とらわれっち

とらわれっち


最近自分の興味が向いているのは「囚われる」ということである。

これ自体は入口に過ぎず、突き詰めていきたいところとしては『呪い』と『怪異』に関してであるのだが
調べていくうえでこの「囚われ」に手が伸びている。

グーグルで「囚われる」と検索をかけると、感情や考えがあるものに拘束されて,自由な発想を妨げられる。こだわる。

と辞書ツールが表示してくれる。例文をみても「過去にとらわれる」と記載があるので、この意味がもっとも自分の興味関心のあるテーマに近しいものであると思う。


なぜ、このテーマについて興味があるのかというと、我々の行動や感情に密接に関係しているものが「とらわれ」でほぼ結びつけることができるからである。
何を当たり前のことを言ってるのかと言われたら、そうですよねぇ~ってなるんだけども。

この手の考え方については自己啓発本や心理カウンセリング系やスピリチュアル系分野のyoutuberなどが散々こすり続けていて、いまだに同じような内容の記事が更新されていたり、きっと研究が続けられているであろうものなのだ。

過去の出来事や先入観が「とらわれ」という縛り、楔のようなものになっており、その人の考え方や行動を制御していたり、ある種の心理に傾いてしまったりする。

よくある話が「疲れやすい人がOOOをすれば一発で解決?!」みたいなものだ。

YOUTUBEの検索エンジンでこの文言をかければたちまち色んな老若男女がテロップとともに熱弁を繰り広げているハズである。

それくらい我々の関心を引いては止まない事柄ということだろうか。

で、この「とらわれ」が創作する上でアイデアの源泉になっている。
いや、もう本当に当たり前のことしか書いていない、ネットの海に連ねるのがお恥ずかしい気持ちになる。
言い聞かせるのだ。これは自分の中で改めて整理しているつもりで書いている。
そういう文章。とらわれっち。

戻して、これまでBOYCOTTの作品、坂口が書く本には大体この「とらわれ」を軸に据えている。

ここで何が書きたいかというと、この「とらわれ」というのは”無くす”ことが出来ないと坂口は考えている。

”亡くす”ことはできても”無くす”ことは少なくとも無理なんじゃないかなって思っている。

めちゃめちゃ極端な例を出すとすると

・過去のトラウマが原因で人と会うことが怖い男、唯一の話し相手は自分にしか見えない”たけし”という存在。
 たけしは男の味方だった。男の言葉は大体肯定してくれる。提案してくれる。面白がってくれる。
 そんなある日、男が(なんやかんやあって)外の世界に不意に興味を持ち始める。たけしは次第に外に近づく男をなんとしても阻止しようと・・・

みたいな、あ、そっち? みたいなのをよく書く。

男が主人公の作品はありふれている、というか王道というか、基本なんだと思うんですけど

不安定(朧気な存在の)な方にも、確かに、きっと存在した軌跡や”在った”証みたいなものがあって
これを僕らが(主人公が、男が)、頭の片隅(脳の領域のわずかな区画であっても)にて認識する(無自覚であったとしてもあったとしても)ことで”存在している”と定義できている。

存在するということは、こういうことなのだろう。

で、こういった存在が見えなくなるのは、存在情報(証)をなにかしらの行動やきっかけ、過程があって隠してしまうことで見えなくなる。
隠しているだけだから、”ちゃんといる”

この定義(定義と呼べるのか?)を心霊現象、怪異に当てはめるとすれば

わかりやすく幽霊を例にあげると、基本的に幽霊はその国や土地に関連した存在が挙がるのが一般的なスタイルである。
日本では日本人の霊が、みたいな。


これは例えば武将の幽霊が現れる、といった現象は、その武将の存在や幽霊となったいきさつを人々が語り継ぐこと、人々の記憶や頭の中にコピーしていくことで証の量産化が発生する。
そうなれば認識するという想像力が、意識的、無意識的であれ存在をより強固にしていく。

怪異の実体化のメカニズムみたいなのが幾多の作品では取り上げられている。

この不確か側についての想像を膨らませる事を書きたかったのだが、ここまでで話がとっちらかっているのでパートをわけようと思う。
また「とらわれっち」タイトルで書くことにしようと思う。



ここまで書いて話が変わるが、久々に坂口が外部団体に出演する。
次回はその内容に触れていきたい。

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