家弓社長を愛しています

自分を愛すること。

自己肯定感、誇り、プライド。

世界中の性的少数者が、その集まりにこの言葉を掲げるのは、それだけ自分の正直な姿に自信を持てず、他人に受け入れられないことに怯えてきた裏返しでもあると思います。

私もそんな一人でした。

けれど12年前、自分のことが大好きで、心から自信に溢れた、おもしろい人と出逢いました。

「世界は自分を中心にまわってるに決まってるじゃん!自分の頭で考えてるんだから!」

「好きなら秒で手を出すよ!ダメでも全然傷つかないよ!相手のタイプじゃなかっただけだし、何なら俺を選ばないなんてもったいないなって思うかな!」

「なんで街で手をつなげないの?そんな二度と会わない知らないやつらにどう思われるかが、自分の好きな気持ちより大事なの?」

堂々とこんなことを言い切る人は初めてでした。

そうだ、その通りだった。

でも、自分の脳みそじゃそんな風に簡単にはできないんだよ。

彼は、掲げたりしなくても、まさにプライドのかたまり。

私の前にあらわれた、眩しい太陽でした。

10年以上、お店の運営やメディア仕事、講演などで共に動き、皆さんからもブルボンヌとコンビキャラのように受け入れてもらっていた、株式会社Campyの代表取締役、家弓社長です。

そんな彼が、事故に遭いました。

3月8日

春からのラジオ番組の打ち合わせのため、家弓社長と都内に出ました。

「ちょっとしたアイデアでネガティブをポジティブに」をキーワードにした新番組で、自分たちの想いや伝えられることを素敵なスタッフの皆さんと語り合い、終わった後はカフェに寄って「こういうテーマの番組のレギュラーに迎えていただけるなんて、今まで一緒に動いてきたことが実になっているようで嬉しいねぇ」なんて話しました。

仕事がまた少し増えてきたので、新宿のショップをまわって、ヒールが半透明のかわいい靴を社長に買ってもらいました。

道を歩きながら、ずいぶん久しぶりに、斜め後ろから「た~かし!」と名前を呼びました。何でもない時の呼び方なので、「何?」ではなく、「はぁい」と答えてくれました。

3月9日

前夜に送った「今日は靴ありがとうね」というLINEに「はーい!」という返信がありました。

その後、会社のグループLINEで、仕事に関することをいくつか送ったのですが、夜遅くなっても返信がありません。

少し不安に思い始めた深夜に、副社長のミノルから着信がありました。会社のメールアドレスに、家弓社長のお兄様からの連絡が入ったと。

「本日昼前出社するためバイクに乗って出かけたのですが、隆史の乗ったバイクと乗用車が接触事故を起こし、隆史は大学病院に緊急搬送されました。処置はしましたが意識不明の重体で集中治療室に入っています。」

ガクンと膝が崩れ落ちました。

またこの感情だ。

8年前、会社を設立した直後に、家弓さんの白血病を聞かされた時のショック。
何度も闘病を繰り返して、今は落ち着いているのに。なんで、交通事故?

震えながらお兄様と電話で話し、すぐに家弓社長のパートナーのマサくんにも電話をしました。

マサくんと家弓さんは22年間、付き合っています。新宿の自動改札で、お互いが通り過ぎた後に振り向き合い、家弓さんが改札を戻りデートに誘ったという、ドラマみたいな出逢いでした。

家弓社長の奔放なところに苦笑いをしながらも、ずっと支え合っている彼氏さんです。過去の性的関係はややこしいのですが、今となっては、私と同居人まこと、家弓さんとマサくん、そこに私のおかんまでくわわってみんなで温泉旅行に行ったりする仲良しです。

少し深刻なトーンからすぐに何かを察したようで「今日は連絡が返ってこないから嫌な予感がしてた」と。二人で半泣きになりながら、不安と祈りを語り合いました。

3月10日

仕事に関わる連絡はなんとかしたものの、どうなってしまうのだろう。

眠れないでいると、猫のけんたが何かを感じたのか、普段はあまりしないのに、何度も何度も顔を舐めてくれました。痛いけど、ありがとうね。

3月11日

ほとんど眠れないままに、収録のお仕事に。

6年間お世話になった山梨のYBSラジオで、SDGsに関する特番を、仲良しのアナウンサー・シオちゃんとで進行します。

ブルボンヌと家弓社長で披露宴を盛り上げたこともあるディレクターさんには前日、事故の件を伝えました。久しぶりに会えるのを楽しみにしていた家弓社長の代わりに、渋谷PARCO店長のチカコさんの同行で現場に入りました。

現場ではあえて家弓社長のことを話さないでいてくださった気遣いのおかげで、スイッチを切り替え、番組収録は無事に終わりました。

夜に、社長宛の連絡が滞っているかもしれないことから、Campy!barのアカウントで、公にも事故の報告。

そして、更新ができなくなってしまったネットラジオ『ジョソラジ』の一時休止のお知らせをしました。

『ジョソラジ』は、コロナ禍でお店があまり営業できなくなっていたこと、ラジオのレギュラー仕事がなくなったことをきっかけに、昨年の春から始めた自分発信のPodcast番組です。

家弓社長にもレギュラーメンバーになってもらって、1年で想像以上に多くの方に支えていただくようになりました。ちょうど1周年のスペシャル回を配信したり、記念のYouTube顔出し生放送をやる予定の直前の事故でした。

レギュラーが集合しての1周年記念回の収録は済ませていたので、これだけは先に配信しようとも思ったのですが、編集しようと再生すると、家弓さんの楽しい声を聴くだけで感情が溢れてしまって、どうしても作業ができませんでした。

3月12日

公の発表に、たくさんの応援コメントや連絡をいただきました。とても嬉しかったです。

けれど、3日目も家弓さんが意識を取り戻したという報告はありませんでした。

マサくんも多くの応援の言葉を喜びながら、病院と家弓さんのご実家に行ったそうです。

ただ病院は、親族ではないという理由で、入るのはもちろん、何の情報ももらえませんでした。おとなしい彼が関係を聞かれて堂々と「パートナーです」と言ったというので、少しもらい泣きをしてしまいました。私と同じく、マサくんも家弓さんに強さをもらってきたのだなぁと。

同性パートナーの保障がないと困る問題として、不慮の事故の話はよく出ますが、本当に不幸な時により不幸にさせられてしまうのが、法的保障がないということなのだとまた思い知ります。

ただ、お兄様から、意識は戻らないものの、18日に骨盤や脚の手術が決まったと連絡をいただきました。

毎日、通話やLINEをしあっているマサくんと、「これは、手術に耐える体力や回復の見込みがあるからこその判断だよね。希望が持てたね」と励まし合いました。

3月13日

この日は、NHKの『阿佐ヶ谷アパートメント』という番組の収録で、やはり家弓社長の代わりのスタッフに同行してもらって、なんとか女装パフォーマーとしての振る舞いをこなしました。前日に少し前向きになれる情報があったのが救いでした。

収録終わりに、ツイッターもつながっている阿佐ヶ谷姉妹さんが「最初は話さないほうが良いと思っていたけど、社長さん心配ね」と声をかけてくださって、本当に毎回、現場の皆さんも私の演じる姿が崩れないように気を遣ってくださっていることに感謝しました。

家弓社長なら絶対に、気持ちが弱っているから仕事から逃げるなんて良くないと言うはずだから。

「装う」ことを仕事にしたのだから。

3月14日

意識不明がこんなに続くなんて、という不安のままに、この日もマサくんと話し合いました。

病院に行った時に、入れてはもらえなかったけれど、看護師さんに「おこがましいですが、自分の名前を声がけしてもらったりできませんか」と頼んでみたそうです。やってくれるかんじではなかったらしいけれど。

私の勝手な思いですが、意識不明の時って、大事な人が手を握ったり、声をかけたり、そういうことこそ、化学薬品などよりも、ひとの生きる力に刺激を与えてくれそうなのになぁ、と。規定などで仕方ないことなのでしょうが、正直悔しく思いました。

3月15日

六日間の意識不明。ネットなどで意識不明の期間について調べたりしていました。

皆さんからの心配や祈りも多くいただいていたので、私自身やマサくんの希望にもなっている金曜日の骨盤と脚の手術のことをツイートしました。

多くの方から、祈りや「家弓社長は絶対に回復する」という言葉、また私や周囲の人たちの心労をねぎらう声をかけていただきました。

マサくんが物理的に声をかけたりするのは、すごく効果があるはずだと思っていたのに、ふと皆さんの祈りというのは、意味があるんだろうか、などと失礼なことも考えてしまう自分がいました。

でもそれは、実際に彼の意識に届くのかどうかが問題ではなく、家弓社長という存在の大きさ、必要とされている現実を、私たちが実感できることに意味があるのでしょう。私やマサくんの不安や苦しみに同じように寄り添い分かってくれている人たちがたくさんいる。それはとても心強いことです。

3月16日

意識が戻ったという連絡はやはり来ません。

毎日やり取りしていたマサくんが、一人で闘っているのが心配でした。

うちには、感情が欠落しているのかと思うくらいに動じない同居人のまことがいます。

「あんなに一緒に過ごして、いつも美味しいものももらって良くしてくれてた人なのに、悲しくないの?」

と聞くと

「そんなん、悲しんだところで何も変わらんやろ」といけずな京都弁で返されます。

でも、この「悲しんでいてもしょうがない」って家弓さんも同じことを言うだろうなぁ、と思います。

うちにこういうまこと、そして猫がいることは救いでもありました。でもマサくんは今は一人。

そこで少し前から、マサくんの予定がない17日に会おうと話していました。うちに来て猫を触ったり、のん気なまことと3人でご飯を食べることで少しでも気持ちが楽になれば。

待ち合わせなどのやり取りをした数時間後。

マサくんから着信がありました。

声のトーンで、すぐに良くない話だと分かりました。

“お医者さんが、家弓さんには、もう意識回復の見込みはないと判断しました。

そのため、18日の骨盤と脚の手術も無しになりました。

明日はお兄さんと、集中治療室を出る手続きに病院に行くことになったので、そちらには行けません。”

そんな、嘘、そんな
いろんな声と嗚咽が出ました。

向こうのマサくんと二人で、
叫ぶように吐き出すように泣きました。

もう家弓さんと話せない。

10年前から、お店もメディア仕事も講演も、いつも家弓さんが一緒だったのに。

オネエバブルのような時期に、たくさんゴールデンタイムの番組にも出させていただいたけれど、ひな壇で強いおもしろ発言などができずにいつも自分はしょげていました。

そんな時、家弓さんは事務所社長として「もっとうまく演れ」なんて言うどころか「向いてない方向性が分かって良かったじゃん」とけろっと言うのです。

「俺は、ブルがやっている仕事のうち、真面目に人に希望を与えれるようなのが向いてると思うよ」と、講演や、ベースがまじめな中でユーモアも活かすタイプのお仕事を重視してくれました。お店も大騒ぎもしつつ、熱い話や人を救えるような機会を大事にしていました。

自分の今のかたちも自信も、家弓さんがいてこそ作られてきたのに、これから誰と道すじを相談して、誰と仕事の喜びを分かち合えばいいのだろう、と人生の道が途切れるような寂しさと不安でいっぱいになりました。

太陽のような笑顔や、元気な子どもみたいな振る舞いを思い出して、胸が張り裂けそうになりました。

3月17日

また眠れないようになりました。

そんな日に限って、救いの同居人は出社日。

ずっと不安感やぼーっとするような感覚が続いて、食欲も湧きません。

デジタル写真立てのスライドショーに、多過ぎる家弓さんとの写真が出るたびに気持ちが揺さぶられるので、写真を風景に変えました。

マサくんやおかん、昔からの親友など近しい人に連絡するたびに泣き崩れ、その瞬間は高ぶった感情を吐き出すことで気が紛れても、また一人の時間には嫌な感情に襲われる。

朝も昼も食べないままで、ただ辛いだけの時間が過ぎていきました。

明日はNHKラジオの生放送で、インタビューをしてもらう予定なのになぁ。

今までは希望を持っていたし、役割を演じる面もあったけど、明日は自分自身の、しかも今まで家弓さんと頑張ってきた仕事のことを聞かれちゃうんだよなぁ。崩れずに、答えられるんだろうか。番組を台無しにしてしまわないだろうか。

家弓さんと出張先のお散歩で、よく口ずさんでいたaikoさんの歌詞を思い出します。

「もう少しだけ信じる力下さい」

夕方、お兄さんと病院に行った帰りのマサくんから着信がありました。

冷静に辛い経過を聞くつもりで受け取りました。すると、声が少し興奮気味です。

“お医者さんから、昨日から今日にかけて、家弓さんに指などの反応が出だしたと言われたんです。

それで今日は、お兄さんと病院にも入れてもらえて、リモートで家弓さんの顔を見て、呼びかける機会をもらえました。

「家弓さん!」
「また美味しいもの食べに行こうね!」

っていっぱい呼びかけていたら、

家弓さんの目が開いたんです!”

わーーっと声を上げて泣きました。

“お医者様が言うには、

意識があって目が開いたのか、外からの刺激に対して生理的に反応しているだけなのかは分からないとのことですけどね。”

絶対、マサくんの声が届いたに決まってるよ!と言いました。

すごい、すごい。ギリギリのタイミングで、家弓さんが力を振り絞ってくれた。マサくんが呼びかけてくれた。

やっぱり大事な人の声や触れ合いにはすごい力があるんだ。

こうしたことを受け、家弓さんには意識回復の兆しがあると判断され、集中治療室を出る予定はなくなり、治療が継続されることになりました。

もちろんまだまだ予断を許さない状況です。

そして厳しい話も聞きました。骨盤の状態から、もう歩けることはないと覚悟してほしい。食事も普通にはできないかもしれない。呼吸器の関係でずっと施設にいないといけないかもしれない。

どれも普通なら残酷すぎる宣告です。それでも、昨日覚悟させられたことに比べたら、私もマサくんも、意思疎通ができて、いろんな想いを報告することができるかもしれないだけでも、まるで違います。

可能な限り回復に向かった末にも、旅行も美味しいものも大好きな家弓さんが、どれくらい辛い想いを抱えるのかも分かりません。

それでも、家弓さんにたくさんもらった感謝を伝えて、これからの時代のいろんな技術を使って楽しい想いをまだまだしてもらえるかもしれません。

この先、今の希望がまた覆されるようなことがあっても、今日までに起きたことは私の中で、本当にすごい体験でした。

今は、家弓さんに報告ができるようになることを信じながら、それまでの仕事ややるべきことをこなす力をもらえています。

奇跡を起こしてくれたマサくんともこれまで以上に支え合うつもりです。

家弓さんへのたくさんの想いを伝えてくれた皆さんも、ありがとうございました。

自分を愛していなければ、
人のことなんて愛せない。

自分の中に溢れた愛が、
人に与えられるように。

10年かけて、私の中に自分を愛する気持ちをたくさん注いでくれた家弓さん。

ありがとう。愛しています。


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