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ボス村松の外科室1「ボヘミアの森」

ボス村松の外科室とは?


 泉鏡花の「外科室」は、通りですれ違っただけの男女が、9年後、医者と患者として外科室で再会し、心中する短編小説です。「ボス村松の外科室」は、この鏡花の短編小説をリスペクトしつつ、心中の後始末と前世に及ぶ因縁を、想像力豊かに加筆した長編戯曲です。
 ボス村松が作・演出・主演・助演・舞台美術・照明・音響・衣装を兼ねたつもりで動画製作を始めました。6分ほどの動画が、20話ほどで完結する予定です。

動画リスト

第1話 >> ボヘミアの森
第2話 >> 伝承
第3話 >> 伯爵の亡霊
第4話 >> 輪廻転生
第5話 >> タチャーナ
第6話 >> 前世の記憶(予定)
第7話 >> 外科室(予定)
第8話 >> 坊主の法話(予定)
第9話 >> 芸術論(予定)
第10話 > 思ひ出(予定)
第11話 > 推理(予定)
第12話 > 想像力がすごい(予定)
第13話 > Re:外科室(予定)
第14話 > 次いってみよう(予定)
第15話 > 悔い改めます(予定)
第16話 > ベンツ(予定)
第17話 > マルチナ(予定)
第18話 > ライオン(予定)
第19話 > イイネ(予定)
第20話 > 女は魔物。(予定)

第1話「ボヘミアの森」脚本

男が美女の背中に鉈を打ちつけて皮を剥ごうとしている。美女は上した頬で、男に懇願する

 えいやっ
美女 あふうっ、もそっと。もそっと優しく皮を剥いでくれまっし。
 俺は狂っているのかもしれぬ。俺は今、ボヘミアの森に鎮座する、ご神木の皮を剥いでいるのだから。

話し込む男が二人。一人は身なりから僧侶と知れる。もう一人は画家だが、この時点では判然としない。ボヘミアに伝わる昔話をしている。

坊主 ボヘミアの森には、精霊の宿るご神木の梅の木があったそうで。
画家 精霊は人に見えますか?
坊主 見えます。絶世の美女と聞きます。

美女 あふうっ

坊主 が、しかし、精霊は人を選び、その姿が見える人間は極わずかとか。
画家 まあそうでしょうな。神秘、怪奇の類は、そこらの人間には隠れて見えないからこそ、ありがたがったり、恐ろしかったりする。精霊なんてのはその典型だ。ご僧侶などは、えいやと念ずれば、その法力でどんな神秘、怪奇も看破されてしまうのでしょうが、
坊主 いやいや。
画家 その点で、ご神木に鉈をふるう男には精霊が見えていたのかどうか。精霊が見えていた上で、ご神木の皮をはぐとなると、相当な乱暴者となりますが。
坊主 男はプラハの生まれで、ウィーンで名を上げた、まあ今時の言い方だと人気アーティストですな。扇子に絵を描く人だった。扇絵師と言うのですか。精霊は見えていた。逆に見えないとなればアーティストの名がすたる。万物に宿る精霊の気配を形にして、眼の塞がったそこらの人間にこれぞと示すのが、アーティストの芸だ。彼らの価値なんてのは、まさにこの一点にかかると言っていい。
画家 これは手厳しい。もう少し彼らに楽にアートさせてやってください。
坊主 何の。本物には精霊が見える、エセには見えない。それだけのことです。男の前に、ボヘミアの森のご神木。樹齢千年、精霊の息遣いを聞きながら、男は鉈をふるった。

 えいや。
美女 あふうっ。

画家 …いやあ、ひどい乱暴者がいたものだ。ご僧侶はどうやら猟奇的な因縁話で私を怖がらせる趣向のようだけれども、ところがどうして、私もですね、業の深い生き方をしておりまして、むしろ、この猟奇の裏に、隠された何かを見てしまう。はい、ある種の…エロスのようなものを。
坊主 裏ではないです。表ですよ、エロスは。この話で見出し太文字ぐらいで押されてます。
画家 あ、やっぱりそっちだったか。
坊主 しっかり受け取ってください。これは聖と俗の境界を越えた、
画家 男と女のね?
坊主 そう。
画家 耽美な官能話でしたね。猟奇的な因縁話などではなく。最初からそう思ったんですよ。で、その男と精霊、どっちが男でどっちが女ですか。
坊主  男が男で、梅の木の精霊が女です。
画家  やはり。
坊主  拙僧の説明が足りてないのかな。不安になっちゃうな。
画家  こちらの問題です。ご僧侶は名調子で話されていますよ。
坊主  恐れ入ります。男の名は

男は梅の木の樹皮を剥ぐ姿を保ちながら語り始める

 我が名は、テオドア・ユーゼンハイム。プラハに生まれウィーンで名を成した扇絵師だ。ウィーンからの帰郷の折り、ヴルタヴァ川に架かるカレル橋の上で、一反の反物が川上からどんぶらこと流れてくるのを見た。この世の物とは思えぬ美しさ、急ぎ流れに入り、橋桁にかかったそれを手にすると、香しい紅梅の香りが鼻を突き、すると天上の音楽が聞こえてきた。見れば反物は、プラハ伝統の梅染めと知れた。どんな梅の木を煮出せばこのような色となるのだろう。

坊主 そこで男はピピンときた。

 ヴルタヴァ川の流れをこのまま遡れば、ボヘミアの森にたどり着く。ボヘミアの森の奥には、千年、二千年を生きる梅の木のご神木があると聞く。この梅染めはきっとご神木を煮出した観音様のお召し物に違いあるまい。俺は憑かれるたように三日三晩、川をさかのぼり、森に分け入り、行きついた小さな滝つぼに、美しい女が水浴びするのを見た。

男の語る物語を、坊主と画家が引き継ぐ。坊主が美女を、画家が男を演じる

坊主 誰じゃ。
画家 生れはプラハ。ウィーンで扇絵師を生業とするテオドア・ユーゼンハイムと申すもの。ボヘミアの森のご神木を探して、ヴルタヴァ川の流れを遡って参った。もし、あなた、ご神木の場所をご存じござらぬか?

備考/あとがき

 演劇用の脚本をアニメ動画にしています。キャラクターが順番に台詞を喋ることで、物語が立ち上がっていくところは演劇とアニメ、どちらも同じ。さほどの齟齬を感じずに今のところは作っています。しかし、やっぱり違うところもある。

 その一つとして、演劇では場面が変わったからといって、瞬間的に役者を消すことが難しいことが挙げられる。舞台袖にはけるにしてもタイムラグが発生するし、役者がいる場所の照明を消しても他の場所が点いていれば、暗くなったぐらいで役者の姿かたちはハッキリと残る。
 どうせ消せないんだから、役者は残しておいたまま別の場面を始めちゃって、舞台上を重層的な作りにするのはよくやる手法で、キマるとカッコいい。

 この脚本でも「美女」の台詞を「坊主」が担当し、「男」の台詞を「画家」が担当する場面が現れる。動画でいうと第1話の最後と第2話の前半。役者が四人立つ舞台の上に、二つの時制が存在していて、それを処理するために、上記手法がとられている。
 この動画でも、その手法を手直しすることなく、台詞を入れ替えて話を展開させているんだけれども、動画では、役者を消せるんですよね。本来的には入れ替える必要がない。脚本を少し手直せば、もっとスムーズに話を進めることができる。でも、それをしなかった。なぜか。

 それは、あるがままのこの脚本を気に入って欲しかったから。実はこの「ボス村松の外科室」はとある賞に応募して、落選した脚本なのでした。傑作なのに。不当だ。くそう。ゴッホは生前一枚の絵も売れなかったと言うけど。俺のは違っていてもいいんじゃないかな。俺のは愛して…。
 そういうことなんでした。
 あと、この脚本をいつか演劇にする時にね、「こんなようなイメージの脚本です」と脚本通りの動画を役者さんに提示できれば、話が早い。

 さてさて、この動画を見て「ボス村松の外科室」を演じたてみたいと思う役者さんがでてくるかな。もしも、あなたが役者さんで、お気に召したなんてことがあったら、ボス村松にご一報をください。
 はたまた「ボス村松の外科室」を製作してみたいと思った団体さんが現れないとも限りませんな。その時もまた、ボス村松までご一報ください。もともと、応募して、賞を取って、誰かに上演されるつもりで書いた脚本なので、うまいこと形にしてやってください。

この文章で上がった収益は、全てボス村松の演劇活動と植毛に充てられます。砂漠に水を。セイブ ザ ボース。