カフェノート「努力」
「苦労が苦労にならないように、苦労が生きがいと感じられるようにならんとあかんな。」松下幸之助
掃除がめんどくさいと感じることがある。
我慢して、ほうきを握る。
長時間の掃除は、我慢との戦い。
けど、そういう時の掃除は基本的にうまくいかない。
上手く行く時もあるけど、それはその中で面倒という感覚が無くなっているから、上手く言っているわけであって。
面倒で嫌で、苦労に感じてやっている間は、上手くいかない。
そんな時は、比較的短期視点で物事を見ようとしいてる。
この後、あの用事がある。締め切りのある返信をなんてすればいいのか?けど、面倒くさいし、なんか理由をつけて逃げてしまいたい。あの人に、こんなこと言われたけど、自分は何がダメだったのか?
短期的思考に、脳のメモリが使われる。
しかし、この思考には生産性がない。
考えても、何も解決しない。進展しない。
だから、その時間には充実感を感じない。
達成感を感じない。
ただ、脳内の中で問題をこねくり回し、時間を浪費しただけ。
つまり、長期的視点を持った上での掃除はとても価値を感じることがある。
自分がどういう人物になりたくて掃除をしているのか?もし、自分の尊敬する人ならどんな行動、思考をしながら掃除をするのだろうか?あの本に書いてあった内容は、自分にどう還元するのか?あの人の言っていたことは、他の人に当てはめるとどんなパターンになるのか?
そうやって考えると、自分の考えや行動が新たになる。
考えたからこそ、新しいものが生まれる。
その感覚が多分好きなんだと思う。
新しいものにたどり着けたこと。シナプスがつながって知識としていたものが知恵に変わること、これがとても大好き。(それに甘んじて行動が疎かになるのが傷)
けど、それを朝一にやるととても気持ちがいい。
朝一の時間は多分、1日の中で一番気持ちがいい時間帯。
昼間と違う匂い。
人が少なく空気が澄んでいる。
光の差し込みが自分に向けられることが多い。
音がないから、ほうきの音がよく聞こえる。
雑念が生まれにくく、思考もすっきりしている。
そんな素晴らしい習慣に出会えたのは、僕の人生での大きな発見。
冬になると起きるのが億劫になってくる。
それまでに、何としてもこれを習慣としていかないと、
これに苦労を感じない、苦労でもそれを生きがいと感じられるように。
その一挙手一投足が、全て自分に繋がっているその感覚を取り戻す。
そうすると、全てがワクワクの源泉へと変わりゆく。
道のマンホールも、
いぬのうんこも、
おじちゃんのいびきも、
全てがワクワクに変わる。
毎日がつまらない時。
それは自分が、つまらない人間になっているからかもしれない。
人生をむなしく感じる時。
それは自分が、からっぽの人間になっているからかもしれない。
人生に、うんざりした時。
人生のほうが君にうんざりしたと言っているのかもしれない。
「雪柳の詩」より引用
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