見出し画像

歴代調教師の記録②

①から続く

前回は調教師の評価基準の一つであるGⅠ勝利数を見てみましたが、今回はもう一つの評価基準である勝利数を見て行きましょう。こちらもJRA発足以後、分かる範囲での数字となります。調教師顕彰者はJRAが発表している数字があるのですが、それ以前の記録は含めていませんし、1954年以前に免許を取得された方やJRA発足から1997年までに定年で引退された方の詳しい数字は、JRAのHPなどから公式記録を探す事ができませんでした。そのため、優駿などで掲載されている数字、あるいは複数のニュースサイト、ブログ等で一致した数字があればそれを採用しています。

まず、歴代調教師の勝利数1位はGⅠ勝利数に続き、尾形藤吉先生の1670勝です。二冠達成ですね。尾形先生は1911年から1981年まで70年間も開業できた事がまずスゴい。定年制が導入されたのは2000年以降ですから当時は勇退か死亡かの二者択一で、尾形先生は後者を選びました。というか1911年って事は19歳で調教師になったって事ですよね?さすがに草生えます。

2位はこちらもGⅠ勝利数に続いての2位となった藤沢和先生の1499勝です。1988年に開業しているので今年で33年目ですが、年平均45勝というすさまじい数字を記録し、年50勝を超えた年が14回、キャリアハイは2001年に叩き出した68勝と、日本競馬史に残る数字となっています。残り2年でどこまで迫れるでしょうか。

3位は松山吉三郎先生の1358勝でGⅠ勝利数だと27位タイです。息子の松山康久先生も調教師顕彰者で、史上唯一、親子で調教師顕彰者という記録があります。主な管理馬はモンテプリンスやダイナガリバーなどで、なんとも懐かしい名前ですね。1994年に定年で引退しましたが、それがなければもう少し記録を伸ばせたかもしれません。

4位は藤本冨良先生の1338勝でGⅠ勝利数だと10位タイです。1930年に調教師免許を取得し、顕彰馬のメイヂヒカリなどを育てると、私の心の師匠である大川慶次郎先生の父上大川義雄氏の外厩も管理していました。戦争中は一時、兵役につきましたが、1946年に復帰するとクラシックを全て制するなど素晴らしい成績を挙げられました。

5位は武田文吾先生の1253勝でGⅠ勝利数だと23位タイです。『東の尾形、西の武田』と呼ばれた名調教師で、シンザンやコダマといった顕彰馬を管理し、八大競走を完全制覇する偉業を成し遂げました。栗田勝、渡辺栄、安田伊佐夫、福永洋一などの門下生が多く、その門下生の下にも角田晃一、松永幹夫、池添兼雄、池添謙一、安田康彦などがおり、その流れは今なお広く伝えられています。

6位は伊藤修司先生の1225勝です。GⅠ勝利数はそれほど多くなく、マーチスの皐月賞、ヒデコトブキやハギノトップレディの桜花賞、スーパークリークの菊花賞、天皇賞・春秋など6勝を挙げています。27年連続JRA重賞制覇という記録はもちろん、障害馬で唯一の顕彰馬グランドマーチスを管理した事でも有名です。

7位は夏村辰男先生の1166勝です。騎手としてデビュー後、徴兵され、戦後は競輪選手に転身し、引退した後に実業家、馬主となり、馬を預けていた騎手時代の師匠である坂本勇次郎調教師の逝去後に、周りからの要請で調教師免許を取得するという異色の経歴を持っています。騎手→兵隊→競輪選手→馬主→調教師ってどんな人生でしょう。そりゃ武田文吾先生に『映画の主人公のようだ』と言われますよ。また、トレセンの開設に伴っていち早く外厩を作った事でも知られますが、引退までGⅠを勝つ事は叶いませんでした。

8位は伊藤雄二先生の1153勝でGⅠ勝利数だと19位タイです。伊藤正四郎調教師に弟子入りし、その後娘さんと結婚して入り婿になり、師匠の急逝を受けて調教師として開業した伊藤先生は、義弟と娘の旦那がJRA調教師(伊藤正徳、笹田和秀)で、息子は調教助手、孫は兵庫の騎手という絵に描いたような競馬一家です。管理馬には牝馬二冠のマックスビューティ、当時としては珍しく牝馬で混合GⅠを2勝したダイイチルビー、ダービー馬のウイニングチケット、女帝エアグルーヴなどがいます。私個人は『女帝』と聞くとヒシアマゾンを思い浮かべるんですけどね。

9位は稲葉幸夫先生の1131勝ですが、これは1954年9月の日本中央競馬会発足以後の記録です。それ以前の記録を含めると1451勝を挙げていたと言われており、公式記録なら歴代3位となる素晴らしい成績です。GⅠ勝利数では15位タイですが、タケホープやテイタニヤなどオールドファンには懐かしい馬を管理していました。

10位は佐藤勇先生の1074勝です。佐藤勇先生と言えばダービーが唯一の八大競走勝利となりましたが、そのダービー馬とは史上最弱のダービー馬と呼ばれたオペックホースです。ダービー後32連敗という目も当てられない成績を残した同馬について『競馬に携わって65年間、明けても暮れても馬と暮らしてきた僕にとって、いまだに謎』『宿命だと諦めている』とコメントを残しています。先生・・それ言っちゃダメなヤツなんじゃ・・まぁそのオペックホースは障害飛越では類稀な能力があったと言われており、もしダービー馬じゃなければ素晴らしい障害馬になっていたかもしれませんので運命とは残酷ですね。

11位以降は上田武司(1071勝)、矢野幸夫(1060勝)、二本柳俊夫(1043勝)、松山康久(1001勝)、久保田金造(1000勝)、中村広(999勝)、橋口弘次郎(991勝)、増本勇(972勝)、橋本輝雄(931勝)、森末之助(926勝)などが続いて、21位にやっと国枝栄先生の910勝が出てきます。
GⅠ勝利数と違って、上位陣が軒並みJRA発足前後から調教師をされていた先生ばかりなのは時代なんでしょうね。今の調教師は国内24のGⅠだけでなく香港、ドバイもありますので、選択肢が多くて数を稼ぎやすいですが、勝利数というものは国内のレースで稼ぐものなので、期間の違いはあれど、露骨に差が出ますよね。

つまり、GⅠ勝利数が多いと言っても、それは1984年のグレード制導入以前は八大競走しかカウントしていないからで、八大競走VS現代GⅠなら単純に3倍の差ですから、昔の調教師の先生方の数字を少なくとも1.5~2倍程度には修正しないと調教師の質は比較し難いですね。まぁ2倍にすると歴代4位の池江寿先生以下が軒並み10位以下まで落ちちゃうんですが。

逆に昔の先生達は馬房制限が無く、その気になれば100頭以上を同時に預かる事ができたわけです。そうするとどうしても勝利数は増えますよね。また定年制も無いため、その状態を継続する事もでき、勝利数の増加に繋がります。それは歴代20位中11人がJRA発足以前から調教師をされていた事からも分かります。

現役2位である国枝先生の定年まであと5年で、年平均35勝したとしても175勝で、1200勝に届くかどうかというところですし、3位の音無先生は定年まであと4年で年平均40勝だから1000勝を超えるか超えないか、4位の安田先生は定年まであと3年、年平均45勝で950勝前後です。1000勝超えるのもやっとですから、今の先生方は大変ですね。

こうした中、上位に入る期待があるのは池江寿先生でしょうか。現在51歳、年平均45勝を定年まで継続できたと仮定すれば1500勝前後になります。藤原英先生も現在55歳で年平均45勝なら1400勝、堀先生は現在53歳で年平均50勝なら1400勝、矢作先生は現在59歳で年平均50勝なので1200勝、友道先生は現在57歳で年平均40勝なら1100勝です。これらは全て今の勢いを定年までキープできると仮定した場合ですから、実際には1000勝を超える先生はこの半分もいれば良い方でしょう。

他の調教師の記録も調べてみたいのですが、なんせ公式記録が不詳なケースが多く、ソースが無い中で調べているので、どうしてもGⅠ勝利などでしか現代の調教師と比べるところがないのです。重賞についてもグレード制導入以前の格付けをどう判断するのかが難しいところですし、残るは八大競走完全制覇くらいしか思い浮かばないなぁ。

何にせよ、また機会がありましたら調教師の先生方の記録を調べてみますね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?