![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/63002600/rectangle_large_type_2_58d3173473030f9f89490579abeb26b1.jpg?width=800)
適応障害から自律神経失調症を経てうつ病と休職まで
こんにちは!ぼつ美です。
本日は、私のうつ病の診断までの経緯をお話し致します。
まず、私は5歳ぐらいの頃から実の母親に虐待をされていました。母親は双極性障害を患っており、感情の起伏が激しく、殴る、蹴る、は日常で電車のプラットホームから突き落とされたり、包丁やチャッカマンで命を奪われそうになった事もございました。幸い、私の面倒は父方の祖父母が見てくれており、母親が暴れると、祖父母の家まで走って避難していました。
10歳から25歳まではずっと体調が悪い時は夢で母親から逃げる夢を見ていました。半分くらいは、逃げ切れるのですが、もう半分は逃げた先に母親がいて、蛇のような怖い形相で現れるのです。また、お恥ずかしい話ですが夜尿症が治らず7歳から16歳まで毎晩でしたのでおむつをしていました。
10歳の時に父がくもまか出血で他界し、母は出会い系サイトで出会った県外の男性と去っていきました。母が居なくなり、平穏な日々が続くと思っていましたが、19歳の時に極度の倦怠感、焦燥感、パニック症状を発症。大学の先生の勧めでカウンセリングを受診しました。
それから25歳くらいまでずっとカウンセリングに通い、27歳の時に管理職に着任しました。念願の管理職でしたが、PAさんが母親と被ってみえたり、上司からの叱責が繰り返される事から毎日、涙が止まらない等が続き適応障害と診断されました。今すぐ管理職を降りるよう先生から勧められましたが私は念願の管理職、どうしても辞めたくなくてカウンセリングに通うのを辞めてしまいました。
相談できる相手も当時はおらず、毎日苦しくて占い依存症になっていました。ひと月で占いに5万円から8万円ほど使っていました。ただ話を聞いて欲しい、仕事の数字を上げたい、その一心でした。職場の先輩や同僚に相談したら弱みを握られると思い込み、話し相手は占いの先生でした。
その後、今の主人と結婚しましたが、出勤前に泣くのが辞められなくて新たに精神科を受診しました。診断は自律神経失調症とうつ状態でした。
私は詳しくわかりませんが、放置したので症状が悪化したそうです。
当時はストレス解消から吐くようになり摂食障害を起こしていました。
その後、休職と復職を繰り返しながら今に至ります。
続きはまた、掲載します!では次回の記事で!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?