190820-「○○県はどうなってほしいか?」という問いに悩む。。。

悩ましい、ある問いかけ

パワフルAOMORIも含め、最近、県主催のセミナーなどに行くと、よくある問いがあります。

・青森県はどうなってほしいか?
・青森県にとって幸せな将来はどんな状況か?

といった、青森県の将来についての問いです。

正直なところ、僕はこの問いに対する想いはあまり持っていません。
なぜ、この問いに対して違和感があるのか、わかった気がするのでまとめてみました。


1)青森県が身近な存在ではないから?

八戸市に住んでいるので八戸のことは日々の生活で感じているが、青森県を感じることは少ない。

なので、もし順位づけするなら、
 1)八戸市
 2)八戸圏域(三八)
 3)一戸〜九戸
 4)南部(岩手含む)、青森県

このくらいの感覚でしょうか。青森県の存在は同率4位くらい。「のへ」よりも興味としては下の存在。どこに属していると感じるかという単純な話と言える。


2)前提に違和感ない?

前提として青森県が存在する話で進めているが、それほど遠くない将来、青森県はなくなり、北東北府くらいでは合併すると思う。それなのに、青森県はどうあるべきか?みたいな話だから違和感があるのかもしれない。

もし、北東北府になるとしたら、青森県ではなく、南部文化圏や津軽文化圏(下北も別枠で必要と思う)として、どうあるべきか?という問いが正確なのかもしれない。北東北府の時代になった時、南部と津軽はそれぞれの地域性を尊重しあいながら手を取り合いたいのか、それとも。。。

このように考えるなら、「こうあってほしい」という回答は具体的になりそう。

3)「県」にとって? 「県民」にとって?

最後の違和感は「県」にとって、という問いかけ。「県民」にとってなら自分ごとになるからわかりやすいのに、なぜ「県」にとってと問いかけるのか。

極論として言ってしまえば、、、

「県」としてはどうなってもいいけど、「民」としては幸福を感じる未来であってほしい。


じゃあ、青森県には何を望む?

上記の通り、違和感を整理できました。では改めて、青森県には何を望むかを考えてみる。僕がこうあったらいいなと思う将来は下記の通り。

・それぞれの地域、そこに根ざす文化が残っていて、体験できる状態であってほしい。
・故郷を感じられる状態であってほしい。
・そこに生活する「人」を大事にする地域社会であってほしい

この3つかな。
青森県だからという要素は何にもなくなっちゃったけどね(笑)


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