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朝焼けの中で

八つか九つくらいの年ごろだった。  朝はまだひんやりしていた。私は門柱に寄りかかって空を見ていた。  朝日が昇ろうとしていたのだろう、透明な空が色づいていた。    朝早く戸外にノートと鉛筆を持ち出して、私は何やら書きつけていた。  が、空があまりに美しいので、その微妙な光線の変化を書き留めておきたくなって、  雲の端の朝焼けの色や、雲を遊ばせている黄金の空に向かって感嘆の叫びをあげつつ、  それにふさわしい言葉を並べようとし始めた。  けれどもなんという絶妙な光の舞踏・・・・・。    わたしあの朝、初めて言葉という物の貧しさを知ったのである。  絶望というもののあじわいをも知ったのだった。  自然の表現力の見事さに、人のそれは及びようのないことを、魂にしみとおらせた。  うちしおれる心と見事な自然の言葉に声を失う思いとを、共に抱き、涙ぐむようにしていると、  父が出てきて、笑顔を向けてくれた。    何を話してくれたか、もう記憶にない。ただあの時の強い体験にふさわしいようないたわりが、  父から流れてきたことだけが残っている。  空が白くなり、人間たちの朝が動いていく気配が満ちた。  
        「朝焼けの中で」森崎和江

僕が朝焼けを好きになった理由の詩。

冷たく澄んだ空気と、湿りの中からの植物の艶。鼻を通る香りが頭の中を爽やかに駆け抜けていく。

早起きは三文の徳というけれど、これを三文程度で得られるのなら地球は素晴らしいサービス業を営んでいる。


感性というものに支配されて、直感というものに惑わされて生きてきたのだけど、

今は、本当にそれでよかったと思う。


大切なものを見つけることができた。



これからどうなるのかわからない。けど、前に進む原動力が生まれた。


向き合うチャンスがまたやってきた。


なんて運がいいんだ。


どうでもいいことは金魚のふん。君は君の好きなように生きればいい。


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