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開催日程の変遷⑦2004~2005年

久々なので修正に修正を重ねていたら公開を間違えるという失態を犯してしましました。ご迷惑お掛けしました。ミラクルおじさんとハルウララにやられましたよ。今回はさっくり出来たら良いですね。

2004~2005年の開催日割

今回は2004~2005年を見ていきます。ここも有名な馬がわんさか出てきますし、大きな挑戦、大きな変化もありましたが、開催日割の面から見ると波風のない穏やか2年でした。

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初めてましての方も、お久しぶりの方も、繰り返しになりますが、開催日割は左から開催回数開催競馬場開催日数となります。1東京6なら、第1回東京が6日間行われた事を示します。赤字部分は前年から変更された部分で、例年通りに戻す場合はそのまま黒字としています。表の下記の数字は競馬場別の年間開催日数ですね。JRAが発表している開催日割と同じ様な形にしときました。こちらの赤字は開催日数が前年比で減少青字は増加している事を示しています。そのため、表で赤字があっても年間開催日数が変わらなければ黒字となっている点に留意して下さい。


2004年

2004年は何と言ってもクラシック路線が熱かった年でした。前年にホッカイドウ競馬が開始した認定厩舎制度(外厩制度)を活用し、地方から中央クラシックを狙う馬が旋風を巻き起こしました。それがかの有名なコスモバルクです。

コスモバルクは産駒が全く走らない父を持ったために、わずか400万円で購入されたほど期待された馬ではありませんでしたが、それがちょうど良かったのか、適用第1号として外厩制度の実験的な馬にされてしまいます。ところが旭川と門別で2-2-0-0の成績を残して参戦したJRAの百日草特別で、後のダービー3着馬で断トツの1番人気だったハイアーゲームを相手にレコードで完勝すると、続くラジオたんぱ杯2歳Sで逃げてスローに落とし、直線でミスティックエイジ以下を振り切り初重賞制覇を果たします。

一躍、クラシック候補となった同馬ですが、賞金は足りているものの地方所属のため、クラシックに出走するためにはトライアルで権利を獲得する必要がありました。そこで参戦した伝統のトライアルレース弥生賞で、2番手から好位抜け出しで快勝し、中央重賞を連勝するとともに皐月賞の権利を獲得します。本番の皐月賞では、大外枠が響いたのか、戦前から警戒していたダイワメジャーを捕らえられず2着に敗戦。続くダービーでは暴走したマイネルマクロスを追いかけてしまい、4角で先頭に立ったものの、直線早々でキンカメとハイアーゲームに交わされ8着に敗戦します。完全な騎乗ミスですね。

その後、休養を挟んで復帰したホッカイドウ競馬の北海優駿では、重め残りの+18キロで出走しますが1/2馬身差をつけて辛勝し、菊花賞の権利を獲るためにトライアルのセントライト記念に出走します。そのセントライト記念では掛かり癖を考慮して番手でレースを進めようとするも掛かってしまい、2角で先頭に立って逃げる形になりますが、そのまま先頭を譲らず2.10.1という日本レコードで快勝して権利を獲りました。このタイムはスゴかったですよ。ダンツシアトルの日本レコードを3歳の地方馬が破るなんて思わないですからね。重賞3勝するくらいですから地力はあったのでしょう。

そしてラスト一冠を掛けて出走した菊花賞では、懸念していた掛かり癖を見せて早々に先頭に立ってしまいます。そのまま直線まで進むも4角から競ってきたデルタブルースに屈し4着に敗戦、地方馬の中央クラシック挑戦の旅が終わりました。ところがどっこい、頑丈な地方馬はまだ終わりません。その年のジャパンCと有馬記念にも参戦するのです。特にジャパンCではコスモバルクを制御できない五十嵐冬樹から短期免許のルメールに乗り替わると、馬具の交換の効果もあって掛かる所は見せずに菊花賞馬デルタブルースの猛追を押さえて2着に入ります。やっぱり能力は高いんだなぁと思いました。

有馬記念では見せ場無く11着に大敗しこの年を終えますが、翌年以降はこれまでのような活躍は見る事はできず、岡田総帥の夢のおもちゃのように扱われます。まぁJRA賞では特別賞を頂きましたし、NARグランプリでは年度代表馬となりましたので、振り返ってみれば3歳がピークだったなぁと思いますね。父ザグレブは本馬のデビュー前年に売却されていますが、こういう時に限って活躍馬が出るのが競馬の世界だと改めて認識しました。


他の活躍馬と言えば、アドマイヤドンがクロフネ、アグネスデジタル、イーグルカフェに続く芝ダートGⅠ制覇を達成しましたし、ダンスインザムードが無敗で桜花賞を制し、兄姉に続くGⅠ馬となりました。この時の鞍上は武さん、調教師は藤沢和先生という珍しいコンビでしたね。また、キングカメハメハは史上初めてNHKマイルCとダービーの変則二冠を達成し、アドマイヤグルーヴはエリザベス女王杯を連覇し、デュランダルもマイルCSを連覇、ゼンノロブロイは秋の古馬三冠を制覇しテイエムオペラオーに続き2億円の褒賞金を獲得しました。

あとは前年から続くハルウララでしょうか。活躍をしていない活躍馬のハルウララは当時の日本歴代2位となる113連敗を記録したところで、馬主の横山貴男から無償譲渡を受けた安西美穂子が強引に放牧に出され、そのまま引退となりました。この辺りは結構きな臭いんですよね。ただでさえ馬主と調教師が揉めていたのに、『おまえの考えはどうでもいい、馬を出すのはオーナーの勝手だ』『警察を呼ぶぞ』と必要な書類すら持たずに馬を連れ出したとなるとそれってどうなの?となりますし、さらに『ハルウララには慢性的な疲労が蓄積しており、中長期的に休ませることが必要』『高知競馬で走らせていれば競走生命が失われていた』などと主張されても、『この人本当に競走馬の事を分かっているのかな』と思って当然だと思います。他の地方馬にそれ言ったら成り立たない地方競馬は多いですからね。

結局この馬主は、ハルウララの商標登録をしたり、権利を巡って内容証明を送りつけたり、基金を作ったり、種付け料の募金をお願いしたりと、まるでどこかの隣国のようなマネをした挙句、預託料を支払わず逃亡し、権利を手放すという醜態をさらすわけですから、馬主の金稼ぎに使うために引き取られて引退させられた馬と同情してしまいますね。

現役馬以外ではタケシバオーとテイエムオペラオーが顕彰馬に選出されました。オペはともかく、タケシバオーはJRA50周年事業の一環として投票対象から外れた馬に限定して行われた投票で選出されたので、本当に良かったと思います。国内成績は3着が1度あるだけで、あとは全て1,2着という好成績ですし、連続連対記録は22R5度のレコード勝ちは芝ダートのそれぞれで記録し、さらに1000~3200mで勝ち星があるという多様性を具現化した馬と言えるでしょう。アグネスデジタルと同レベルか上位互換ですよ。


騎手関係では、2012年一杯でオーバーホールに入っていた岡部幸雄が399日ぶりに復帰したと話題になりました。記憶の中ではお爺ちゃんでしたからねぇ。休養は必要だと思いますが、一年を棒に振ったらさすがに衰えは隠せない印象です。ただ、数字を見ると同年の3着内率は0.291で、これって今の横山武や吉田隼人と同レベルなんですよね。衰えた上でこの成績ってかなりスゴくて、全盛期には最高で0.50413年連続0.400超えで、67年にデビュー以降、38年間で0.300以下はわずかに3年で、内2年は引退直前の2年なんだから。そりゃ重宝されますわ。

それから漢藤田がメイショウバトラーで小倉大賞典を制し、安田富男、武さんに続く史上3人目のJRA全場重賞制覇を達成しました。ミルコは前年に続き皐月賞を連覇、菊花賞で岩田父が地方騎手として始めてクラシックを制しペリエは外国人騎手として史上初の天皇賞・秋連覇を達成しました。なお、藤沢和先生は史上初の天皇賞・秋3連覇の快挙でした。


それ以外の出来事では、この年から3連単の発売が開始されました。夢はあるけど恐ろしい馬券で、この頃からパソコンを駆使した予想が増加したような気もして、ファン層が変化したような気がしないでもありません。また、JRA50周年事業の一環としてはくぼ開催が実施されました。いわゆる日没まで競馬するぞキャンペーンですね。今でもダービー当日などの最終レースが17時に設定されており、正式には分かりませんが、一応はくぼ開催と同じ形で施行されています。

あと同じくJRA50周年事業の一環としてジャパンCとジャパンCダートが史上初めて同日に同競馬場で開催されました。それまでGⅠが同日に異なる競馬場で行われるケースはありましたが、同じ競馬場で行われる事はありませんでした。理由はお察しの通りです。まぁこの時も入場者数は大幅に増えましたし、馬券売上も全体で見れば増加していますが、肝心のジャパンCの売上が下がったという事で、JRAは『再び開催する環境にはない』と同日開催には消極的な姿勢を示しています。

ただね、ドバイミーティングや香港国際競走、JBCなどを見ると分かるように、GⅠの同日開催は盛り上がるのですよ。この盛り上がりをどう捉えるかの問題なんですよね。ドバイなどは普段から魅力あるレースを開催しているわけでなく、ドバイミーティングの時だけ世界の強豪が集まるのです。香港も冬の香港国際競走春のチャンピオンズデー(QE2、チャンピオンズM、チェアマンズSP)に力を入れて世界の強豪馬を集めています。その結果、それぞれの国の競馬レベルは飛躍的に伸びる結果となっており、それはお金には変えられないのですよ。目先の売上ばかりを気にして小出しにした結果、外国馬が集まらないジャパンCに褒賞金を用意するから来てくれと懇願するJRAとは対照的ですよね。


開催日割は、大規模な改修工事が終了して一息ついたので変更はありませんでした。現在の開催日割とほとんど変わりませんし、これ以降はこの年が基準になるでしょう。

重賞は一増一減で118R、GⅠは21Rで変更ありませんが、障害重賞は降雪の影響で延期となった中山大障害がありますので、11Rに増加しています。前年との相違点は以下のとおりです。

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東京競馬場の改修に伴い、3200mが廃止された影響でダイヤモンドSの距離が3400mに延長されています。それからカブトヤマ記念が前年に廃止になり、代わりに福島牝馬Sが新設されました。回次を引き継ぎたかったかもしれませんが、条件がかなり変わりますので、これは止むを得ないかと思います。あと愛知杯もカブトヤマ記念の廃止理由と同じ理由で父内国産馬限定の条件を外され、さらに牝馬重賞競走体系整備の一環として、牝馬限定戦に変更されています。


2005年

2005年は、最初の画像をご覧頂いても分かると思いますが開催日割の変更がないのですよ。だから書く事がありません。ぶっちゃけ2004年も書く必要はなかったと思いますが、少し重賞の変更がありましたし、前年との比較も必要でしたから書いた方が良かったかなと思いまして・・・

とすれば、2005年の開催日割は前年と変わらないし、重賞の変更もクリスタルCが同年をもって廃止されたくらいで、活躍馬もディープ一色とくれば、もう書かなくていいですよね。ね?ね?・・・ダメですか。そうですか。まぁ何も書かないのもアレなんで、ざっくり活躍馬と騎手関係と出来事を書いて終わりにしましょう。

活躍馬はディープ。他は桜花賞とNHKマイルCの変則二冠を達成したラインクラフト、日米オークス馬となったシーザリオ、宝塚記念をスイープトウショウ、天皇賞・秋をヘヴンリーロマンスが優勝するなど牝馬が活躍した年でした。それからスプリンターズSで香港のサイレントウィットネスが史上初の外国馬の優勝を果たし、ジャパンCではアルカセットが世界レコードで優勝しました。

騎手関係は岡部幸雄が引退しました。イメージ通りの競馬ができなくなった事を理由に騎乗を自粛したのは馬優先主義を貫いた結果だからでしょう。あとオジュウチョウサンの主戦で知られる石神深一が酒気帯び運転により逮捕され4ヶ月の騎乗停止になり、松永幹夫は戦後初の天覧競馬となった天皇賞・秋を制し、馬上から脱帽して一礼をするという武さんの好演を超える素晴らしいワンシーンを見せてくれました。

武さんは騎乗機会6連勝、1節12勝、1開催26勝、年間最多勝となる212勝、史上初の重賞200勝を達成のJRA新記録を達成し、ついでに一部競馬場が舞台となるNHKの朝ドラで出演して好演しました。

こんなトコでしょうか。開催日割の変更はなく、重賞も前述とおりクリスタルCが同年で廃止されるのみです。


⑧に続く


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