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金沢の楽しみ方(歴史/文化を満喫):兼六園は、「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」を兼ね備えた、ミシュラン3星庭園 (石川)


こちらの投稿は、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の "Original の記事" を基本同じ内容で、記載している記事になります。Original の記事では、より多くの写真も含め記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。


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【はじめに】

もう10年以上前の夏休み、金沢・新潟を回る旅をさせて頂きました。今回は、その中でお邪魔させて頂きました、金沢城のお隣、兼六園を紹介させて頂きます(金沢城金沢観光全体図新潟観光に関しては、別記事をご参照下さい)。

庭園好きの私達夫婦にとって、是非とも参らせて頂きたい庭園でした。これまで、それなりの数の庭園に参らせて頂きましたが、こちらの庭園は本当に素晴らしく、正に日本庭園(大名庭園と言った方がしっくりくるでしょうか…)と言った感じです。

松の庭園が栗林公園芝の庭園が水前寺成就園と言うなら(それぞれ別記事で紹介しています)、兼六園は、「日本庭園の中の日本庭園」と言った印象を持った記憶があります兼六園と言えば、よく独特の形をした、石灯籠(徽軫灯籠(ことじとうろう)と言うらしいです)の写真を思い浮かべる方が多いと思います。勿論この景色は、兼六園の代表となる景色。しかし、兼六園の魅力は、これだけでは語れないのも事実だと思います。(別ページにて、金沢の観光スポット(私達夫婦がお邪魔させて頂いたスポット)をご紹介しておりますので、併せてご参照ください)

兼六園内部の様子 手入れされた松が美しいです①
兼六園内部の様子 手入れされた松が美しいです②

【兼六園の基本情報:「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」を兼ね備えるとは?】

そもそも兼六園ですが、Wikipedia の力を借り、基本情報を抑えさせて頂きますと、以下の様にあります。

兼六園(けんろくえん)は、石川県金沢市に存在する日本庭園である。国の特別名勝に指定されている。(略) 17世紀中期、加賀藩によって金沢城の外郭に造営された藩庭を起源とする江戸時代を代表する池泉回遊式庭園であり、岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで日本三名園の1つに数えられる2009年3月16日発売の『ミシュラン観光ガイド』では、最高評価の3つ星に選ばれた。園名は、松平定信が『洛陽名園記』を引用し、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の6つの景観を兼ね備えていることから命名した。(略)1676年(延宝4年)、加賀藩4代藩主の前田綱紀が、金沢城に面する傾斜地にあった藩の御作事所を城内に移し、その跡地に自らの別荘である「蓮池御殿(れんちごてん)」を建ててその周りを庭園化したのが兼六園の始まりである。庭は当時は蓮池庭(れんちてい)と呼ばれ、歴代藩主や重臣らが観楓の宴などをする場として使われていた (略) 11代藩主の斉泰は1837年(天保8年)に霞ヶ池を掘り広げたり、栄螺山を築いたり、姿形の良い木を植えるなどして庭を拡張・整備し、1860年(万延元年)には蓮池庭との間にあった塀を取り壊して、現在の形に近い庭園を築いた。(略) 長らく殿様の私庭として非公開だったが、1871年(明治4年)から日時を限っての公開が開始。(略) 1985年(昭和60年)に特別名勝に指定された”、

https://ja.wikipedia.org/wiki/兼六園

少々長くなってしまいましたが、簡単に要約すると、「日本三名園(他の2つは、岡山後楽園偕楽園)の1つで、1600年代後半から、作庭が開始され、代々の藩主により手が入り、藩主や重臣の”宴の場”として活用され、1800年代中盤に、ほぼ現在の形になった庭園で、『宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望』の6つの景観を兼ね備えているとの事から、松平定信が兼六園と名付けた」、といったところでしょうか?

兼六園内部の様子 日本武尊銅像
兼六園内部の様子 成巽閣

”兼六”、の語源は、宋の詩人・李格非の『洛陽名園記』に由来するらしいですが、この「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」を、私なりの理解で記載させて頂くと、以下の感じになります。

  • 宏大 = 広く大きい 

  • 幽邃 = 奥深く静か 

  • 人力 = 人の手により景観を適切に保っている(匠の技、センス?) 

  • 蒼古 = 古式ゆかしい趣 

  • 水泉 = 清らかな水 

  • 眺望 = 美しい景色

この様に理解しており、兼六園は、正にその名に恥じない庭園だと思った次第です。

【兼六園の見所:人の手="人力" が加わって、美しい庭園・兼六園が歴史に名を刻む】

プロ野球選手なら、3拍子揃えば、スーパースターかもしれませんが、その倍、6拍子揃った兼六園。その中でも私が最も焦点を置きたいのが ”人力”、です何故かというと ”人力” があって初めて、兼六園が兼六園であり続けられるからだと思うからです。

例えば、こちらも兼六園の景色で有名ですが、”雪吊り”。雪の多い北陸地方で「松の枝が折れないようにする作業= ”人力”」だと思いますが、これによって、景観が保たれる(松が守られる)と同時に、冬の景色に華を添えいると思います。

そして、”水その物”。この水は、元々川の無い場所に、辰巳用水という水路で、10㎞近い上流から水を引いてきているとの事(兼六園から、金沢城へは、サイホンの原理を利用して、水を通しているとの事で、1632年に城内に引かれた様です)で、ここにも ”人力” が見えます。

次に、”噴水”。この噴水は、電気などない江戸の時代(1800年代中盤?)に作られた「日本最古の噴水」と言われているようで、高い池から水を引いて、一段低い所に噴水を設置し、高低差の力だけで水を噴きあげている物。創意工夫(この時代なら発明?)、すなわち ”人力” があります。

最後に、”徽軫灯籠”(ことじとうろう)。これは、庭園の雰囲気を壊さず、奥ゆかしさと気品を醸し出している、正に ”人力(この場合は、芸術センス?)”、だと思います。

兼六園内部の様子 整備された園路①
兼六園内部の様子 整備された園路②
兼六園内部の様子 整備された園路③

恐らく、植栽の選定、池の掃除、園路の整備補修、日々の掃除等の手入れも非常に行き届いている事が感じられ、美しさと気品を醸し出しており、そういった事も含めて「人力」だと思う事は間違えありませんが、あえて見所として、上げさせて頂ければ、雪吊り、水その物、噴水、徽軫灯籠の4つだと、個人的には思った次第です。

【最後に】

私達夫婦が金沢にお邪魔したのは、もう10年以上前だったので、まだ北陸新幹線は開通していませんでした。また、ちょっと前に再現された、玉泉院丸庭園は、調査をしていたのか、造園作業をしていたのか分かりませんが、何か重機が入っている所だけが見え、お庭そのものを勿論拝見させて頂いておりません。

北陸新幹線であれば、大宮から2.5時間位で金沢まで行けるようなので、改めて金沢にお伺いし、芸術性の高い金沢城(別記事で紹介しています)と兼六園を改めて、そして再現された玉泉院丸庭園を始めてを拝見させて頂きたと思いました(別ページにて、金沢の観光スポット(私達夫婦がお邪魔させて頂いたスポット)をご紹介しておりますので、併せてご参照ください)

徽軫灯籠
(日本最古の) 噴水


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以下画像より、記載中庭園一覧更新中ダウンロードできます

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