伊藤正徳元調教師 逝去
JRA理事長の功罪④をアップする予定でしたが、訃報が飛び込んできたので急遽こちらを先にアップします。週末を挟むとレース予想・回顧に忙しくてどうしても後回しになってしまうので、金曜に大きな出来事や発表は避けて欲しいのですが、こればっかりは仕方ありません。
さて、8/21のJRA発表によると伊藤正徳元調教師が8/20に逝去されたそうです。71歳でした。昨年引退されたばかりなのに驚きです。伊藤正徳先生は、ラッキールーラで日本ダービーを、メジロティターンで天皇賞・秋を勝った人ですね。どちらも好きな馬なので覚えていました。しかし、記憶に残っているのは調教師時代の方が多いですね。
あの尾形藤吉先生門下で騎手として成長し、尾形先生の孫の尾形充弘厩舎で修行してから調教師として開業したのですが、開業3年目に重賞初制覇し、その後、故後藤浩輝騎手を引き受けて師匠として教育します。後藤騎手の著書には『伊藤先生は子供とも分け隔てなく接してくれたが、食事の時に今日覚えた国を言わないとご飯が食べれなかった。あれは世界は広いのだと教えてくれたのだと思う』みたいな事が書いてありましたね。
広い世界を知る事が大切だと教えられた後藤騎手は国際志向を強め、師匠の下を飛び出してアメリカ武者修行に行くわけですが、それと同時に地に足を付けて行動する事も大切だという師匠の言葉にもっと耳を傾けても良かったかもしれません。まぁ結果的にはブレイクに繋がったので結果オーライなのですが、しばらく師匠の馬には乗りませんでした。
帰国後に起こした吉田豊に対する暴行事件(木刀で殴打)で4ヶ月の騎乗停止処分を受けた際には、既に厩舎を離れて何年も経った弟子の不祥事を関係者に謝罪して回ったそうですが、その反面、デビュー後の要求はアンチャンレベルより遥かに高く、勝てる馬に乗れないどころか、他厩舎の調教にすら行かせないという指導を行っています。
フリーになった後藤騎手に騎乗馬を回す事も少なくなり、確執さえ囁かれましたが、ローエングリンという有力馬を回し、海外GⅠにまで連れて行く心の広さがあるなど、誤解が誤解を呼んだような関係に見えます。2012年に後藤騎手が自殺した際には『先に行くのは卑怯だ。口うるさいだけの師匠だったが、後藤は記憶に残る騎手、私の子供でした。』とコメントし、師匠というより親のような心境が垣間見えます。
調教師引退前のインタビューでは『私もあと何年生きられるか分からない。けど、私がいつ向こうへ行っても大丈夫なように、浩輝が歓迎会の準備をして待っていると思います。そう思うと私も何も心配する事なく逝けますよ』いやぁ~もう涙が止まりませんね。この年になると気持ちが良く分かりますよ。ぶつかり合っても、離れていても、どこかで繋がっている存在・・そういう存在って手に入るのは簡単ですが、失うのも簡単なんですよ。
私もそうした存在を失いました。相手からすれば善意を持って行った事だったと思いますが、私にとってはそうじゃなかったんですね。そしてそれを受け入れられる度量も無かったのです。伊藤先生と後藤騎手は、そうなりかけた時に相手の気持ちに汲み取って受け入れる度量があった。だから、もう一度一緒になる事ができたのでしょう。
まぁ調教師としての成績は悪いものではありませんが、決して良いものでもなく、GⅠ勝利は私の大好きなグラスワンダーをハナ差下したエアジハードで勝った安田記念、同年秋のマイルCSの2つだけです。しかし、何よりも弟子を想った伊藤先生の事を思い出すたびに、今の日本競馬界に欠けているのはまさにこういう調教師なのでは?と思ってしまいます。どうか安らかに、向こうで後藤騎手とゆっくりと話して下さい。
ご冥福をお祈りします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?