カエルの話

人生で最も暇な時期を迎えた。

転職活動をしているとはいうものの、前職のように四六時中掛り切りになっているわけでもない。1日の終わりになっても体力も脳みそも疲れない。眠れない夜に考えることは、無駄に高い将来への展望もあれば不安もある。

7:30から21:00、週に5日ソルジャーのように働いていた身体と脳と精神は現在の状況は非常に生温く、どこか居心地が悪いようだ。7hは寝ていないとフルで働けなかったにもかかわらず3,4hの睡眠で1日をやり切れるようになった。新聞屋のバイクが通り過ぎてからの睡眠の質はもちろん低く、日中の行動の中身も薄いが。

日本で一番給与が高い企業に勤めて自己を見つめ直したところ、

人生はお金じゃない、という自身の価値観に気付いた。

もちろんお金はあったほうが良いに決まっている。しかしお金は手段であって目的でない上に、大金を稼ぐことがBestになることはない、betterな選択肢でしかないのだ。

体育会のマネージャーや国会議員事務所でのインターン(無給)を通して得た経験は学生ではあったが、何にも代え難い経験であった。誰かのために寝食惜しんで走り回る。感謝される。嬉しい。

正直ここでの感謝など、相手にとって呟き程度だ。別にお小遣いをもらったり、カンテサンスでご馳走になったり、お花をプレゼントされるような感謝ではない。「あー、ありがと!」その程度。

でも、その感謝があるだけでまた頑張れる。お金じゃなかった。思い返せば、生涯でお金で行動を突き動かされたことなんて一度もなかった。

中学受験生の時、百ます計算を全くやらなかった。そこでなんとかしなければと母は思考を巡らせたようだ。しかし私は、1枚やったら500円、という母の教育的策略にも乗らなかったのだ。お金ではなく確かコナン1巻になった。全巻揃った。その500円でコナンを買えばよかったじゃないか、というアンチテーゼも聞こえてくるが、それくらい現金に興味がなかったのだ。馬鹿だ。

私の出自は比較的裕福だ。父が長期信用銀行、外資系投資銀行、ベンチャーなどさまざまな業界を渡り歩き、3人兄弟私立校に入学させてくれた。父の他界後も生活に困ったことはない。(私が幼かったため苦労を知らないだけかもしれないが) 質の高い教育を与えてくれた父と母には心から感謝している。おかげでそこそこの頭と、人様に出せる程度の人間性になったのではないだろうか。

お金に心から困ったこともないし、お金に執着もしたことがない人間に育った。500円までの貸しはなかったことにしていた。(さすがに借りは返している)       
その価値観に対しての興味関心も低く入社後まで考えたことがなかった。入社してから同期や先輩が少しアンダーグラウンドなお金の話をしきりにしているのを聞いて、あれ?入る会社間違えたかも?と思った。

嫌なことがあっても、サラリーマンの割にお給料もらってるし、と腑に落としている同僚をみた。これは私にはできない腑の落とし方だ。しかし甚だ上手い生き方だと感じる。

終身雇用制度を敷いた高年収企業。up or out? そんなこと全くない。よっぽど倫理的にアウトなことをしなければoutなどない。腑に落とすことができれば生涯働くには持ってこいの会社だろう。

私は小賢しいので、それができなかった。自分にはもっとできる、と思ってしまった。限られたソリューションで顧客の問題を根本的に解決できるわけがない、と日々車中で考えあぐねていた。表面的な解決手法に満足し、自己保身ばかりする上司を見ていたら、魔が差してしまったのだ。限定的な手法の中でも顧客にできることは最大限尽くそうというやる気を私は自分で折ってしまった。


私は日本が好きだ。生まれ育った国という理由だけでない。ハイコンテクストな奥深い母語を持ち、島国独特な歴史と文化を持ち、他の文化を迎合しては成熟してきた。パクスジャポネになることはなかったが、たった38万km2にもかかわらず経済大国にもなった。当時の日本の経済を動かしていた国民は称賛の的である。大国アメリカにも貿易摩擦という形で喧嘩を売ってるのだ。(負けたが)

資本主義を敷くからには経済を枯らしてはいけない。だから日本の経済を支えていきたい、事業会社だったら日本のGDPの10%を担うメーカーに入りたい。という理由で私は前職場に入社した。これは結構ガチだ。あと地獄が見たかった。

ちなみに、地獄、という観点ではあまり地獄ではなかった。外銀や官僚の友人の方が地獄な気がする。労働時間は長いが、無茶な事は言われないし、サボり方を知ってしまえば生ぬるい。同期間で言っていたのは、

「いる」を、する。それができればいい。


私にとっては他の会社でもよかったのだ。この会社の価値といえば、お給料の良さとワークライフの徹底的な切り離し。家族を持ち長く働くには持ってこいだと思う。

もちろん前職の製品は現在どこの製造業にとってもなくてはならない製品になっている、社会的価値は非常に高い。(開発職の皆々様は昼夜問わず勤しんでいると聞く。心から尊敬している。)

社会貢献を通じて自己実現をするにはこの会社でなくていい、だから私は退職を決意した。

私はただの世間知らずのお嬢ちゃんだ。でも世間知らずなりに好奇心が強い。いろんな世界を見にいきたい。私の未来に幸あれ。


熱湯の中に入れられたカエルは飛び出す。

常温の水に入れられたカエルは、熱を徐々に加えていくと温度の変化に慣れてしまうのか、飛び出さず、そのまま茹でられ死ぬ。らしい。


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