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魔急精神病院〜ココロ〜 第8話

 翌日の早朝、蝉の大合唱に包まれながら、4人は猟師の宿舎を目指し、車で移動していた。鈴木以外の3人は魔急精神病院に顔が知られているため、皆マスクを付け、紗良と千夏は伊達メガネを、田中は茶髪のウィッグを付けていた。
「荒井さん、メガネ似合いますね」
 鈴木はやはり顔を赤らめながら言った。
「ありがとう」
 そう言いながら、紗良はソワソワしていた。
 午前7時、一行は猟師宿舎に到着した。2階建てのアパートのような年季の入った茶色の建物で、その宿舎の駐車場には既に1人の猟師が出迎えてくれていた。彼は、魔急精神病院から脱出した紗良たちを匿ってくれたあの猟師だった。
「久しぶり」
 そのお爺さん猟師は優しく言った。
「ご無沙汰しております。その節はありがとうございました」
 紗良はその猟師に深々と頭を下げていた。
「時間はあまりありません。皆さん、護身用の催涙スプレーと警棒は持っていますか?」
 紗良は鈴木と田中、千夏にこう言うと、3人とも静かに頷いた。
「正直、魔急精神病院のトイレは心情的にあまり使いたくないので、トイレはここで済ませて下さい。ちなみに、女子トイレもあります。あと、水分補給も忘れずに。では、10分後に出発するので、それまでに支度しておいて下さい」
 そうして、4人は各々、トイレなどの身支度を済ませた。10分後、4人は2人の猟師とともに歩いて魔急精神病院に向かっていた。宿舎から魔急精神病院へは舗装された道路が通っているため、さほど困難な道のりではなかった。しかし、夏の暑さと忌々しい思い出のある魔急精神病院に行くストレスで、陸上競技経験が豊富な鈴木以外の3人の体力の消耗が激しかった。
 8時前、4人は何とか魔急精神病院の職員用の出入口の前に到着した。そこには、仙石がおり、4人は初めて直接彼と対面した。仙石は画面越しからも人の良さが滲み出ていたが、直接会うと、より優しい雰囲気を感じられ、本物の仙人のようだった。
「皆さん、おはよう!会えて嬉しいよ」
 仙石は人の良さそうな笑みを浮かべながら、4人と握手をした。
「いえいえ、こちらこそお会いできて嬉しいです。本日は本当にお世話になります」
 体力にまだまだ余裕のある鈴木が、4人の代表として仙石に挨拶した。
「積もる話はまた後にして、早速病院に入ろうか」
 仙石はそう言うと、物々しい魔急精神病院の塀と門に向かって歩き出した。4人は慌てて仙石についていった。
 病院の従業員用出入口は、何台もの監視カメラに熱感知センサー、金属探知器を持った警備員が何人もいる正門と違い、警備が手薄だった。警備員はたった1人で、監視カメラも1台しかなかった。そのため、仙石の顔パスで、4人はいとも簡単に侵入できた。
 800床以上ある魔急精神病院の巨大病棟は、正門から見て左側が閉鎖病棟、右側が開放病棟、中央に受付ロビーと診察室、コンビニがあった。そして、そんな病棟の左側には、患者が自由時間を過ごす際に使う広大な広場や庭があり、右側には病院職員の宿舎があった。どれも一見、立派に見える建造物だが、病棟内は清潔とは言い難かった。しかし、宿舎はまるでホテルのように清潔感があり、豪華だった。
「何で、従業員宿舎だけこんな綺麗なんだ!?」
 魔急精神病院の実情を嫌というほど見てきた鈴木以外の3人は、心にマグマを煮えたぎらせながらこう思っていた。
「『患者さんや国から吸い上げたお金を自分たち優先で使って何が悪い?』それが多くの精神医療従事者の価値観じゃ」
 仙石は3人の心を見透かしたかのように、ぼそっと言った。それを聞いた鈴木を含めた4人は、激しい怒りを覚えていた。
 それから、5人は仙石の部屋についた。仙石の部屋は1Rで、ビジネスホテルのシングルルームのようなシンプルな作りの部屋だった。
「何もない部屋で申し訳ない。ちなみに、精神科医や看護師といった専門職の部屋はもっと豪華じゃ。お金のかけ方が本当に自分本位だよ、ここの連中は」
 仙石は首を横に振りながら、溜息混じりに言った。
「いえいえ、魔急精神病院の精神科医や看護師たちの横暴ぶりは、嫌というほど見ましたので、不思議ではないですね」
 紗良は青筋を立てながらこう答えた。
「早速だが、今から君たちに着替えてもらう服を渡す。女性のお二人は申し訳ないが、女子トイレがこの階のすぐ下の階にあるから、そこで着替えてくれ。なお、今着ている服は各々のリュックの中に入れるようにね。着替えたら、もうここには戻らないから」
 そう言うと、仙石はクローゼットを開けた。そこには、4人の着替えしか入っておらず、自分の荷物は既にトラックの荷台に入れたことが分かった。仙石もまた、脱出の覚悟と準備ができていた。
 数分後、4人は着替えを終え、仙石の部屋に集まっていた。鈴木と佐藤は真っ白な看護服に、紗良と千夏は水色の半袖のつなぎ服姿になっていた。
「臨時職員用の吊り下げ名札も用意しておいた。臨時職員用のは顔写真を貼らないし、名前は勿論偽名だよ。では、好きなのを取って」
 仙石からそう言われ、4人は名札を選んだ。紗良は「高橋一音(たかはしかずね)」、千夏は「伊藤仁香(いとうにか)」、鈴木は「渡辺山治(わたなべさんじ)」、田中は「山本司恩(やまもとしおん)」の札を手に取った。
「偽名はしっかり覚えておくんだよ。わしとあずまさんは、病棟内ではその名前で君たちを呼ぶから」
 仙石は4人に強く念を押した。4人はブツブツと偽名を呟き、忘れないようにしっかり記憶していた。
「大丈夫かな?準備ができたら、あずまさんを呼ぶよ」
 仙石が4人にこう尋ねると、4人は一斉に頷いた。仙石はスマホを取り出し、RINEを東方に送ると、5分後に東方が現れた。東方は非番ではあったが、私服の上に白衣を着ていた。
「皆さん、おはようございます」
 東方は丁寧に挨拶した。4人は会釈したが、鈴木は心の中で舌を出していた。
「診察開始時間まで、あと30分です。なるべく多くの人の目に触れないよう、すぐに病棟に向かいましょう。打ち合わせ通り、鈴木さんと田中さんは僕と、荒井さんと佐藤さんは仙石さんと行きましょう」
 東方にそう言われ、5人は素早く部屋を後にした。
 


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