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Les Recherches de Kamizawa

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神沢さんの独断と偏見に満ちたひとりよがりな研究内容。
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#哲学

『成長』について。

私は野球が好きだ。野球は、各選手が己の役割分担をそれぞれ自覚して行い、それが競合相手より上手く合致した場合にのみ勝利できる、そのようなスポーツではないかと私は考えている。 皆が知る野球選手と言えばイチロー選手だろうか。イチロー選手のような高打率の選手は後にも前にも見ないだろう。ところで、よく取り上げられる彼だが、何故そこまで取り上げられるかを考えれば、それは人間の成長可能性を感じさせてくれるからではないか、と思う。 イチロー選手に限ったことではない。「ホームラ

教育について。

昔は教育に携わる者としてどの様に教えるのが正解かということをよく考えた。教える方が相対主義者になって「色んな教え方があり、俺の教え方も正解の一つなんだ。」などと自己満足極まりない教え方をされれば、教わる方はひとたまりもない。 教育(educate)の語源を調べると、外に(e)引き出す(ducere)のが教育であるとされている。ただ知識を提供するのではなく、生徒の中にある潜在能力を引き出すのが教育であるというのは古今東西で語られている。 例えば、中期哲学において「想

意味について。

私は先ほど風呂から上がる時に一つのアイデアを得た。意味とは方向である。つまり存在で語ることはできぬ。ここに於いて「意味がない」というのは「意味がない」表現である。 方向と私が申してゐるのは、イメージで言えば力学の物が落ちていく方向に近い。是には位置エネルギーとかが関連してあろうが、そんなことを言えば忽ち物理の専門家にとやかく言われるだろうから、深堀はせぬようにする。取り敢えず、力学の話で喩えよう。我々が物体Aを持ったまま、静かに是を離す。すると、物体は地面に真っ直ぐに落ちて

道具について。

掲題に関し、我々は誠に残念な一つの結論に達する。 我々は道具を自在に使えているようで、実は道具に従って行動しているに過ぎないということである。 つまり、道具を支配しているようで、実は道具に支配されている。 1.スマホに支配されている。我々はスマホを自分の思い通りに操作していると考えている。好きなように自分を発信し、動画や音楽を思い通りに楽しめ、さらには欲しいものや目的地を直ぐに検索できる非常な便利な道具と考えている。 いや、本当にそうだろうか。むしろ、スマホのできるこ