なぜ都知事選がやりたい放題、無秩序になったのか!?根本にかかわる考察
都知事選の公営掲示板のポスターに、
ほぼ全裸の写真が掲示されたり、
選挙とは全く関係ないポスターが掲示
されたり、
政見放送も、選挙とは全く関係がなく、
政策らしいものを語らないどころか、
服を脱いでしまったり、、、
なぜ、そうなってしまったのか!?
それこそ、選挙とは直接は関係がないの
ですが、その原因について、自分なりに
思い当たる節があるので書いてみます。
<私が思う原因>
昔の大人が馬鹿だったから。言語能力が
低かったから。
<もう少し詳しく>
今の都知事選挙の候補者の世代が子供の頃、
その時の大人や社会に育てられたから、、
ということを言いたいのですが、
具体的にどういうことか。
今の候補者が子供の頃、それは、私が
子供だった頃でもあるのですが、
少なくとも私や、近所の同世代は、
ルールの隙をついて突飛な悪ふざけを
した記憶があります。
そういう傾向は、多かれ少なかれ、
全国的にあったのではないかと思います。
なんせ、子供ですから。
私がここで言いたいのは、その時に、
大人が何と言って子供たちに接したか?
です。
思うに、理屈抜きで叩いたり、
怒鳴ったり、
中身を抜きにして、「ふざけるな!!」と
一喝するなどして、
有無を言わさずに強権的にその場を
終わらせてきたのではないか。
私は、決して今の都知事選の無秩序を
支持しているわけではないのですが、
私が子供の頃に体験してきた「怒られ」
には、
理由が無いか、著しく乏しいものを
かなり多く、
子供心に、
「もし、この行動(悪ふざけ)を突き
通したら、一体どうなるのだろうか。」
と思った記憶があります。
ここで言う「一体どうなるのだろうか。」
は、「大変なことになったらどうしよう。」
という心配的なものではなく、
もし、大人たちが困るような事態に
なるのなら、それはそれで構わない、
むしろ、きちんと因果関係を説明しな
かった大人たちが悪いのではないか、
更に言えば、黙示的に、大変な結果が
惹き起こされることを甘受する覚悟さえ
あったのではないか、
とさえ思う部分もありました。
もちろん、私が子供の時から、
ここまで明確に言語化できていた
わけではないですが、
ほぼほぼこれに近いことを考えて
いました。
なぜなら、悪いことに対して、
それがなぜ悪いのかきちんと理由を
説明しないと、
無意識にまた悪さをしてしまうと
思ったかからです。
ちなみに、この思いは今でも私の中に
強くあります。
だから、つまり、、
今の都知事選挙の無秩序を嘆く前に、
昔の大人たちや社会は、一つ一つの
ことに対して、
例えば、子供たちが度々やらかす
悪ふざけなどに対して、
時に立ち止まって、その行為がダメな
理由や、周囲に与える影響などに
ついて、
その人なりに、あるいは、社会全体で
きちんと考えを深めてこなかった事実を
認め、
少なくとも次世代を担う子供たちに
伝えてこなかったことを認め、
まずは、それらを反省すべきなのでは
ないかと思うのです。
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