僕と麻雀 1浪編4本場

「赤面症」

GWの休みも終わり、予備校生活はチュートリアルを終えていざ本番となった。淀川の河川敷で遊んでいるうちに、理系のクラスや私大クラスにも顔見知りが増えてきた。女の子の知り合いも少しばかり。

当時の僕は赤面症だった。

小さい頃から、どうも女子を過剰に意識してしまう癖があった。1年間しか通っていない幼稚園では、隣の女の子と手をつなぐお遊戯は恥ずかしくて恥ずかしくて顔が真っ赤になりとても嫌だった。

小学校に入学してからもそれはほとんど変わらなかった。6年間で女の子に自分から話しかけた記憶はほぼない。

中学時代は中学校でもほぼ皆無だった。隣の席の女子から話しかけられても、相手を見ずに曖昧に返答する程度だった。そして、それくらいの接触でも顔から耳まで真っ赤にしていた。

ただ伸学社(入江塾)で指導部(生徒会活動みたいなもんかな?)にいた時期もあり、後輩に教えたりすることでいくらか接する機会は増えた。塾の同窓会に出席したら、当時のことを覚えていて男女問わず話しかけてれくれる先輩後輩たちがいることは有難い。少しは人の役に立っていたのかも。塾の中では入江先生に見つからないように目立たなくしていたんだが、それなりの存在感はあったんでしょうね。

高校時代は男子校だったこともありさらに機会が減った。

高2になってI川から声をかけてもらってK野高校の文化祭に行った。まだこの時は麻雀を知らなかった。

共学校の文化祭は女子がいるのでやっぱり華やかだったような・・・。誰と行ったんだろう?何を見たんだろう?どれくらいの時間いたんだろう?全く記憶に残っていない。

ただ一つだけ記憶していることがある。とある教室に入ろうとしたら、中学時代の塾の同級生のFさんとすれ違った。そして少しだけ声をかけてもらった。僕の口から出た言葉は「あっ!」だけだった。きっと声をかけてもらったことにも、自分のふがいなさにもあきれて真っ赤になったに違いない。Fさんのことはちょっと好きだっただけにね。。。

高校時代の3年間で家族以外の女子と話をしたのはこの「あっ!」だけってなんだか笑える。人にとっては黒歴史か!?心臓に毛が生えて、面の皮が分厚くて仕方がない現在の僕にとっては、良い話のネタです。

そして予備校生となる。予備校は男女共学。そして初めに書いた通り少しずつ仲の良い知り合いができ、輪が広がるうちに女子とも交わるようになった。

タマオの奥さんはこの時の予備校の同級生だ。当時のタマオは、背も高くて運動神経もよくモテモテだった。そんな中で付き合い始めたS子ちゃんは、とても清楚で可愛くて好印象でお似合いのふたりに見えた。数年前にタマオ家族と一緒にキャネの家に行った。久しぶりに会ったS子ちゃんの印象は変わらずに素敵だったなぁ。

そうこうしているうちに、何人かの女子たちと親密になっていった。麻雀で勝って、そのお金でお茶をご馳走するなんてことをしていた。高校時代の苦労があったからこその今なんだなんてその頃は思うことはなかった。はっきり言って浮かれていた。だって、麻雀、パチンコ、草野球と好きなことばかりして毎日が楽しかったんだから。

「受験生の本分は学習である」それは正しい!そしてその通りだと思う。でも、18歳の僕には自分をコントロールする方法なんて知らなかったし、危機感もなかった。ただ毎日が楽しかった。

女子と交わる機会が増えることで、僕の赤面症は次第になりを潜めていくこととなる。麻雀で勝つことで、彼女たちとお茶に行く機会があったことが赤面症克服には大きい。そして十三の商店街にあった「ウッドベース」という紅茶専門店に出会えたことが、紅茶好きの今に続いています。

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