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【実質無料記事!】お城を楽しむ:日本の宝・現存12天守とは? 国宝5城とは? (概要と周囲も含めた見所)

割引あり

こちらの投稿は、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の "Original の記事" を基本同じ内容で、記載している記事になります。Original の記事では、より多くの写真も含め記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。


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【はじめに】

こちらのページでは、「江戸期以前から存在する『現存12天守』とその中の『国宝5城』に焦点を絞り、それぞれのお城の概要を含め、大人散策情報を記載」させて頂こうと思います

そもそもですが、皆様は「現存12天守」・「国宝5城」なるワードを聞いた事はございますでしょうか? お城好き、歴史好きの方であれば、多くの方が耳にした事はあると思い、それぞれのお城に関し、詳しくご存じな方も多いと存じます。日本100名城や続日本100名城国宝5城現存12天守現存4御殿三名城三大山城三大湖城、三大海城、三大連立式平山城三大平山城、五大山城、五大山岳城と言った様な、お城のカテゴリ分けが存在しますが、「現存12天守」は、「その中で主役のお城」と言ってよいと思いますし、「国宝5城」は、「宝の中の宝」と言ってよいと思います

こちらのページでは、そんな「お城の中の主役である『現存12天守』・『国宝5城』に絞り、それぞれのお城の概要を含め、大人散策情報を記載」させて頂きますので、以下ご参照頂けますと幸いです。

【現存12天守とは?】

そもそもですが、皆様は、「現存12天守とは?」と質問されたら、どの程度の回答が出来ますでしょうか? 私の場合は、「現存12天守と言われるお城の名前と所在地」を回答する程度の知識でしたので、まずは、その基本情報から抑えさせて頂きます。最初に以下、現存12天守の一覧をご参照ください(国宝5天守・現存4御殿との切り分けが分かるよう、これらも一覧に組み込みました)

現存12天守一覧 (自身で作成した「日本100 名城 & 続日本100名城(+α)」の一覧ファイルより、抜粋 (詳細は以下PDFファイル参照:継続して更新予定です)

日本100 名城 & 続日本100名城(+α) 更新中ダウンロード

多くの皆様がご存じのお城の名前が並んでおり、現存12天守の中でも、姫路城松本城彦根城松江城犬山城は、国宝5城であり、高知城には、現存4御殿、のうちの1つも存在している事、ご理解いただけるのでないかと思います

そして次に、基本情報を抑えるべく、現存12天守が、Wikipediaにどの様に記載されているのか見ていきたいと思います。Wikipediaの「現存12天守」の項目には、以下の様にあります。

現存天守(げんそんてんしゅ)とは、日本の城の天守のうち、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守のことである。これ以外に存在する天守には、復元天守、復興天守、模擬天守がある

概要
現存天守は必ずしも創建当時の建物をそのまま保存されているものということではなく

修復などを繰り返しつつ、ほぼ創建当時のままを維持してきたもの(姫路城・彦根城)
現存天守が在籍していた城が存城であった当時に再建、改築されたものがほぼそのまま残っているもの(犬山城・松本城・高知城・松江城など)
付属する一部の建物を焼失または改築されたもの(宇和島城)
明治維新以降に保存されるまでの経緯で付属する建物を撤去、または損失したことにより主に主体のみが保存されることになったもの(備中松山城・松山城・弘前城・丸亀城など)
・損失したが遺材を組み直して再建されたもの(丸岡城)

などである。またこの括りには存城当時、御三階櫓などと呼ばれていた櫓で「事実上の天守」も含まれている。また、西ヶ谷恭弘のように熊本城宇土櫓と大洲城台所櫓・高欄櫓を小天守と位置づけて現存天守とすることもある (略)
1940年代までは20城の天守が現存し、戦前・敗戦直後までは国宝保存法で国宝などの文化財に指定され現存天守と呼ばれていた。これらのうち1945年(昭和20年)に第二次世界大戦でのアメリカ軍による空襲によって水戸城・大垣城・名古屋城・和歌山城・岡山城・福山城・広島城の7城の天守が焼失又は倒壊し、1949年(昭和24年)に失火によって松前城天守が焼失した。現在、文化財として見ることができる天守は主に残る12城の天守のみとなっており、現存12天守と総称される (略)

いずれも文化財保護法に基づいて重要文化財に指定され、更にこの内五つの天守は国宝に指定されている古建築である。この国宝に指定されている松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城の五つの天守は「国宝五城」と呼ばれ(国宝城郭都市観光協議会による名称)、これに対し残る七つの天守を「重文七城」と呼ばれることがある (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/現存天守

少々引用が長くなってしまいましたので、以下にポイントをまとめます

  • 現存12天守は、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守

  • ただし、創建当時の建物がそのまま保存している訳ではない

  • 御三階櫓など「事実上の天守」も含まれる

  • 1940年代までは20城の天守が現存(水戸城・大垣城・名古屋城和歌山城・岡山城・福山城・広島城・松前城)

  • いずれも文化財保護法に基づいて重要文化財に指定され、更にこの内五つの天守(姫路城松本城彦根城松江城犬山城)は国宝(国宝5城)に指定されている古建築である

残り方は様々だが、江戸時代、もしくはそれ以前から残っている天守を「現存12天守」と言い、中には「事実上の天守」も含まれており、戦前までは「現存20天守だった」と理解させて頂きました。

Wikipediaより:現存12天守

【国宝5城(国宝5天守)とは?】

では次に、皆様は、「国宝5城」を見ていきたいと思います。上記一覧表にて「どのお城が国宝か?」に関しては、見えたと思いますので、違った切り口で質問させて頂きますと「そもそも国宝とは?」何でしょうか? 少し前の話になりますが高知城にお伺いした際「国宝 高知城」なる石柱を拝見した事があります。上記一覧にある通り、高知城には、現存12天守現存4御殿が本丸の中に存在する日本唯一の城郭で、確かに国の宝。個人的には、国宝でよいと思いますが、上記一覧の通り、残念ながら国宝ではありません…。勝手に国宝を名乗っている訳でもないと思うので、Wikipediaの力を借り調べて見ますと、「国宝」の項目に以下の様にありました。

高知城の様子
高知城にあった国宝の石柱

国宝(こくほう)とは、日本語の第1義には、国の宝第2義には、近代以降の日本において文化史的・学術的価値が極めて高いものとして法令に基づき指定された有形文化財を指し、具体的には、重要文化財のなかから特に価値の高いものとして指定した建造物、美術工芸品などをいう。※以下、本項は第2義について解説する。

国宝(第2義)は、日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いもので類いない国民の宝たるものであるとして国(文部科学大臣)が指定したものである(文化財保護法第27条第2項)。建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍、古文書、考古資料および歴史資料が指定されている (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/国宝

日本の宝として「重要文化財」が指定され、更にその中からとりわけ価値の高い物を「国宝」に定めているという事の様で、簡単に言ってしまうと『「宝の中の宝」=「国宝」』と理解させて頂きました。お城の世界に当てはめて考えますと、『現存12天守」=「重要文化財」=「国の宝」』ですが、更にその中からえりすぐって『姫路城松本城彦根城松江城犬山城」=「重要文化財 & 国宝」=「宝の中の宝」』といった理解をさせて頂きました。

では、重要文化財の高知城になぜ「国宝 高知城」といった石柱がある(あった?)のでしょうか? この辺りは、上記引用いたしました Wikipedia の「国宝」の項目をよみすすめると納得できる記載がありました。

(略)  「旧国宝」と「新国宝」  

「国宝」という語の指す意味は文化財保護法施行(1950年)以前と以後とでは異なっている。文化財保護法施行以前の旧法では「国宝」と「重要文化財」の区別はなく、国指定の有形文化財(美術工芸品および建造物)はすべて「国宝」と称されていた (略)

1929年(昭和4年)には古社寺保存法に代わって国宝保存法が制定され、同法は文化財保護法が施行される1950年(昭和25年)まで存続した。古社寺保存法および国宝保存法の下で指定された「国宝」は1950年時点で宝物類(美術工芸品)5,824件、建造物1,059件に及んだ。これらの指定物件(いわゆる「旧国宝」)は文化財保護法施行の日である同年8月29日付けをもってすべて「重要文化財」に指定されたものと見なされ、その「重要文化財」の中から「世界文化の見地から価値の高いもの」で「たぐいない国民の宝」たるものがあらためて「国宝」に指定されることとなった。(略) 「新国宝」の初の指定は1951年(昭和26年)6月9日付けで実施された。  

以上のように「旧国宝」「新国宝」「重要文化財」の関係が錯綜しているため、「第二次世界大戦以前には国宝だったものが、戦後は重要文化財に格下げされた」と誤って理解されることが多い。旧法(古社寺保存法、国宝保存法)における「国宝」(旧国宝)と新法(文化財保護法)における「重要文化財」は国が指定した有形文化財という点で同等のものであり、「格下げ」されたのではない。また、文化財保護法によって国宝(新国宝)に指定された物件のうち、重要文化財に「格下げ」された例は1件もない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/国宝

つまり、高知城は当時の法律で「重要文化財」=「国宝」であり、今現在も「重要文化財」で、国の宝である事は変わりなく、「ただ『新法における国宝』には選出されなかった」と理解させて頂いた次第です。

こうして見てみますと「高知城に国宝の石柱があった謎」が理解できたわですが、同時に「現存12天守とその中から、新法により選出された国宝5城との違いはどこにあるのか?」といった新たな疑問が出てきてしまいました…。しかしながら、この疑問に対する明確な答えを見つけることはできませんでした。『「現存12天守」=「明治期前から存在する天守」』で、その事実をもってして「現存12天守なのですが、『「国宝」に関しては、その基準が明文化されてはいない』と理解した次第です。故に、ここからは個人の見解となりますが、上記一覧を見て明確な違いは、「建造年」。現在の国宝5城の天守の建造年は、すべて江戸幕府の開府前後が基準になってりる様に見えてします。2015年に松江城の天守がいつ建てられたのかが明確になった」ことで(天守建造1607年)、「国宝指定」がかなった事を考えると、次は「丸岡城 (建造年1624年-1644年)」と推察してしまい、「まだ明確に『建造年』が特定されていない、国宝以外で最古と目される(かもしれない)お城」が、「建造年」が明確になった段階で、国宝に指定されるか否かがポイントだと思ってしまった次第です…。(さらに個人的願望を記載するのであれば、「松本城の世界遺産登録」ですが…)

松江城天守が完成した年に祈祷に使われたと思われる「祈祷札」(松江城のHP(https://www.matsue-castle.jp/)より)

【それぞれの現存12天守 & 国宝5城】

上記、「『現存12天守』の概要」を抑えさせて頂きましたので、こちらのパートでは、それぞれのお城を見所も含め、見て行きたいと思います。なお、それぞれのお城に付き、別記事で詳細情報も記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

■弘前城 (青森県弘前市 1810年天守建造で、主体が保存)

曳家工事でも有名な「1810年位に建てられた天守」に加え、「二の丸の3つの櫓:辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓」と「5つの門:三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭北門(亀甲門)」が、現存している構造物としてある様です。また、「外郭の南西に位置する禅林街は、長勝寺構(ちょうしょうじがまえ)として出城の役割を担っており、堀、土塁、枡形などが残る」ともあり立派なお寺と並木道がある様です。周囲の「最勝院」、「藤田記念庭園」、「弘前市仲町重要伝統的建造物群保存地区」と併せて大人散策を楽しみたいエリアだと思った次第です。

Wikipediaより:弘前城の様子①
Wikipediaより:弘前城の様子②
Wikipediaより:弘前城の様子③

■松本城 (長野県松本市 建造は、大天守:1615年・乾小天守:1591-92年で、存城時に再建・改築 『国宝5城の一つ』)

黒い漆の壁が美しい国宝・松本城。天守群は、石落とし・狭間とかなり実践的な装備もあり、戦国を連想させる作りになっています。一方、その中の月見櫓だけは、「徳川家光が、京に上洛した帰りに、善光寺に行きたいと言っているから、そのタイミングで来るもしれない…」と言って、接待用に作られた時代背景もある様で、赤い高欄が設置された、なんとも風流な感じで、戦と平和が融合するお姿に見えるお城です。

規模間のある複合連結式の天守群は壮観で、黒い壁に赤の高欄が生える姿も独特な雰囲気を醸し出しています松本市内の風情ある通りや湧水・美術館/博物館めぐりと併せて大人散策すべきお城だと思います。

松本城の様子①
松本城の様子②
松本城の様子③

■丸岡城 (福井県坂井市 建造は1624年-1644年で、遺材を組み直して再建)

地震で倒壊してしまった経緯はある物の、約400年の歴史を持つ天守である事は、間違えない天守で、そのフォルムから「最古の天守」ともいわれていたお城です。天守を支える「乱積/野面積」に見える石垣や屋根を覆う「笏谷石製の石瓦」と併は、このお城の個性を表している様に思え、『現存12天守の天守 +石瓦 +天守台(石垣)』は、必ず拝見させて頂くべき、丸岡城の構造物と思います。それぞれ少し距離がありますが、「福井城祉」、「東尋坊」、「一条谷城」、「越前大野城」、「永平寺」は、併せて参りたい大人散策スポットと認識しております。

Wikipediaより:丸岡城の様子①
Wikipediaより:丸岡城の様子②
Wikipediaより:丸岡城の様子③

■犬山城 (愛知県犬山市 建造は1601年で、存城時に再建・改築『国宝5城の一つ』)

つい最近まで、個人所有のお城だった様で、現在の所有者としては、財団法人になっているようですが、その理事長が、成瀬淳子氏。故に、まさに姫君が理事長をなさっているお城と理解しております。

城下町から見た天守、木曽川越しに見た天守、凛とした佇まいが、季節を通じて美しく、国宝にふさわしいお城で、城下町も風情があり、麓の神社には、千本鳥居をそなえた三光稲荷神社等もあり、日本らしい風情を出していて素敵なエリアです。400年ほどの歴史を持つ犬山城は、その周辺環境・その歴史も含め、楽しむべきだと思っており、ちょっと脚を延ばすと明治村もありますので、併せて大人散策を楽しむべきだと思います。

犬山城の様子①
犬山城の様子②

■彦根城 (滋賀県彦根市 建造は1606年で、ほぼ創建当時のままを維持『国宝5城の一つ』)

徳川幕府の側近中の側近で、大老も輩出した、名門井伊家の居城・彦根城。その割に天守としては、やや小ぶりな印象を持ちましたが、外観はとても400年たっている様には見えません。しかし、天守は勿論、長浜城から移築と伝わる天秤櫓(天秤櫓の下を通らないと、本丸にたどり着けない工夫)等、城郭全体、構造物内部を拝見すると、歴史の重みを感じられずにはいられないお城です。天守閣からの眺めも抜群で、佐和山城址、琵琶湖は勿論、彦根市街、伊吹山等を一望できます。

ひこにゃん」とたわむれるのも良いですが、国宝天守を借景にした玄宮楽々園近江牛も、併せて楽しむべきエリアだと思った次第です。

彦根城の様子①
彦根城の様子②
彦根城の様子③

■姫路城 (兵庫県姫路市 建造は1601年で、ほぼ創建当時のままを維持『国宝5城の一つ』)

西国将軍とも言われた「池田輝政」の築城と伝わる姫路城現存12天守である事は勿論、国宝でもありますが、同時に世界遺産のお城です。池田氏のイメージが強い姫路城ですが、「池田氏の統治は15年程」の様。一方、姫路城の天守群としては、400年以上の歴史を持ち、お城としては、室町時代から存在するお城で、羽柴秀吉黒田官兵衛も居城としたお城になります。別記事で紹介しました中国大返し」の舞台の1つにもなったお城と言う理解でもあり、『現存する巨大城郭・「世界遺産」兼「国宝」兼「現存12天守」である「姫路城は、「正に日本のみならず、世界の宝」』と言うべきお城で「日本No.1のお城」だと思った次第です。

Wikipediaより:姫路城の様子①
Wikipediaより:姫路城の様子②
Wikipediaより:姫路城の様子③

■松江城 (鳥取県松江市 建造は1607年で、存城時に再建・改築『国宝5城の一つ』)

松江城の天守は、1607年に堀尾氏によって建造され、400年ほどたった現在でも、その雄姿を拝見できる山陰地方で唯一の現存天守で、且つ国宝5天守のお城です。また、天守からは宍道湖を望むことができる様で、日本三大湖城でもある様です。松江城と言うと、個人的には「堀尾氏」のイメージが強いのですが、「堀尾氏の統治は30年ちょっと」と言うのは、少々意外な印象をお持ちの方も多いと思います。人柱の伝承等の逸話も残る松江城は、天守もですが、その歴史に思いを馳せつつ、大人散策すべきスポットだと思っており、少し距離もありますが、庭園で有名な足立美術館や、日本神話の地・出雲大社にも脚を延ばしたいエリアと認識しています。


Wikipediaより:松江城の様子①
Wikipediaより:松江城の様子②
Wikipediaより:松江城の様子③

■備中松山城 (岡山県高梁市 建造は1681年で、主体のみが保存)

備中松山城は、別名、高梁城ともいい、各地にある同名の城との混同を避けるため、一般的には備中松山城と呼ぶことが多いお城で、現存天守12城の一つでもありますが、この中で唯一の山城の様です。現存12天守の中では最も小規模であるが、その12か所の内では最も高所にあるとの事なので、「天空の城」とも言われ、運が良ければ「雲海に浮かぶ天守」を見る事が出来る様です(ただし、「雲海に浮かぶ天守」が見れる「雲海展望台」と「天守(=本丸)」は、勿論別の場所にあり、それぞれ事前調査の上、アクセスする必要がある様です)。

また、備中松山城の麓には、歴史情緒の残る、旧武家屋敷も公開されている「石火矢町 ふるさと村」と呼ばれるエリア等がある様で、少し脚を延ばせば(車の距離の様ですが…)、ベンガラに彩られた街並みで有名な吹屋ふるさと村」もある様です。。

Wikipediaより:備中松山城の様子①
Wikipediaより:備中松山城の様子②
Wikipediaより:備中松山城の様子③

■丸亀城 (香川県丸岡市 建造は1660年で、主体のみが保存)

丸亀城は、別名、亀山城(かめやまじょう)、蓬莱城(ほうらいじょう)ともよ呼ばれているようで、4重に重ねられた石垣は、合わせて60メートルになり、総高としては日本一 のお城だそうです(あくまで総高としての日本一であり、単体としての日本一高い石垣は大坂城で、僅差で上野城)。また、現在の現存12天守と言われる天守は、江戸時代の初め(1660年)、表向きは「三階櫓」として建築された歴史のあるお城の様です。

近くの中津万象園(庭園)もですが、少し脚を伸ばし、金刀比羅宮・高松城(日本三大水城)・栗林公園(松が有名)にもおもむき、大人散策を楽しむべきエリアだと思っております。

Wikipediaより:丸亀城の様子①
Wikipediaより:丸亀城の様子②
Wikipediaより:丸亀城の様子③

■松山城 (愛媛県松山市 建造は1852年で、主体のみが保存)

松山城は、日本にいくつか存在していますが、単に「松山城」とした場合は一般的に「伊予松山城」を指す様で、別名、金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)とも呼ばれています1784年、天守を含む本丸の主な建物が、落雷により焼失してしまいますが、1854年、第12代藩主・松平勝善が大天守以下、本丸の建造物を再建した「現存12天守の中で最も新しいお城」で、大天守を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財、9棟が国の登録有形文化財がという内容。

姫路城と同じく連立式の天守で、日本三大連立式平山城の1つであり、日本三大平山城でもあるこのお城は、1602年に、加藤嘉明が築城に着手したのが、松山城の始まりで、「松山」の地名が公式に誕生したのも、加藤氏による様です。 1933年:不審火、1945年:戦災、1949年:不審火により、多くの建造物(旧国宝含む)が焼失してしまったようですが、今尚、上記の様な貴重な建造物が多数のこるこの松山城は、日本の宝ともいうべきお城(国宝ではありませんが・・・)だと思っており、近くの萬翠荘、坂の上の雲ミュージアム、道後温泉(温泉は勿論温泉街も含め)と併せて楽しみの尽きないエリアだと思っております。

Wikipediaより:松山城の様子①
Wikipediaより:松山城の様子②
Wikipediaより:松山城の様子③

■宇和島城 (愛媛県宇和島市 建造は1666年で、一部の建物を焼失または改築)

宇和島城は、中世期にあった板島丸串城の跡に藤堂高虎の手によって築かれた近世城郭との事で、別名は鶴島城とも呼ばれているお城になり、その縄張りは、外堀などの外郭ラインが五角形で、その形状は、改修されることなく活用され続けたようです。宇和島藩は、富田氏の後、伊達政宗の長男(庶子)伊達秀宗が、1614年に仙台伊達家の別家として入城し、その宇和島伊達家が幕末まで続いた藩の様なので(途中、養子も入っているので、秀宗の血縁は絶えてしまったようですが「政宗の血縁で江戸期を通した家」の様です)、1649年の大地震により破損した城郭を、1662年から1666年にかけて 2代藩主・宗利が天守をはじめ、城郭全体の改修したという事ですから、現存12天守の一つにかぞえられる現在の天守は2代・宗利による天守と理解できます。尚この時、幕府への届出は修理とされていたが、「土台は岩盤から石垣へ、天守構造は望楼型から層塔型へ、外観は下見板張から白漆喰総塗込へとまったく異なる天守が建築された」と言う逸話があり、これこそ「伊達(政宗)の血がなせる、伊達物の真骨頂」なのかと思った次第です。

また近くには、宇和島市立伊達博物館(伊達家屋敷跡に建設された博物館)や天赦園(国の名勝に指定されている日本庭園で鬼ヶ城連峰を借景とした池泉回遊式の庭園(大名庭園と理解))があり、少し脚を延ばせば(車の必要がありますが…)、遊子水荷浦の段畑(海に面した階段状の畑地)や南楽園(大きな池泉が魅力で、「日本の都市公園100選」にも選ばれた、池泉回遊式日本庭園)もある様なので、併せて訪問すべきと思ってます。


Wikipediaより:宇和島城の様子①
Wikipediaより:宇和島城の様子②
Wikipediaより:宇和島城の様子③

■高知城 (高知県高知市 建造は1747年で、存城時に再建・改築)

高知城は、現存12天守と現存4御殿の両方が残る、日本で唯一のお城。関ヶ原の功で、土佐一国を拝領した山内氏の居城で、前任地の掛川城の現在の天守(天守は復興天守ですが、御殿は現存4御殿の1つです)と似ている事でも有名な認識です。

現在の天守は、江戸期の火災があった後に、再建された天守の様ですが、それでも250年以上の建造物で、実際に訪問するとその歴史と格式を感じずにはいられない空間です。高知では、幕末有名人(山内容堂や坂本龍馬等)に思いを馳せつつ高知市内の観光も良いと思いますし、桂浜も中々の大人観光スポットだと思いますので、併せて訪れてみてはいかがでしょうか?

高知城の様子
高知城の様子
高知城の様子

【最後に】

以上が、「江戸期以前から存在する『現存12天守』・『国宝5城』に焦点を絞り、それぞれのお城の概要を含め、大人散策情報をサマリ版で記載」させて頂いた内容になります

江戸時代、もしくはそれ以前からその地にある「現存12天守」。戦争や火災で焼失してしまった事は、大変残念な事ですし、ちょっと前には、沖縄の首里城の火災もテレビで目にしました。有形の物なので、いつかはなくなってしまうのかもしれませんが、今の現存12天守(勿論、国宝5城含む)は、日本の宝であることは間違いないので、これからも大切にして行くべきだと改めて思った次第です。そして、個人的には、まだお邪魔できていない現存12天守もあるので「必ずいつか、訪問したい!」と強く思った次第です。



以下、上記紹介しました「各お城とその周辺大人散策スポット(12個のMapがあります)を一覧で把握でき、実際に現地訪問した際でも自身の位置をスマホで確認しつつ大人散策できる地図(Google My Map で作成:以下のイメージ)」については、有料での記載とさせて頂きますが、大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の Original 記事では、無料で開放しています。有料エリアのご購入、フォローによるクリエーターサポート等の応援は、喜んで受けさせて頂きますが、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の Original 記事と併せてご参照頂ければと思っております。

sample (sampleは彦根城とその周辺のみですが、有料エリアには「現存12天守とその周辺の地図:12Mapすべてがあります)

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