のポケットに入れた。
 そして、3人が院長室を出て、受付ロビーと正面玄関を抜けると、沢山の患者が庭で散歩していた。3人が患者たちの間を通り抜けていると、1人の少年が声をかけてきた。
「あの、東方先生」
 3人は一瞬ドキッとしたが、声をかけたのが少年だと知ると、ホッと胸をなでおろした。少年は10歳くらいで、細身で色白だったが、他の患者のように目が死んでいなかった。その様子から、彼はまだ入院して間もないのだろう。そして、何より印象的だったのは、猛禽類のように賢く力強い彼の焦げ茶色の目だった。
「君は心(こころ)くんだね?」
 東方は優しく言った。心は静かに頷いた。
「渡辺さん、山本さん、この子は鷹野(たかの)心くんです。彼は小学5年生で、ギフテッドです」
 東方は心の肩に手を置きながら言った。心は恐る恐る会釈した。
「ギフテッド…高いIQや特出した才能を持っている人のことですよね?なぜ、それだけで入院になるんですか?」
 田中は頭を傾げながら、東方に尋ねた。
「ギフテッドの人は発達障害を併発していることが多いと言われていますが、僕から言わせてみれば、そんなのはただの迷信です。陰謀論的になりますが、社会から才能ある優秀な人を消しているのではないかとすら思います」
 東方は眉間に皺を寄せながら言った。
「僕は他の子よりも勉強ができました。テストで100点以外取ったことはありません。僕は、1歳になる前に話せたし、オムツも取れて、3歳で足し算引き算が出来ました」
 心は淡々と身の上話を始めた。
「スゲェー!」
 鈴木は舌を巻いていた。
「そんな僕は授業を止めてしまうことが度々ありました。質問が次から次へと湧いてくるし、矛盾点やおかしな点をすぐに見つけてしまうからです」
 心は表情を暗くした。
「まさか、学校の先生が…?」
 田中は動揺した。
「はい、先生は僕が発達障害であると決めつけ、僕の親に児童精神科に受診させるよう指示しました」
 心は瞳に怒りと悲しみを宿しながら答えた。
「そしたら入院になってしまったんだな。めちゃくちゃ賢い子のエピソードじゃないか!病気じゃないじゃん」
 鈴木はプンプン怒っていた。
「発明王エジソンの子ども時代のようですね。エジソンの時代には向精神薬はありませんでしたから、彼は歴史に名を残せましたが、今の時代だと、発達障害として精神科に繋がれてしまうリスクがあります。由々しき事態です」
 東方も憤りを覚えていた。
「僕は4ヶ月前に怖い大人たちにここに連れてこられました。その時は心の底から学校の先生や親、精神科医を恨みました」
 心は拳をぎゅっと握りしめた。
「4ヶ月前?その割には、あまりクスリの影響を受けてないように見えるね」
 東方は目を丸くした。
「はい、クスリは飲んだふりをしていました。同じく入院している子たちがクスリを飲んだ後におかしな状態になるのを見て、僕は直感的に『この病院で処方されるクスリは危ない』と思い、飲むのを避けてきました。ちなみに、クスリを飲んだように見せるコツは不動先生に教えてもらいました」
 心は淡々と話した。不動の名前を聞いた3人は複雑な気持ちになった。
「君は本当に賢いね。だから、ちゃんと受け答えができるし、目が死んでないんだね」
 東方は笑顔で心の頭を撫でた。
「ありがとうございます。僕、不動先生が大好きです。でも、3ヶ月前から不動先生を見かけなくなって…先生はもう会えない所に行ってしまったのだと悟りました。そして、それと同時に僕の命も危ないかも知れないと感じました」
 そう話すと、心は青ざめた顔で項垂れた。
「え?それは不動先生と仲良くしていたから?」
 東方はキョトンとしていた。心は自分たちの話に聞き耳を立てている人間はいないか目配せすると、小さな声でこう囁いた。
「そしたら、多くの患者が危うくなるでしょう。実は、不動先生に重要だと思われる情報を教えたのは…僕です」
 しかし、3人はいまいちピンときていなかった。
「そうなの?」
 鈴木は頭の中がはてなマークだらけだった。すると、東方が「あっ!」と突然声を上げ、ヒソヒソ声で心にこう聞いた。
「もしかして、あのメモを不動先生に渡したのは君なの?確かに、字が男性の書いたものっぽく無かったんだよね」
 東方の言葉を聞き、鈴木と田中は「え?」と互いを見つめていた。
「はい、そうです。不動先生がいなくなる数日前、僕は食堂で、1人の女の人が思い詰めた様子でゴミ箱の前に立っているのを見かけました。その人は多分職員で、辺りをキョロキョロ見た後、ゴミ箱に1枚の紙切れを入れて、足早に去っていきました。僕はすぐに、その女の人が捨てた紙に何か重要なことが書かれているかも知れないと思い、誰もいないのを確認した後、その紙をゴミ箱から拾いました
「そして、自分の病室でその紙を読みました。その答えが1949であることは分かりましたが、その番号が何を表しているのかまでは分かりませんでした。そこで、自由時間に不動先生にその紙を渡すことにしました。先生なら手掛かりを掴める知れないと思ったから」
 そう話す心は、明らかに動揺していた。
「なるほど…あのメモはそうやって不動先生の手に渡ったのか」
 東方は腕を組み、ウンウンと頷いた。
「でも、それから不動先生を見かけなくなりました。僕は不動先生の身に最悪なことが起きたんだと理解しました。そして、僕の身にも危険が迫っていることも察しました。しかし、僕一人ではどうすればいいか分かりませんでした。噂では、不動先生は同じ部屋の患者さんと脱出し、1人は脱出できましたが、あとの人は捕まってしまったとか…。そう言えば、最近は魔急精神病院の警備は強化され、さらに脱出が難しくなりました」
 心は冷や汗をかきながら、こう話した。それを聞いた鈴木と田中は、かつて入院していた駆の脱出に関与しているため、バツの悪い顔をしていた。 
「そうか…心くん、僕たちと病院の外に行かないか?」
 東方は心の肩を優しく掴みながら、小さな声でこう提案した。
「えっ?」
 心は鷹のような鋭い目を丸くしていた。
「詳しいことは後で話すけど、僕たちはこれから病院の外に出る。君も一緒に行こう。渡辺さん、山本さん、良いですよね?」
 東方は優しい微笑みを浮かべていた。鈴木と田中は一瞬驚いていたが、「分かりました」と心を連れて行くことに同意した。
「あ、ありがとうございます」
 心は不安そうだったが、こう言った。
「荷物は大丈夫かな?ここにはもう戻ってこないから」
 東方が優しく尋ねた。
「大丈夫です。スマホとか貴重品はポケットに入れてますし」
 心は、ズボンのお尻のポケットをポンポン叩きながら答えた。
「良いね。そしたら、4人で並んで歩くと怪しまれるかも知れないから、2人ずつに分かれましょう。僕は心くんと先に行くので、お二人は少し離れてついてきて下さい。くれぐれも、誰かに話しかけられても足を止めないように」
 東方はそう言うと、心の左手を握り、スタスタと歩き出した。
「自分勝手な奴!」
 鈴木はしかめっ面でこう独り言を呟くと、肩を怒らせて歩き出した。田中はそんな鈴木を見て、困惑した表情を浮かべていた。
 それからしばらくして、4人が職員用駐車場に着いた時、仙石たちはちょうど遺品を荷台に積み終えていた。
「仙石さん、遅くなりました」
 東方は緊張した面持ちで仙石に頭を下げた。
「いやいや、こちらもさっき遺品を積み終えたところだよ…って、心くん!?」
 仙石は東方の隣に立っている心を見て、尻餅をつかんばかりに驚いていた。
「え?仙石さん?」
 心も仙石を見てビックリしていた。心は仙石とも顔見知りだった。
「君も逃げるのかな?まぁ、君は不動先生と仲良かったし、クスリの影響を全然受けてないから、医療従事者たちに目をつけられていたしね。我々と一緒に行こうか」
 仙石は心が脱出することをすんなり受け入れた。
「ありがとうございます」
 東方と心が同時にお礼を言った。
「あまり悠長にしていられない。皆、早くトラックの荷台に乗るんじゃ!全員が乗ったら扉を閉める。空調は効いているとは思うが、一応、保冷剤と飲み物はこの保冷バックに用意したから、適宜使ってくれ。熱中症になるといかんからね」
 そう言うと、仙石は荷台にある水色の大きな保冷バックを指さした。4人はお礼を言うと、トラックの荷台に順々に乗った。荷台には、遺品の段ボールの横にすでに紗良と千夏が体育座りで座っていた。
「東方先生、鈴木くん、田中さん、お疲れ様です」
 紗良はそう言うと、座ったままお辞儀をした。千夏も同様に頭を下げた。
「不動先生の手記、持ってきましたよ」
 東方はポケットから茶色い本を取り出しながら、得意気に言った。
「で、その子は?」
 千夏は心を見て、東方に質問した。
「鷹野心くんです。彼も脱出するとのことで、ここに連れてきました」
 東方は心の肩に手を置きながら、こう言った。
「よろしくお願いします」
 心は丁寧に挨拶した。
 すると、荷台の扉の前に仙石が立った。
「皆、準備はいいかな?これから、猟師の宿舎に向かう。何事も無いことを祈ろう」
 そう言うと、仙石は静かに扉を閉めた。荷台には小さな明かりしかなく、辺りは暗闇に覆われた。6人は不安感と緊張感に押し潰されそうだった。
「ちなみに、僕と仙石さんの退職届は既に院長室の机の上に置いてあります。夜逃げのような辞め方になってしまいましたね」
 東方は「フンッ」と鼻で笑いながら、ぼそっと言った。


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