おしまいとか「成長」とか

過去に拘るというか、消せないセーブデータを持て余す人達のぐちゃぐちゃを解す話だったのすねR。

戻りたい:武川、和泉
時間止めた:部長、菊之助
戻りを心配:牧
維持で忙しい:春田、ちず、マイマイ鉄平、マロ蝶子とか

未練はいつまでもキラキラでなかなか朽ち果ててくれない。
選択を悔いてない人とて常に順風なわけではない。
大事にしまったはずの思い出がトラバサミに化けて脚をやられる。

行動を起こせば状況は変わるので、結果がどうなるか分からないままもがくいい年した大人達の思春期ぐっちゃぐちゃ、そんなの最高に決まってるだろいいかげんにしろ。
記憶をなぞり過ぎて動けなくなるとか未来が見えないとか、用法容量を勝手に上回るのをちゃんと制御すれ大人なんだからっていうあれです。
整頓して目の前に並べられるともうほんと勘弁してください許してくださいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
話はふわっとして優しいのに、突然スパっといくのやだこわい。

おしまいから始まる何かがあっていい。
公安組もおにまい。
ラストみんな幸せに見えたのは、ヒネないで状況直視して考えて行動したんだから、全部最良の選択だったと思える未来であってほしいからです。
悔いがチラ見したら同じルートでもバッドエンド感が出る。やり切ったんだから全部トゥルーエンドだす。それで終わるわけではないし続いていく。
変化しながら続くことに希望が持てる、その訓練はしてこなかったなあ。

で。

今回春田関連の「成長」がとても興味深くてですね。気になります。
・家事スキルが向上した春田へ、牧から「成長」
・イベント幟旗を届けた春田へ、マロから「成長」
・周囲のために春田が自ら望む「成長」
他にもちょくちょく。いい悪いとかではなくて。

身長が伸びたとかの数値で誰でも確認可能な「成長」と、評価する誰かにとって好ましい条件を獲得したことを祝う「成長」との違い、ですかー。
祝福は主観で発生するのだからそういうものなのでしょう。評価者にとって祝福に値すると判断した。なるほど微笑ましいわけです。
認め合える基準や評価の機会はいくらあってもいい。
ごちゃっとした仕組みを簡素に「成長」と呼ぶ効果、よいものです。表現にはぐちぐち拘りますが、それはあくまでも私個人の興味です。
でもなんかすこしあたまよくなったきがする!1!

あ漠然と「成長したい」みたいなのは実質何も言ってないのと同じで、気持ちだけ盛り上がる危険についてちずは釘刺してたんだ。
実際自分の力量上がったとか自覚するの無理で、それこそ迷走するやつだ。
春田も牧だったと。入れ子が何重にもなってるんはあああ!


ところでマロ、モンスター新入社員が頼もしい企業戦士になっていました。
でもマロっぽさは変わらずマロのままです。
この場合は「成長」なのか。そういう評価はなかったような。

2018のマロは営業成績が良くて要領もよくて、クソ度胸クソ失礼。
のびのび育ってRでは牧のフォローもバリバリできる。クソ度胸クソ失礼はあまりかわってなげ。
牧はモンスターだった頃の二営マロも知ってるから、業務の段取りから後に必要な作業までルーチン組んで廻せる本社マロに驚いたり頼もしそうな反応したりと変化を認識していたはずです。でも特に成長とかは言ってない。
あ。牧はそういうの言わなそうだったもんな。2018の牧なら言わない。つか誰に対してもそういうの無い。それが牧だったんだよ牧ぃ。
R通して牧も適応していったのよな。人との関わり方が柔らかくなった。
どっちの牧もいい牧ですよ。
その牧でも、マロには「成長」評価をしていない。前半は牧がその準備できてなかったし、後半は知らない所で言っててもおかしくないけど既にマロの仕事中の振舞いが漢前すぎて評価対象ではなかったし、そういうものか。
ペースを作るのがもし牧だったら言ってた可能性はあるけど、そういう関係でもないから言う状況が無い。ほう。
春田については、特に家事なら牧がペース作るから評価をする立場にある。
そういう関係ができていない場合、評価自体が発生しない。なるほど!
牧が春田を廻せるようになって二人の連携が取れるようになる。
最高にも程があるって。

もしかして、「成長」と評価できる関係に満足覚えたのか私は。
作業が廻るなら別に言わなくても差し支えは無い。でも言ってると嬉しい。
業務時間内に無駄口叩ける環境、そのようにできるある種の能力。社会人のというか大人の処世術をじんわり身につけていってるわけか牧が。
それは嬉しいですよなるほどそういうことで。

なんでこんな重箱の隅突きで勝手に納得できてしまうんだろう。
隠しFAQ充実のようでもあり、人間の行動を丁寧に標本採取してあるなら当然のことのようでもあり。

それはそれとして相変わらず男の名前覚えないマロは健在で、業務叩き込んでる後輩くんですらネームドになれないというのがよかったです。別によくはないのだけど、そういうものとしてうまくやるのがなんかマロっぽい。
どこにでもいる妖怪系上司の幼生から変態途中みたいなマロでした。
マロだと思えば憎めない。いいなこれでいこう。


追記なんですが。
和泉の印刷習得もこの括りに入りそうなのだけど、引っかかるというか。
退職のギリまで業務用スキルを身につけるのはだいじ。できるようになったら周囲が認めるのもだいじ。どれもいいシーンです。なのだけど。ど。

和泉のマカー設定がちくちくするのです。
これがあるためにカテゴリ「改宗」になり得るのではないかと。
気にしなければ気にはならない。しかし無視してしまっていいものか。

ラスト和泉も渾身の春田ジャンプで各種環境を変えている。それまで「変えてはいけない」と自ら縛っていたものの一つに含まれていたとしたらです。
一般的には特に疑義もないからこそ宗教対立のひとつとして描写しても何ら問題ないということになったりする可能性があるのではないか。
しかも解決してもいいケース「本人の意思」によるやつです。
常に乱世で研鑽する人達の見ている世界はなかなか過酷ぽいすが、その中でできる表現を模索し続けてるのかなあと。思ったり思わなかったり。