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宮崎夏次系【おそらく聞いたことがない話】

へんなペンネームのマンガ家、宮崎 夏次系(みやざき なつじけい)の短編がすごくいい。

自分の祖父の作った塔に閉じ込められる少女、妻にコレクションを燃やされてしまった人形愛好家の男、轢き殺した相手とそっくりの容貌になってしまい、相手の妹と出会う青年、など、ちょっとおかしな状況のなかに置かれた人々の様子が、アニメ絵をくずしたような独特の線によって描かれている。

あたかもファンタジーのような世界であるが、そこに暮らす彼ら彼女たちが感じているのは、現実の私たちが感じている不自由さとまったく同質の、じわりじわりと体をしめつけるような、重苦しい閉塞感である。

私たちと同じく、そのまったりとした責苦のなかで、もはや悲鳴をあげることも叶わず、目をつぶり、耳をふさいで日々を過ごしている彼ら彼女が、いくつかの些細な事件、あるいは重大ではあるが淡々と描かれる事件に遭遇したのち、物語は、すとん、と終わる。

元来ファンタジーの世界というのは、つらく厳しい現実を忘れるため、ささやかな息抜きのために創造されたものであるはずが、夏次系の描くちょっとファンタジーな世界では、まったく現実と同じ閉塞感が描かれていて、これはSNSのような世界だな、と思った。

私たちは、拡張現実と呼ばれる世界、うつつのことを忘れ遊ぶ世界を手に入れた、はずだったが、なんのことはない、SNSで繰り広げられているのはあくまで現実と地続きの、下世話な感情の交錯であった。

もはや仮想現実の世界が私たちを現実から解き放ってくれるわけではないことが、はっきりしたわけだ。

夏次系は、そういう認識に立っている、というか、そういう認識が体に染み付いた世代の作家だと、思うのだ。

私たちにはどこにも行く場所がない。

作中で、少女は祖父にこう告げられる。

「この家にずっと」

「ずっと一人で居ろ。」

「一人で居ることを忘れるくらい」

「ずっと一人で居ろ。」

「二度と淋しい思いを」

「しなくてすむよ。」

この閉塞的状況。

そのなかで、あえて作風にちょっとしたファンタジーを持ち込む理由とはなにか、この作家のマンガは、そういう自問自答を繰り広げているようにも見える。

あがいている。

そして、物語の終わりにいたって、作中の人物たちには、ほんの少しだけ、状況を打開するためのきっかけが与えられる。

それは、ハッピーエンドに似たバッドエンド、ないし、悲劇のような喜劇として訪れる。

短編集には、ボーイ・ミーツ・ガールものが複数収められているが、その多くが、一時の邂逅のすえ、結末ではふたたび離れ離れになる。

しかし、このマンガの結末には、単なるハッピーエンドでは味わえない、不思議な開放感がある。

希望というほどの輝きはないが、背中におぶさった荷物が、ふと軽くなる瞬間。

「この先は知らない道」

「不安で後ろめたくて」

「少し気持ちいい」

・『変身のニュース』 宮崎 夏次系 講談社

・『僕は問題ありません』 宮崎 夏次系 講談社 

・公式ツイッター宮崎夏次系情報
https://twitter.com/natsujikeinfo


About【おそらく聞いたことがない話】
これは、ある転職歴の多い三十代の男が、あなたが聞いたことのないかもしれない事柄について書いた文章【おそらく聞いたことがない話】です。

#bornweb #おそらく話 #宮崎夏次系 #マンガ

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