現実にはびた一文泣けない問題

この前、「グラン・トリノ」という映画を家で見て(もう3回ぐらい見てる)、またこれでもかっていうぐらい目からおしっこが出てしまって大変でした。

そんな話を友達にすると「お前何でもかんでも泣いてんな」って言われたんですが、いやそうじゃないんです。私、現実には泣けないんです。想像でなら泣けるのに、現実では泣けないっていう人は意外と多いんじゃないですか、というかそう願いたい。

私は想像でなら何でもかんでもしょっちゅう泣いてるんです。映画でもそうですし、アニメでも小説でも漫画でも、それが「現実でない」とわかっているものほど泣かされます。特にアニメや映画なんかだと演出とか演技とかだけでも泣けちゃいます。「グラン・トリノ」ならイーストウッドのその演技だけでも号泣MENですし、或いはアニメなら、「けいおん!」の1期の合宿回で唯ちゃんが夜の浜辺でロケット花火をバックにギターを弾くシーンだけで泣けます、というか「けいおん!」で一番泣いたシーンがそれ。

「グラン・トリノ」彼の長いキャリアの中で唯一、彼が映画内で泣くシーン。「けいおん!」第1期 4話「合宿!」より 初見でその儚い夢に涙した思い出のシーン

こんなに想像では目が失禁してるのに、現実では殆ど泣けない。例えば学校の卒業式とか。周りのみんなが「えっ大丈夫?」ってなるぐらいえぐえぐ泣いてる。そりゃ私も小学校なら6年間 中高なら3年間お世話になった訳だから多少の感慨もある訳ですし、特に小中は地元最後の卒業式で今までの友達とはもう会えないかもしれない、という思いも多少は募る訳ですがそれでも泣くには至れないというか。それよりも「あ"〜俺も歳をとっていくんだな〜〜ん〜ツライ‼︎」っていう方が勝る。

自分は空っぽ人間だし完全なるインドアの人間だし、極め付け文系人でもあるし、無意識のうちに「外より内にいる方が良きこと」になっているのかもしれない。その抑え込んだ感情やらなんやらが音楽とか、映画とか、アニメとか、-表現一般と言ってもいいかもしれない- そういったものを見たり聴いたりすることによって束の間解き放たれ、カタルシスを得たり感動したりしてるっていう風になっているのかも…わからん。

この前なんかはロッキーシリーズの最新作の「クリード チャンプを継ぐ者」を家でもう一回見て、それはまた号泣しました。ああいうサクセスストーリーを見て感動するのもやっぱり外に憧れているからなのだろうか。wannabeなのだろうか。
小説は最近読んでないですけど、ネットの二次創作モノをよく読んだりして、大抵が大したことないんですけど、ごく偶に物凄く上手い書き手がいるんですよね。上手い作品を見せられるとそれだけで泣かされちゃいます。
いや、思い返せばこんなに泣いてんのか自分。 おかしいんじゃないか、主に涙腺あたりが。

いや、なんでこんな話をするかというと現実世界でそろそろ大きな催しがあるのです。多くの人が泣いちゃう感じのやつ。全く泣けないだろうなって思うけど、でもこのままだと感情欠乏のように見られちまうのではないかと心配で心配で。 でも そんなに知り合いもいないしいいか…。こんな考えに至るのも完全に内に篭ってるならではかもしれない。

そんな話ですた。

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