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考え事#46 シン根性論

根性という言葉を最近、以前よりは聞かなくなった気がする。
今までのこの言葉の使い方が、時代に合わなくなってきたのだろうと思う。
この前根性という言葉を久しぶりに聞く機会があって、発言した方は所謂昭和の根性論のような文脈で発言していたのだけれど、思うことがあったので、今回はちょっと堀ってみる。


意味の誤伝播

日本語って、時代に合わせて意味が変わることが多い。
例えば、忖度という言葉なんかは最近意味が大きく曲げられてしまった言葉の一つだ。忖度とは、本来的には相手の気持ちを推し量ることだ。

言葉の意味が誤って伝播していくのには、いくつかのパターンがあるのだろうと思う。
・忖度の例のように、ある出来事で用いられたことをきっかけに、その状況での意味が付加され、前面に出てしまう。
・根性論とか精神論という言葉のように、ある特定の分野で多用されたことにより、言葉自体がその分野の言葉であるように捉えられてしまう。

改めて辞書で意味を調べてみると、実は趣深い言葉というのは案外少なくないのではないか。

根性という言葉

根性という言葉は、僕のイメージでは昭和~平成中期くらいまでの間まで体育会系の文脈でよく使われてきた言葉なのではないかと思う。「根性がある」とか「根性出せ」とか、「根性見せろ」とか、そういう発言が時代と共に認められないパワハラ認定されていき、あまり使われない言葉化している気がする。

僕も体育会系の集団に所属していた期間が過去それなりにあるので、「根性見せろ」の使われ方でなんとなく根性という意味を理解してきた一人だ。

さて、ここで改めて根性という言葉の漢字そのものを見ていただきたい。
「根」と「性」、実は良い漢字の組合せの、素晴らしい言葉なのではないか?ふとそう思ったのがこの記事を書こうと思ったきっかけだ。

根性
その人の本来的に持っている性質。しょうね。また、あるものに特有性質。「—の腐った奴」「島国—」「やじ馬—」
物事をあくまでやりとおす、たくましい精神気力。「—のある人」「見上げた—の持ち主」

根性(こんじょう)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書

1.その人の本来的に持っている性質

第一義の意味は、漢字そのままの意味に思える。
根にある性質。という見方をすると、こんな返しが可能だ。

目上の人(パワハラ)
「おいお前!もっと根性を見せろ!」
自分(根性=本来的に持っている性質は、ゆるい感じ)
「はい。お言葉に甘えてゆったりさせてもらいます。ありがとうございます。」

2.物事をあくまでやりとおす、たくましい精神

第2義は、少しこれがゆがめられているように感じる。

「物事をあくまでやりとおす」という外化された行動は、本当に「たくましい精神」によるものなのだろうか、という疑問は残る。仮に「たくましい精神」を認めたとして、人はいったいいつ「たくましい精神」を持つことになるのだろうか?

ここは僕の提案なのだが、「根性がある」と感じる場合には「相手にとって、強烈な原体験がある」という捉え方をするのはどうだろう。

根性がある人
=強烈な原体験がある故、その物事をあくまでやりとおす姿勢を貫いている人

だから、
人それぞれ根性があるジャンルとか文脈が異なるよね。
あー、あなたはここに根性が見える人なんだね。

みたいな感じ。普通に表現として使ったら便利だと思うのは僕だけだろうか。

多様な根性と多様な根性論

○○をやり切る奴は根性がある!という考え方から、
この人は○○では根性を発揮できるよね。という考え方へ

根性を見せろ!根性を示せ!という考え方から、
僕の根性はゆるい感じです。が許される考え方へ

人にはそれぞれの根性の形があり、それが何なのかお互いに理解しようと努めることで、人の過ごしやすい環境を考えたり、人の原体験を聞いて背景を知って共感したりする。

そんな多様な根性論が広まったら、非暴力内部テロ的で面白いだろうな。

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