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開催日程の変遷⑨2008年~2009年

やっと⑨ですか・・続け物としては飛び飛びになって申し訳ないと思いますが、そもそもここまで長くなるとは全く想像もしておりませんでした。何でこうなったんですかね。この調子だとあと5回は必要ですから、全15回くらいになりそうです。信じられません。

2008~2009年の開催日割

2008年も2009年もローカル開催の変更が行われました。函館競馬場のスタンドの全面改修工事もあり、思った以上の変更となっております。

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さすがに覚えて頂けたと思いますが、開催日割は左から開催回数開催競馬場開催日数となります。1東京6なら、第1回東京が6日間行われた事を示します。赤字部分は前年から変更された部分で、例年通りに戻す場合はそのまま黒字としています。表の下記の数字は競馬場別の年間開催日数ですね。JRAが発表している開催日割と同じ様な形にしときました。こちらの赤字は開催日数が前年比で減少青字は増加している事を示しています。そのため、表で赤字があっても、年間開催日数が変わらなければ黒字となっている点に留意して下さい。

2008年

2008年は大きくはありませんが、ちょいちょい変更があった年です。まずは活躍馬から見ていきましょう。クラシック路線ではディープスカイがNHKマイルCとダービーを制し、史上二頭目となる変則二冠馬となりました。初勝利まで6戦を要し、そこから4ヶ月ちょっとでダービーを獲ったのは素直に恐ろしいですね。同馬は秋初戦で神戸新聞杯を快勝すると適性を考慮され天皇賞・秋へ参戦する事になりますが、そこで対決するのが前年のダービー馬ウオッカと最優秀3歳牝馬のダイワスカーレットです。

ウオッカは前年から引き続き連戦を続け、京都記念、ドバイDFに挑戦するもいずれも大敗。ダービー馬の貫禄を見せる事はできず、帰国初戦のヴィクトリアMでもエイジアンウインズに遅れを取り2着に敗れるなどダービー馬の威厳は地に落ちます。半年で海外含めて5戦を走るだけの無事是名馬的な扱いとなっていましたが、安田記念では3馬身半差の圧勝劇を見せ、秋本番の前哨戦となった毎日王冠2着から本番を迎えていました。

一方のダイワスカーレットはドバイのステップとしてフェブラリーSに出走を予定していましたが、調教中のウッドチップが目に入り、角膜炎を発症してこれを回避。ドバイも回避して大阪杯で復帰すると、前年の天皇賞春秋連覇を果たしたメイショウサムソン、皐月賞馬ヴィクトリー、菊花賞馬アサクサキングス、クラシック3戦+ジャパンCで馬券に絡んだドリームパスポートなどを相手に豪快な逃走劇で完勝。ヴィクトリアマイルに向けて調整されていましたが、右前脚管骨骨瘤を発症して秋まで休養を余儀なくされます。

本番の天皇賞・秋では、前哨戦を快勝した同年のダービー馬ディープスカイ、安田記念で復活した前年のダービー馬ウオッカ、休養明けだがテン良し、中良し、終い良しのダイワスカーレットの三つ巴の決戦となります。いつも通り先手を取って自分の競馬をするダイワスカーレットを中団前目でディープスカイとウオッカが並んで追走し、直線では逃げ込みを図るダスカに外からディープスカイとウオッカが併せ馬で襲い掛かり、間からカンパニー、大外からはエアシェイディが突っ込む大激戦となり、最後はダスカとウオッカが並んで飛び込み、ディープスカイはクビ差遅れた3着に入線します。そして長い写真判定の末、わずか2cmという差でウオッカが勝利をもぎ取りました。

この勝利でウオッカは東京の1600、2000、2400という3つの基幹距離GⅠに勝利するという史上初の快挙を成し遂げ、また牝馬による牡馬混合GIも史上最多の3勝目、従来の記録を0.8秒も更新するレコードという様々な記録も付く名勝負となりました。なお、負けたダスカはその後、有馬記念に出走し、1番人気で逃げ切ってGⅠ4勝目を挙げました。これは1971年のトウメイ以来、37年ぶりの快挙でした。ディープスカイもウオッカと共にジャパンCに出走し、ダービー馬対決を制したものの、スクリーンヒーローを捉えられず2着に敗れこの年を終えます。

その他、ダート界では2大巨頭の活躍が見られました。前年にダートGⅠ初制覇を果たし、国内無敗のGⅠ4連勝(地方GⅠ含む)だったヴァーミリアンはフェブラリーSを快勝し、さらに秋のJBCクラシックをレコードで連覇して、国内GⅠ6連勝(地方GⅠ含む)を達成しました。逆に、長い休養を経て復帰したのがカネヒキリです。2006年の帝王賞後に屈腱炎を発症し、最先端医療技術の「ステムセル(幹細胞)移植療法」を受けた同馬は、2008年11月に2年4ヶ月ぶりの復帰戦こそ9着に敗れましたが、GⅠ4勝(地方GⅠ含む)を制した実力を見せて続くジャパンCダートと東京大賞典を連勝し、こちらも国内GⅠ6勝目を挙げました。


騎手関係では皐月賞で川田将雅が初GⅠ制覇を達成し、川田時代(笑)の到来を予感させます。予感させるだけですが。小牧太も桜花賞で2004年の中央移籍後初のGⅠ勝利を達成しましたし、同年に中央に移籍した内田博幸は移籍初年度からGⅠ2勝を挙げる活躍を見せました。一方で、池添はオークスでトールポピーに騎乗し1着となったものの、直線で他馬の進路を妨害し実効2日の騎乗停止を受けます。騎乗停止なのに降着処分は無しという決着に大きな議論が巻き起こりましたね。

それから四位は武さんに続き、史上2人目のダービー連覇を達成。2020年現在でも二人しか居ない大記録です。さらにノリさんはエプソムCで史上5人目となる重賞100勝目を挙げました。先の4名は保田隆芳、岡部幸雄、河内洋、武さんであり、この後、蛯名正義、福永祐一、ルメールの3名が達成しています。

また、同年デビューの三浦皇成が91勝を挙げ、武さんの新人年間最多勝記録を更新しましたし、武さんは京都競馬場で史上初めて通算1000勝を挙げ、天皇賞・秋を制覇して天皇賞の最多勝利記録を11勝に伸ばしました。


その他の出来事としては、新馬戦に「メイクデビュー」という愛称を設定しました。そんなのは主催者が決める事じゃないと思いますが・・・愛称ってところがポイントですね。そして後半4レースに限定して発売していた三連単を全レースで発売する事も決まりましたし、JRAプレミアムレースJRAプラス10が開始されました。あとはジャパンCダートが東京から阪神へ移行し、天皇賞に騙馬の出走が可能になり、3歳クラシックで出走が制限されていたマル外の出走制限が7頭までに緩和されました。


開催日割は、そこまで大きなものはありませんが、「馬場保護と競走馬の安定した出走サイクル確保」という名目で、春の第1回中京を10日間、秋の第3回中京を6日間に、同じく春の第1回福島を6日間、秋の第3回福島を10日間に変更しています。一開催8日間が明確に崩れたのはこの年からと言えます。

重賞は1増1減の121R、GⅠは22R、障害重賞は10Rで変更ありません。前年との相違点は以下のとおりです。

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ガーネットSが廃止されてカペラSが新設されましたが、同じ中山D1200で真冬に施行するという事で、わざわざ廃止するのか分かりませんね。ガーネット(1月の誕生石)を12月に施行するはおかしいからでしょうか。だったら名前だけ変えれば良いものを、なぜ面倒は方法を取ったのか理解に苦しみます。実際、新設重賞のカペラSは2年間は格付けを得られないハズが2年目からGⅢでしたし、事実上、施行時期を繰り上げたものだとJRAは認めているそうで、JRAのアホさ加減が良く分かりますよ。

また、フェアリーSとガーネットSの施行時期の入れ替えに伴い、同年のフェアリーSは施行されていません。逆に中山D1200の冬の重賞は1月ガーネットSと12月のカペラSの2Rが施行されています。


2009年

2009年は記録も多かったのですが、それ以外のごちゃごちゃした記録、話題が多かったように感じます。まずは活躍馬ですが、その前に牡馬クラシック路線はパッとしなかったですね。皐月賞馬のアンライバルドは皐月賞まではすごく強かったイメージがありますが、ダービーで惨敗後の秋3戦は大敗を繰り返し、ケガで長期休養となりましたし、ダービー馬のロジユニヴァースも皐月賞の惨敗から華麗に復活したのは良いのですが、泥んこ馬場を激走したせいか、その後は翌春まで長期休養となりました。菊花賞馬のスリーロールスも条件馬の身で参戦し、人気薄でブッコ抜いたは良いですが、続く有馬記念では左前浅屈腱不全断裂を発症して競走中止、そのまま引退となりました。ここまで印象の薄いクラシック路線は滅多にありませんよ。

一方の牝馬クラシックは前年の阪神JFを制したブエナビスタがアンカツを背に二冠を達成し、秋には凱旋門賞へというところまで行きましたが、札幌記念で2着に惜敗して断念。三冠をかけた秋華賞は他馬の進路妨害し3着降着、続くエリザベス女王杯、有馬記念でも1番人気となりますが、3着と2着に惜敗し、安定しているが勝ちが足りない状況でした。私個人は好きな馬なんですがね。

古馬では現役を続行したウオッカが、ヴィクトリアマイルと安田記念を連勝し、秋にはジャパンCまで勝利して一気にGⅠ最多勝タイに並びました。牝馬ではメジロドーベルの5勝を抜き史上初の快挙でしたし、牝馬初のJRA通算獲得賞金10億円を突破という記録付きです。なお、ヴィクトリアマイルで2着に7馬身差を付けたのはJRA古馬マイルGⅠ史上最大着差という事ですが、マイルGⅠ限定であれば1975年にテスコガビーが桜花賞で2着に1.9秒差、GⅠに限定すれば1968年にヒカルタカイが天皇賞・春で2着に2.8秒差の大差勝ちを記録しています。グレード制が導入された1984年以降ではシンボリクリスエスとタップダンスシチーの9馬身差が最高で、参考程度となりますが1938年の天皇賞・秋でヒサトモが、1943年の菊花賞でクリフジが、1947年のオークスでトキツカゼが大差勝ちを記録しています。時代が古すぎますね。

それからドリームジャーニーが春秋グランプリ連覇を達成しました。史上9頭目ですが、ここは結構いますね。あとカンパニーが天皇賞・秋とマイルCSに勝利し、史上初の8歳馬によるGⅠ制覇を達成しました。天皇賞・秋とマイルCSを同一年に制覇するのはニッポーテイオー、ダイワメジャーに続く史上3頭目です。

ダート界ではヴァーミリアンがJBCクラシックでアドマイヤドンに並ぶ史上2頭目の3連覇を達成し、これでダートGⅠ(地方GⅠを含む)8勝目は史上最多となりました。なお、5つの競馬場でGⅠ(地方GⅠを含む)を勝ったのは2007年のブルーコンコルド(名古屋、盛岡、川崎、大井、船橋)以来、史上2頭目です。

珍記録としてはコスモバルクが6年連続でジャパンCと有馬記念に参戦しました。正直、見てられないですが、馬主が走れと言えば走らなければいけないのが競走馬の宿命です。盛岡の芝では通用しているので、全くノーチャンスというわけじゃないという気持ちなのでしょうが、中央と地方を比べられちゃ困りますぜ旦那。


騎手関係ではデビュー3年目の浜中俊が菊花賞で初GⅠ制覇を達成し、同年デビューの松山弘平が初騎乗初勝利を挙げました。自身の誕生日にデビューして初勝利とは持っています。武さんは前年の京都に続き、阪神競馬場で通算1000勝を達成し、ノリさんはダービーの初制覇と2000勝を達成、内田はJRA年間最多騎乗回数を955回に更新しました。年間900回を超える騎乗数は結構多いのですが、950回を超えたのは2006年の岩田の952回、2009年の幸の968回しかありません。また、アンカツは桜花賞で49歳16日でのクラシック史上最年長勝利記録を達成。従来の記録は伊藤勝吉が40年菊花賞で記録した48歳9ヶ月23日で、69年ぶりの更新となり、さらにオークスで49歳1ヶ月28日に更新しています。

あとですね、デビュー5年目の佐藤聖也が同僚騎手のスニーカーをリサイクルショップに売却したとして窃盗の容疑で逮捕されました。なんでも、このスニーカーはイニシャル入りの特注品だったらしく、偶然来店した被害者がスニーカーを発見し、被害届を提出して発覚したという経緯らしいですね。本人は『ゴミ箱に捨てられていたので、売ってお金にしようと思った』と否認したらしいですが、翌年に騎手免許の取消申請があったので処分保留のまま引退となりました。

アホとしか言い様がないのですが、佐藤の師匠は根本康弘先生なんですね。もともと根本厩舎の厩務員だった佐藤聖の息子が佐藤聖也で、当然のように卒業後は預っていたのですが、こんな事件を起こすとは師匠の監督責任が問われます(笑)。弟子の放任主義は当時からなんでしょうか。なお、その後の弟子である丸山元気は2009年デビューなので、一時期だけ被ってますが、その下の野中君、藤田は当然全く知らない兄弟子という事になります。

調教師関係では、函館2歳Sをステラリードで制した森秀行先生がJRA全10競馬場重賞勝利を達成しました。渡辺栄先生、山内研二先生に続く史上3人目の快挙ですが、意外と少ない印象ですね。それから蛯名信広先生が、調教中の競走馬に胸部を蹴られ死亡する事件がありました。享年56歳とまだ若かったのですが・・死因は蹴られた事による心配停止で、調教師が調教中の事故が原因で死亡したのはJRA発足後初の出来事でした。


その他の出来事としては、5/23の東京で行われた障害の未勝利戦においてスタート地点を誤認して設置し、3300mのレースを15m短い3285mで施行するという事件が起こりました。レース終了後にスタート地点のタイム計測係が間違いに気付いて決勝審判員に報告し、裁決委員が確認して正式に誤りを認定したのがレースから1時間半後の午後1時10分だという事ですが、そんなに時間掛かりますかね。前回使用したレース映像と比べるだけだと思うのですが。まぁ当該コースの年間設定数が少ない事から職員も誤りに気付かなかったという事ですが、ただでさえ少ない障害戦なのに様々なコース設定をするからこうなるのですよ。

ゲートの誤って設置したのはJRA史上初の大失態だそうで、ある意味、写真判定の取り違えより酷い話ですよ。最初からレースが不成立なんですから。しかし、「着順確定前」でなければレース不成立の要件に該当しないという事で、レース自体は成立し、賞金等は支払われたそうです。ただ、同レースではエイシンボストンがレコードタイムで走っていましたが、そもそも距離が足りないのでレコードは取り消され、レコード関係の賞金等は支払われていないようです。

同じレース関係では9/13の新潟3歳未勝利において出走申込馬が3頭のみで、施行条件に満たなかったため不成立となりました。施行条件は出走申込馬が4頭以下、3歳未勝利戦については5頭以下の場合ですが、未勝利が終了するまであと1ヶ月という時期に新潟芝2400mという番組を組む方がどうかしていると思いますよ。多くの出走を望むなら2000m前後にするべきですし、そうした長い距離は春先から夏にかけて終わらせておかないとよりチャンスの多い方を選択するのは当然じゃないですか。

なお、競走の取りやめ・延期については一般事項に記載があります。

競走の取りやめ・延期等2020

これに基づいて、出走申込をした3頭については競走取りやめ金が交付されました。丸儲けなんですが、この時期の未勝利馬ですし、欲しいのは1着なんですよね。また、これにより9/13の新潟競馬は11Rで施行される事になりました。これは競走の分割が行われなかったからです。競走の分割も一般事項に記載があります。

競走の分割2020

簡単に言うと、競走の取りやめが発生した場合、他に出走申込が16頭以上のレースがある時には、そのレースを2つのレースに分割して実施するという事ですね。9/13は最高でも500万下の15頭でしたので、惜しくも分割は行われませんでした。不成立によるレース数が減少したのは1986年の8/31以来だそうで、この時も新潟競馬でした。

あとは、レース中の事故防止および騎手の安全確保の観点から、JRAの全10場のダートコースの砂厚を9センチに統一しました。従来は函館が9センチ、小倉と札幌が8.5センチ、それ以外は8センチだったそうですが、1センチでどれだけ変わるんだという気持ちしかありませんね。走る馬にとっては1センチ違えば多少は影響するかもしれませんけど。

それから栗東トレセンにニューポリトラックによる調教コースが完成しました。蹄が弱く、他のコースでは強い調教ができない馬でも、このコースではしっかり負荷をかける事ができるそうですし、馬場整備による調教の中断時間がなく、混雑しないというメリットがあるそうです。

最後に、騎手免許試験要領の一部が見直される事となり、地方騎手の一次試験の免除特典(過去5年間においてJRAで20勝を2回以上)が廃止されました。試験では競馬学校出身者、地方騎手、それ以外に分類される事になり、地方騎手は地方と中央のルールの違いなどの「中央競馬の騎手として必要な項目」をクリアする必要があるそうです。ただし、「申請年を含む直近3年間に中央で年間20勝以上を2回以上した地方騎手」は騎乗技術試験は免除されます。なんで、免除される騎乗技術試験だけになったという事ですね。

開催日割は、前年に続いてローカルに手が入りました。函館競馬場はスタンドを含む施設の全面改修工事の影響で札幌と新潟、中京に振り替えられています。これにより札幌競馬は一開催12日間を二開催の計24日、新潟は札幌の後半6日を、中京競馬は函館競馬分の2日を加えた12日間を1月と3月に分けて施行する事になりました。札幌は24日もやるなら2回じゃなくて、3回に分ければ分かりやすいのに、なんでそんなトコにこだわっているんだろう。新潟なんて6日しかないのに第4回にしてるのですがね。

重賞は1増で122R、GⅠは22R、障害重賞は10Rで変更ありません。前年との相違点は以下のとおりです。

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前年休止となったフェアリーSは施行時期を一開催繰り下げ、距離も1600mに変更しました。レパードSは2つ目の3歳のダート重賞として新設されました。必要あるかどうかは微妙ですが。ダービーの週の土曜に施行するなら住み分けができますが、8月って古馬との戦いが始まって2ヵ月ですからね。今さら3歳限定のダート重賞って言われても・・という感覚しかありません。

⑩に続く

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