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開催日程の変遷⑧2006~2007年

前回は非常に少ない変化で助かったのですが、今回は反対に変化が非常に多いタイミングとなっています。これを書くのは大変だなぁと思いますが、もしかしたら今日は2006年のみ、2007年は明日になるかもしれません。それくらい面倒なのですよ。ここの変化は。

2006~2007年の開催日割

2006年は大幅な変更があり、2007年は面倒くさい変更と面倒なはやり病が発生しました。今から書くのが億劫になります。開催日割の面でも様々な影響を受けました。

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そろそろ覚えて頂けたと思いますが、開催日割は左から開催回数開催競馬場開催日数となります。1東京6なら、第1回東京が6日間行われた事を示します。赤字部分は前年から変更された部分で、例年通りに戻す場合はそのまま黒字としています。表の下記の数字は競馬場別の年間開催日数ですね。JRAが発表している開催日割と同じ様な形にしときました。こちらの赤字は開催日数が前年比で減少青字は増加している事を示しています。そのため、表で赤字があっても年間開催日数が変わらなければ黒字となっている点に留意して下さい。


2006年

2006年は、前年誕生した無敗の三冠馬ディープインパクトが、引き続き話題を提供してくれた年です。良い意味でも悪い意味でも。また、サンデー産駒およびエルコンドルパサーはラストクロップとなり、クラシックで注目されましたし、重賞では牝馬路線や短距離路線を中心に大幅な整備が行われました。

まず、活躍馬ですが、ディープは置いときます。私が書く以上に、皆さんがディープの情報を持っていると思っているからです。ただ、あえて書くとするなら、凱旋門賞の一件でしょうか。ご存知の通り、凱旋門賞で3位入線したディープはレース後の薬物検査に引っ掛かり、失格という結果になりました。これについては、私個人はJRAにキツイお灸を据えたと考えています。

そもそもJRAはディープを持ち上げすぎです。この時は日本馬が海外で走るから応援するという側面がありましたが、国内で走る際にも過剰な扱いをする面がチラホラあり批判されていましたよね?それでも競馬人気を高めるために必要な事だという点は理解できますが、限度ってもんがあるのですよ。

それだけ多くの人達に注目を集めさせといて、いざ本番となったら勝つどころか3着入線がやっとで、挙句に後日失格なんて顔に泥を塗られた以外の何物でもないでしょう。しかも、凱旋門賞で失格した馬は史上初です。とんでもない汚点を残す事になったのですよディープは。

故意、過失を問わず、それほどの大事件を起こしたにも関わらず、池江郎先生とJRA、マスコミはディープを庇い続け、説明責任も放棄した点もマイナスですね。そうした点に敏感なんですよ日本国民は。それは有馬記念のファン投票が前年比74%、東京競馬記者クラブ賞からの除外、JRA賞の記者投票で満票を逃すなどの点から見ても分かります。

特に注目が高いJRA賞で唯一ディープに投票しなかった報知新聞の浜木俊介記者は、『フェアプレーを守ることができなかったため、最初からJRA賞の候補として考えなかった』と公表した点は大いに評価できます。そうした考えを持つ人もそれなりに居たハズですが、誰に忖度したのか、何も問題がなかったかのようにディープに投票し、その説明もしないマスコミには残念としか言い様がありません。

また、凱旋門賞挑戦自体も失敗だったとも言えます。前哨戦を使わず、8月上旬に出国してから2ヵ月間の調整で世界の大舞台に臨むのは、先人達に学ばなかったと言われても仕方ないでしょう。マンハッタンカフェもタップも前哨戦無しで大敗し、エルコンは長期滞在の上、前哨戦を使って僅差の2着ですし、現地の関係者からは前哨戦を使うべきという声は当然のように上がっているのですから。


次にクラシック路線ですが、ここは私の大好きなメイショウサムソンが二冠を達成しました。テイエムオペラオーと同じくオペラハウスを父に持つ同馬は、前年の小倉でデビューすると2歳時にはレコード勝ちした中京2歳Sを含む3勝を挙げ、前哨戦のスプリングSに勝利するなど4-3-1-1で、5着以下なしという安定した成績でクラシック本番を迎えます。

そして皐月賞、ダービーの二冠に輝き、2年連続三冠馬を期待するファンの声援を受けて菊花賞に挑みますが、4着に敗れて三冠達成はなりませんでした。しかし、これだけの馬であるにも関わらず、鞍上は年20勝すれば上出来というレベルの石橋守だった点も応援し甲斐がありましたし、決して速い脚が使えたわけでもないという点もエリートさが無くて印象が良かったです。

他にはニッポーテイオー以来、史上2頭目の天皇賞・秋とマイルCSを連勝したダイワメジャー、ドバイシーマに勝利し、キングジョージで3着に入ったハーツクライ、今は無きシンガポール航空インターナショナルCで初GⅠ制覇と地方馬による海外GⅠ初制覇を果たしたコスモバルク史上初めてメルボルンCを制したデルタブルースなどが活躍しました。

特にデルタブルースは日本馬として初めて、南半球のGⅠ制覇オーストラリア最優秀ステイヤーとなり、アジアの調教馬として初めてメルボルンCに勝利した馬という記録も付いています。

あと珍しいところでは、エリザベス女王杯でカワカミプリンセスが1位入線で降着となり、プレクラスニー以来となるGⅠの繰り上がり優勝が発生しました。また、ダンスインザムードがアメリカに遠征し、キャッシュコールマイル招待S(現・ロイヤルヒロインマイルS)に勝利しました。帯同馬としての遠征でしたが、海外重賞制覇は素晴らしい記録です。それからサンライズキングが、タケシバオーの持っていた小倉D1700mのレコードを37年5ヶ月ぶりに0.1秒更新する日本レコードを樹立しましたし、オーストラリアのカラジが前年に続いて中山グランドジャンプ制し、史上初となる外国馬のJRAGⅠ連覇を達成しました。


騎手関係では、前述した石橋守のデビューから22年目のGI初勝利、武さんは2年連続年間GⅠ6勝を達成しました。地方に目を向けると、大井競馬に所属していた内田博幸が南関の上半期古馬統一GIを完全制覇し、佐々木竹見の持つ年間勝利記録を524勝に更新しました。当時はスゴかったんですよ彼は。
また、山内研二先生がコンゴウリキシオーで金鯱賞を制し、渡辺栄先生に続く史上2人目のJRA全10競馬場重賞勝利を達成しました。

開催日割は、阪神競馬場の馬場改造工事の影響で6月の阪神競馬が京都競馬に9月の阪神競馬は中京に振り替えられています。この改造工事によって京都競馬場や新潟競馬場と同じく、外回りコースが新設され、その直線は改修前より122m延長した474mとなりました。阪神競馬場には中山の急坂に匹敵する坂がありますので、ますます直線の攻防が白熱する事になります。

さらに外回りコース新設により、1400m、1600m、1800m、2400m、2500mの距離が新設され、また、ダートコースでは2000mが新設されシリウスSが同距離で施行される事となりました。内回りの1600m、2500mは廃止されたので、桜花賞などは外回りで行われます。

全体的に良く出来たコースだと思いますが、使用しなければ宝の持ち腐れです。現在、阪神競馬場のGⅠは大阪杯(2000m)、宝塚記念(2200m)、桜花賞、阪神JF、朝日杯FS(いずれも1600m)がありますが、古馬の主要GⅠはどちらも内回りです。同じ春季に、1Fしか変わらない距離、コースのGⅠがあるというのは問題でしょう。変化が無さ過ぎます。多様性どこいった。

私個人は阪神JFを内回り1400m、宝塚記念を外回り2400mに変更すれば、内回りと外回りのバランスを取れますし、変化に富んだ多様性のある競馬を見れると思います。

重賞は4増1減で121R、GⅠは1増の22R、障害重賞は10Rで変更ありません。前年との相違点は以下のとおりです。

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ご覧のとおり牝馬路線と短距離路線は大きく変更されています。牝馬路線は春に待望の牝馬限定GⅠヴィクトリアマイルを新設し、合わせて阪神牝馬Sと愛知杯の開催時期が入れ替わりました。短距離路線ではセントウルSのGⅡ昇格オーシャンSとキーンランドCの重賞昇格阪神Cの新設、阪急杯や北九州記念、京阪杯の距離変更などがありましたが、一方でCBC賞はGⅢに降格となりました。

その他、クリスタルCの廃止に伴い、ファルコンSの開催時期が繰り上げられるなど、名称変更を含めた変更が行われています。この頃になると、現在のレース体系とほぼ同じようになっています。


2007年

2007年は変更もそうですが面倒なはやり病が発生し、開催日割も影響を受けた点が最も記憶に残っています。そのはやり病は後述するとして、国際格付けに関しても若干の変更がありました。それについては長くなりますので、はやり病と別に紹介しましょう。

さて、活躍馬から見ていきましょう。まず、この年は牝馬がお騒がせした印象が私にはありますが、その最たるものはウオッカでしょう。前年の阪神JFを覇者はなぜかエルフィンSから始動し、桜花賞の前哨戦ではライバルと見られていたダイワスカーレットに競り勝ち、磐石の状態で本番を迎えます。ところが、早めに抜け出したダスカを捉える事ができずに2着に敗れると、オークスで雪辱を果たすのかと思いきや、前々から暖めていた牝馬のダービー挑戦を決断し、見事のクリフジ以来、64年ぶりの牝馬によるダービー制覇を達成します。

ウオッカがこの偉業を成し遂げた理由は、まず馬主です。牝馬がダービー獲るには馬主の理解が必要なので、某大手馬主グループではまずできない選択です。ウオッカはオーナーブリーダーの谷水氏が所有しているので、こういう冒険ができたのでしょう。次に、世代のレベルです。ぶっちゃけこの年の牡馬は弱く、ダービーの人気上位はフサイチホウオー、ヴィクトリー、アドマイヤオーラ、ヒラボクロイヤル、ゴールデンダリア、タスカータソルテですからね。その後に重賞で活躍したのはゴールデンダリア、タスカータソルテ、その下のドリームジャーニーくらいなので、ダービー時点ではウオッカでも可能性は高かったと言えます。

一方の牝馬は強かったイメージがあります。ダスカを初めとしてピンクカメオ、アストンマーチャン、ザレマ、カノヤザクラ、クーヴェルチュール、アルコセニョーラ、クィーンスプマンテなどがその後に重賞を勝っており、その世代のトップですから、すこぶる弱い世代の牡馬相手ならダービーでも勝負になるという図式が成り立つのでしょう。

ただ、ダービー後に挑戦した宝塚記念では8着に惨敗しますし、秋華賞ではダスカどころかレインダンスも捉えられず3着、エリザベス女王杯はハ行で出走取消、ジャパンCでは宝塚記念でコテンパンにやられたアドマイヤムーン、先輩ダービー馬メイショウサムソンに遅れをとる4着、有馬記念では見せ場なく11着と一発屋のような成績に留まります。

そのウオッカのライバルダイワスカーレットは使う回数を抑えながらでしたが、桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯の3つのGⅠタイトルを獲り、ウオッカを差し置いてJRA賞の最優秀3歳牝馬を獲得しました。連を外した事がない安定さも評価されたのでしょう。また、ピンクカメオはNHKマイルCを17番人気というブービー人気で勝利し、さらに3着も最低人気のムラマサノヨートーが入ったため、三連単9,739,870円という当時の史上最高配当を叩き出しました。

それから昨年の二冠馬メイショウサムソンは史上4頭目の天皇賞・春秋連覇を達成し、ダイワメジャーは安田記念とマイルCSに優勝し春秋マイルGⅠ連覇を達成、アストンマーチャンは施行時期が9月末に移行してから初の3歳馬となるスプリンターズSを制覇しました。また、12歳のカラジが中山グランドジャンプで3連覇を達成し、JRA史上最高齢勝利を達成しました。

海外ではドマイヤムーンがドバイデューティフリー(現ドバイターフ)を日本馬として初制覇し、香港のOE2を連戦して宝塚記念、ジャパンCも制覇しました。同馬は宝塚記念後に、ゴドルフィンに売却された事も話題になりました。現役GⅠ馬が移籍としては史上初で、移籍金は40億円とも言われています。なお、地方GI馬ではユートピアも2006年にゴドルフィン相手に400万ドルで移籍していますね。また、シャドウゲイトが前年のコスモバルクに続き、シンガポール航空インターナショナルCを制覇しました。2着にコスモバルクが入り、日本馬のワンツーとなりました。日本馬による海外GⅠワンツーは2002年のQE2、2006年のメルボルンCに続き3度目です。


騎手関係では、武さんが7月に岡部さんの通算勝利記録を抜き、史上最多勝騎手となり、11月には史上初の3000勝を達成しましたし、アンカツが武さんに並ぶ年間GⅠ6勝を達成しました。さらに当時、まだ地方騎手だった内田博幸がピンクカメオでNHKマイルCを制覇する活躍を見せます。また、函館競馬で塚田祥雄が落馬し、脳挫傷の大怪我を負いました。1ヶ月以上も意識不明が続いた後に意識を取り戻し、11月よりリハビリを開始したものの、3年間のリハビリも結果は思わしくなく、残念ながら引退となりました。


続いて、その他の出来事として真っ先に挙げられるのが前述した面倒なはやり病、馬インフルエンザです。この伝染病は次から次へと伝播する厄介なもので、1971年に発生した時は川崎で確認されてから、あっという間に他の南関3場にも広まり、翌1972年まで開催の休止や延期が続きました。中央でも1971年の年末に感冒による出走取消が相次いで感染の拡大が判明し、最終的には中央の関東地区と南関全場のほとんどの馬が感染していたとも言われています。その結果、1971年年末から1972年に掛けて9週間も開催が中止となり、それに伴い開催日程が大きく変更され、皐月賞は5/28ダービーは7/9に延期されました。

こうした大きな問題となりうる馬インフルエンザが8/16に発生しました。疑惑があった20頭はすぐに隔離され、JRAはワンクチンの接種を実施している上、隔離処理も適切に行っているので影響は少ないとして週末の8/18.19の開催を発表します。ところが、1971年当時と比べて競走馬の移動が活発に行われている事から感染の広がりも早く、出走予定馬163頭から29頭も感染が発覚し、一転して開催を中止する事態となりました。

この辺りもJRAの対応の甘さが分かりますよね。私の友人のご主人がJRAに勤めているのですが、ちょうどその時にその友人と食事をする機会がありまして、内部ではヤバイヤバイと相当焦っていたと聞きましたね。JRA自体が傾くみたいな話もされていましたが、私はさすがにそれはないだろと1972年の説明をして差し上げたところ、大変安心しておりました。高給取りのJRA職員の妻としては、その辺は不安で仕方なかったのでしょうね。

結局、2度のチェックをクリアした馬のみ出走可能とした上で翌週から開催が再開され、開催中止は1週分(計6日)で済みましたが、一歩間違えれば秋開催が中止になる可能性もある大きな事件でした。なお、このときに中止した分は秋競馬に振り返られ、札幌記念は9/2に移行して実施されています。


それから同年からJRAは国際セリ名簿基準委員会 (ICSC) のパート1国へ昇格しました。競馬の先進国の仲間入りとなりましたが、格付けについてはICSCの定める国際競走にのみ「G(グレード)」を付すことが出来るので、昇格に伴い国際格付けのある59レースのみ格付けが継続し、それ以外の62レースについては国内限定格付けの「Jpn(ジー)」が付される事になりました。Jpnの中にはクラシック5レースも含まれている一方、フェブラリーSや高松宮記念がGⅠとされるなど格付けのねじれが発生する事態でしたね。

個人的に国際格付けは非常に重要で、いくら国内でGⅠ、GⅠと叫んでも、海外で通用しなければ意味が無いと思っています。海外で通用するとはどういう事かと言えば、それはブラックタイプとなるかならないかです。ICSCのセリ名簿の作成基準では、国際格付け(リステッドを含む)を持つレースの優勝馬は太ゴシック、2,3着馬はゴシックで記載され、これにより不透明であった各地域の競走レベルを判断できるようなるわけです。血の継承という名目がある競馬の世界では、こうした方法は非常に大きな判断基準となり、だからこそ国際格付けは重要なのです。

そのため、よく地方GⅠをJRAのGⅠと同列に語るマスコミ等がいますが、格という点から考えればGⅠであるわけないのですよ。地方の世界では長い歴史があるレースであっても、そもそも中央の下位互換とも言える地方競馬の話であり、ダートグレート競走として格付けを得たのも1997年と歴史が浅すぎるのです。だからこそJpn時代のJRAのJpnⅠとは格が違いますし、現状もJpn扱いのままで、それをいくら勝ってもGⅠ最多勝という扱いにはならないのです。そこを勘違いしてはいけません。競馬は伝統と格式ですから。

ただ、東京大賞典は2011年から国際GⅠの格付けを得ていますし、その他のJpnⅠも2019年における平均レーティングでは軒並み110.0を超えていますので、国際格付けで言えばGⅡくらいは取れるのです。なぜそうしないのかは分かりませんが、それでもGⅠと判断するのは難しいでしょう。ちなみに、ダートグレート競走は東京大賞典がGⅠ、全日本2歳優駿がリステッド、それ以外は全てリストリクテッド(LR=制限付きリステッド)に指定されています。


格付けをしっかりしないとコイウタ事件のような事が起こります。2007年のヴィクトリアマイルの勝ち馬コイウタが米国のキャッシュコールマイル(現・ロイヤルヒロインマイルS)に出走した際に、現地の調教師からクレームが入って斤量が変更される事件が起こりました。同競走は重賞勝ち鞍に応じて斤量が決められるルールであり、ヴィクトリアマイルはJpnⅠなので国際的にはGⅠ勝ち馬とは扱われず、GⅢのクイーンC勝ち馬として119ポンドで出走する予定でした。ところが、前年に出走したダンスインザムードは同じヴィクトリアマイルの勝ち馬でありながら、ISCSから勧告される前の話なのでGⅠ馬として扱われていたのです。つまり、同じレースの勝ち馬なのに、今年から斤量が減るのはおかしいというクレームが入ったのです。

結局、クレームを受けた主催者はコイウタの斤量を123ポンドに変更し、その影響を受けたかどうか分かりませんがコイウタは9着に敗れました。JRAは後日、主催者のハリウッドパーク競馬場へ抗議を行い、翌年のエイジアンウインズが遠征を検討していた際は、JRAから事前に格付けの確認が行われたそうですが、こうした問題は今後も起こりうる問題です。特に自己中心主義で、何かあれば訴えてやるから覚悟しとおけという精神のアメリカに遠征する場合、JpnⅠ勝利がどう扱われるか。地方馬が遠征するならNARが対応できるのか。非常に不安ですね。


それ以外は、皇太子殿下が日本ダービーを観戦されましたし、JRAの新理事長に生え抜きとして初めて土川健之が就任しました。東京競馬場の新スタンド『フジビュースタンド』が竣工したのもこの年ですし、それを記念して騎手OBによる「ジョッキーマスターズ」が開催されました。ダーレー・ジャパン・ファームが7月に馬主登録を受け、11月に登録を抹消するという不可思議な行動がありましたし、美浦トレセンにニューポリトラックコースを導入されました。


開催日割は、競馬法の改正により大きな影響がありました。1開催につき8日間で固定されていた開催日割が年間288日を超えない範囲で自由に調整できるようになりました。ハッピーマンデーの影響で月曜を含む3連休が増加していた背景もあり、JRAはこれを利用してより多くの集客、売上が見込める中央四場に開催を集中させるようになります。

2007年は1月の中山・京都開催が東西1日づつ削られ1/6からの開催となりましたし、東西の金杯も開催日を固定される事はなくなりました。削られた2日はより集客の多い10月の東京・京都開催に振り分けられ、前述の馬インフルエンザの影響で中止となった6日間は、11月の東京・京都で1日づつ、福島、中京で2づつ振り分けられています。

重賞は121R、GⅠは22R、障害重賞は10Rで変更ありません。前年との相違点は以下のとおりです。

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地味に距離の変更が行われていますが、注目は外回り2400mとなった神戸新聞杯でしょうか。中距離だらけの3歳重賞で2400mという長距離の重賞ができた事は菊花賞を目指す上でも大きなポイントになると思います。


⑨に続く

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