夢で逢えたらいいのにな
さてさてさて。
何を書こうかと考えあぐねて準備中のまま、こちらnoteを登録しただけになっておりましたが、さすがにそろそろ何か書こうじゃないか!と思い立ちまして。思いつくままキーを叩いてみようかと思います。
今年の夏はいたる処で「平成最後の夏」なんて銘打たれ、焦燥感バリバリで、連日酷暑で、とはいえなんやかんや想い出深い夏になった人もいるかもしれませんね。
私はそこまでの焦りもなく、何なら日々大小問わず自身の自信を失くし落ち込んでばかりで、まったりねっとり日常をひとつひとつこなしていく、そんな夏でした。もう終わったみたいな言い方ですが、甲子園(夏の高校野球)が終われば夏は終わったも同然です。あとサマソニが終わると俄然街では秋のファッションが目に飛び込んできます。これはだいぶ勝手な私の主観。
四十も過ぎるとあちこち痛かったり不調が続いたり付き合っていかねばいけないであろう謎の症状がでたり等々、毎日嫌んなっちゃうことも多いので、ひときわこの夏に思いを寄せることもないっちゃないのですが、こうして毎日蒸し暑く過ごしているとたまに昔のことを思い出したりしてね。
唐突ですが私、ラジオが子供の頃から好きで。
でも、なぜだかまっっっったく聞こうとしなかった時期もあったりして。
それは大学生の4年間と産休から育休にかけての1年半、なんですが。
大学生のときは舞台系の部活的なものと学科の両立でよくわからない忙しさがあり、夏休みはほれ合宿だ、やれ実習だ、と結局学校に毎日のように行っていました。だから私のよくある夏休み(他、冬休み春休みも同様)の記憶は中高まで遡らないと無い!…ということで遠すぎて薄いんです、とても。まぁそのおかげでクソ忙しい入社一年目も別に休みが恋しいなんて気持ちにはならなかったので頑張れましたよね。あの頃は体力気力だけはあったし。
ラジオを聞かないとどうなったか。
大学時代は、本を行き帰りの電車で読み倒し、家は寝るだけの状態に。
今思えばテレビも音楽も遠ざかっていて、クリエイティブなはずの勉強や部活をやっているのに、新しい刺激をまったくうけないというあまりよろしくない状況で作品づくりだのなんだのをあーだこーだやっていたのですね。
産休育休のときも近いものがあったのかも、いや、若くなくなっていた分、もっと怠惰でのんびり過ごしていたかもしれません。ラジオは子が産まれるまでは聴けていたかもしれませんが、子育てに入ると、子の一挙手一投足に神経を傾けていたのでラジオからは遠くなりました。テレビもつけっぱなしはできなくなりました。本は子育て本ばかり、インターネットで子育てに関するキーワードを検索、不器用な私がよくあの時期を乗り越えたなぁ(子は現在9歳)と思うことしばしばです。
でも、ラジオを味方につけていればなぁ、とも思うのです。
なんでもっと新しい音楽を聞くためにラジオをつけなかったのか。
その時その時の空気はもう吸えなくて、あとから思いを馳せるだけ。
今は音楽だって定額制でたっぷり聞けちゃうし、テレビも見逃したり録画しそこねてもインターネットで見ることができちゃう。そう、ラジオだってradikoなどのサービスがある時代。
だからこそ、だからこそのあの時代、あの日、あの時、
あの夏の空気感、あの夏はあぁだったね、こんなだったね、と
思い出せるツールとして私は(私が好きだった)ラジオをもっと頼っても良かったなぁ、と。
新しい音楽のみならず、そのときに喋っていたDJやパーソナリティの顔ぶれ、話題、いろいろと考える機会をくれる場所でもある、ラジオ。
そうか、何かと助けてくれるんだね、ラジオって。今頃気がついたのよ。
これは私の一個人としての懐古であり、モノの見方であり、
「だからラジオは最高だ!」なんて言わないけど、
毎週「夢で逢えたら」で終わる番組がこの夏、久々に復活するらしいし、
あの日とおんなじように
また、夢で逢えたらいいのにな。