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僕にとっての"櫻井敦司"という人

アーティストを評するとき「表現力」というワードを用いることがあるけど、正直その大半は「笑止!」と鼻で笑ってあしらってやりたいと思うものばかり。

何でって、僕らは「櫻井敦司」を知ってるからだ。

この人がひとたびマイクを握れば天使にも悪魔にもなる。ピエロになったかと思えば髭の女装歌手にもなる。戦渦に慄く姿も、戦渦の中でも無邪気に微笑む少年にも。

類まれな容姿、鋭い眼光、深い声、人柄…その全てで楽曲の登場人物を演じてきた人。

本当に、
大袈裟でもなんでもなく、生きていく上での道しるべのような人だった。
大袈裟でもなんでもなく、この人に、この人の歌に救われた瞬間があった。
 
10月28日Zepp Fukuokaにこの人の姿を観に行くはずだった。

ようこそ、福岡へ。来てくれてたかな?
その時代時代に愛されたアーティストはいても、こんなに長く愛され続けた人はそうそういないんじゃないか。
全国を走ってくれたツアートラック

ライブに行くと何者でもない自分が何者かになれたような気がするくらい、大きな力をもらえた。
この人が演じる曲中の主人公の立ち居振る舞いから僕はいろんな物語を読ませてもらった。その解釈が正しいかなんてわからないけど、それでもいろんな物語を通して見えてくる世界にはちゃんと一貫性があった。時に闇に堕ちる瞬間もありながら、ものすごく愛に溢れた人だった。きれいごとばかりではなかった分、発する言葉にはちゃんと説得力があった。
ある程度現実を知って大人になった今でも「こうなりたい」「こんな人になりたい」なんて、なれるはずないのにそう思わせる本当の憧れ

「ありがとう 言わせて 今じゃなきゃだめなんだ 止まない雨は無い」
本当にそうかなぁと、今はまだ思ってしまう。

報せを聞いた日、感じたことのない胸の重さが僕を支配した。
営業先からぼぉっとしたまま帰社。何とか仕事をこなしたあたりで母親から電話。母は元々BUCK-TICKには興味がなかったはずなのに、そんな母がショックだと泣いていて、僕もこらえられずに涙が流れた。その瞬間感じたことのなかった胸の重さの正体が悲しみであることに気づいた。嗚呼悲しみってこんなに苦しいんだって。

そもそもこの悲しみを乗り越えるなんて無理な話で、むしろ乗り越えられる程度ならこんなに好きになって無いし憧れてない。
 
何より乗り越えるってその悲しみを置き去りにするイメージがして。
何でこんなに悲しいのかってそれは僕らがあっちゃんのことが好きだったからで、そしたら悲しみと一緒に感謝の念が溢れてきて。

だったら、大切な人の旅立ちを、置き去りになんて出来ない、この悲しみでさえ、愛して寄り添っていかないといけないんじゃないかって。

これ、途方もなく難しいことだけど、実際まだまだ僕自身出来てないけど、でも僕らはそれが出来ると思ってる。

何せ僕らはBUCK-TICKを聴いて育ったんだから。


 あっちゃん、
そちらの暮らしはどうですか?恐らくワインも煙草も薔薇もあることでしょうから、よろしくやってるんじゃないかって思ってます。今はただ、穏やかであることを願います。
日々強がって生きてますが、ふとした瞬間強烈な寂しさに襲われます。それもあなたが歌い続けてきた生と死が僕らに刻み込まれている証拠、兎に角BUCK-TICKが好きである証拠。
これからも残してくれた声を支えに強がって生きていきます。ありがとう。

#BUCKTICK #BT #櫻井敦司 #今井寿 #星野英彦 #樋口豊 #ヤガミトール #異空 #あっちゃん #ありがとう

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