1990年代の経済発展モデル~長井廉

イギリスの歴史家パトリック・オブライエンは、その著書の中で、1980年代から90年代のアジア太平洋地域での経済ブームの結果、地理的距離や国境がなくなったとしています。

主に、地球レベルの統合が最も進んでいる国際金融の分野を指摘したものです。1986年から1987年の1年間で、通貨取引の総額は国際貿易の総量を上回りました。

さらに、1990年以降、特に中国、ベトナムに対する直接投資、円高による日本企業のアジアの製造業への直接投資が増えました。アジア太平洋地域への直接投資の増加は、この地域が植民地とされていた歴史からみると意外な進展でもあります。

日本式の経済発展モデルは、国内貯蓄と貿易の黒字を通して国内的に資本を創出し、テクノロジーは外から借りて消化、改善するという方式でした。

一方、中国は1950年、1960年代、自力更生を強調した結果、大失敗に終わりました。しかし、1980年、1990年代、開発が進むにつれて海外からの投資が増え、経済発展モデルが完全に変わりました。政府の規制は依然強いが、直接投資への依存が極端に強くなりました。

長期的に、日本型と中国型の経済発展モデルのどちらが成功を収めるか、まだ明確ではありません。しかし、市場の自由化を促進することがアジア太平洋地域のダイナミズムを維持する上で必要です。

日本は金融市場、エネルギー、電気通信の分野で、他の先進主要国に比べると、自由化がやや遅れ気味でした。日本式ビジネスを壊すことに抵抗があったのです。1990年代以降、それを克服して秩序ある市場の自由化を進めなければなりませんでした。


長井廉