じいちゃん

じいちゃんと最後の握手を交わしてきた。

多分最後なんだろう。

幼少期から、確かに大きく影響をじいちゃんから受けた。

核大家族で、じいちゃんは俺が意識を持つ前からずっとそばに居て、大きくなる時もずっとそばに居た。

学校に行く前に、じいちゃんに「行ってきます」を言って

学校から帰ると、まずじいちゃんにを「ただいま」と言う。

両親は共働きだから、夜まで家での時間はじいちゃんと一緒だった。

ルーティンは決まっていて、

ムシキングに毎日連れて行ってもらっていた。

ショッピングモールで一回やって、その後ホームセンターにあるサーティワンを食べながら帰る。

僕はいつもホッピングシャワー
じいちゃんのは覚えてないな

じいちゃんの車はオートマでかつ古いから、エンジン音がとにかくうるさかった。ガタガタ速度変えて、窓を開けるときは手回し式だった。

そのあと帰ってからは、母さんがご飯を作るまで一緒にお風呂に入って、

ご飯を食べたら、将棋を差す。

日曜は大河ドラマを一緒に見ながら、自分が将軍になった気持ちで将棋が出来るから格別だった。

じいちゃんとの勝敗は五分五分だった。
小学生相手だから手を抜いていてくれたのかはよくわからない。
けどちゃんとじいちゃん悔しがってたな。笑

幼稚園や学校に行きたくなかった僕は間違いなくじいちゃんっ子だったんだろう。

じいちゃんはお酒が弱いけど、毎日晩酌していた。
業務用の焼酎をお湯割にして、一杯で茹蛸状態。

ご機嫌になってくると、

僕「そんなに酔って大丈夫??」
じい「これでいいじゃ、あーりませんか!?」

僕「そんなにお酒って美味しいの?」
じい「当たり前田のクラッカー」

親父ギャグだとしても意味がわかんないし、世代も違うから全く伝わらない。
なんかご機嫌に「せーのっ」って一緒にギャグを連呼させられた。

けど、じいちゃんは嬉しそうだったからそれでいいやって思っていた。

じいちゃんは時々、頑固だった。

足音がうるさい。
ゴミの捨て方が違う。
犬を連れてくるな。

優しいじいちゃんしか知らなかった僕にはちょっと衝撃だったけど、今思うとかわいいよなって思う。

変なところこだわりが強いのは、職人気質な性格だからだったのだろう。

ガス会社で働いていたじいちゃんの手はゴツゴツしていて、爪も分厚くとても大きく立派だ。

オートマのギアをガチャガチャ変える時に、その手を見ていた僕は、将来こんな感じの大人っぽい手になれるのかなぁって思っていた。

上京してからは、じいちゃんに会うのは年に1.2回になった。

新幹線とかで帰ると大体昼くらいに家に着くから、やっぱりじいちゃんが居て迎えてくれる。

じいちゃんは相変わらず元気だった。

結構歳もいっているはずなのに、毎日地域のグランドゴルフをし、夜には揚げ物を頬張る。

職人気質だからゴルフクラブとかもこだわったマイクラブとマイグローブをつけていた。

久しぶりに会うと、最初若干他人行儀になるのかわいかった。

けど、やっぱりすこし嬉しいのか何も言ってないのに、「ご飯食べたんか?」「食べたんやったら温泉行こうか」と孫と何かをしたい様子だった。

お気に入りの温泉にも連れて行ってもらった。
地域のシルバー世代がお安く入れる温泉。

東京で色々温泉に入っている自分からすると、とっても微妙なクオリティとコスパだったのは内緒だ。

ただ、自慢げに我が通いつけの温泉はどうだという顔が微笑ましい。

じいちゃんは地黒だ、年中無休で真っ黒だ。
腕の色の違いを比べ合ったのはいい思い出だ。

ただ、帰るごとにじいちゃんが出来ることは減っていった。

ゴルフへは時々しか顔を出さなくなり。

晩御飯は残すようになり。

車の免許は返納し、どこかへ行く時は俺が運転していた。

しょうがないとは思いつつ、その影の小ささを感じると孫として寂しく思う気持ちはあった。

2ヶ月前、じいちゃんが癌で倒れたと連絡が来た。

始めたばかりの仕事だが、一目散に帰る決断をした。

予想はしていたけど、見たことがない弱々しいじいちゃんの姿に胸が締め付けられた。

声は小さく、一人では歩けない。先は長くないのは目に見えてわかった。

親戚がたくさん集まり、じいちゃんと話せる時間はあまりなかった。

なかったし、なんて話したらいいかわかんなかった。

元気になってね?
きっとよくなるよ!

どれも軽い言葉に思えてしまった。

けど軽い言葉しか自分には思い浮かばないし、軽い言葉をかけるしかなかった。

先週仕事中に、親が面会時にビデオ通話で繋いでくれた。
ただ何も反応がない。
顔もこけ細り、色も白くなっていた。

ちょうどその日の夜、「あと、10日持たない」と連絡がきた。夜行バスで帰り、面会に向かった。


覚悟をしていた。


ただ、じいちゃんは色がちゃんと黒く、部屋が狭いとカーテンを開けるように指示をするほど頑固で、手はふてぶてしいほどゴツゴツしており、爪は色鮮やかに立派だった。

俺の知っているじいちゃんだった。
確かにベットには横たわっているし、声も出ていないけど、なぜか安心をした。

「また将棋しようね」

そう言って、最後に両手で握手をし、面会を終了した。

後から聞いた話だと、今日は本当に元気だったらしい。日によって調子が違ってくるみたいだ。

面会のためだけに岡山に帰ることは多分もう出来ない。

次帰る時は、見送る時だという前提で帰ってきた。

ただただ、その次がもっともっと先になってくれたら、もう一度、大河ドラマを見ながら将棋をさせる日が来てくれたら。そうやって祈ることが僕に今できることなんだと思う。


今この時間は、いつまでも続くものではなく、いつかは消えてしまうものなんだ。

大切なものをちゃんと大切に出来るように生きていきたい。



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