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開催日程の変遷⑪2012年~2013年

ずいぶん間が空いてしまいまして申し訳ありません。修正作業に色々と時間が掛かりまして、思った以上に大変でした。残り8年間なんで、できるだけ早く公開していきたいと思います。まぁこのくらいの時代になれば、昔を振り返るには短いのですが。とりあえず、行ってみましょう。

2012~13年の開催日割

2012年からはローカルの開催日割がガッツリ削られていますね。競馬法の改正により、2007年から1開催あたりの開催日数を自由に調整できるようになりましたが、それまではローカルでわずかに調整が行われていただけでした。しかし、震災に係る復旧および支援の関係で2011年は124億円(震災関連は50億円の支援金を含む106億円)の特別損失を計上しており、JRAとしては54年ぶりに赤字となった経営を早急に回復したい思惑があったのでしょう。2012年からは露骨にローカル開催を削り、その分を中央四場に持っていくようになりました。

2012-15年

間が空きましたのでおさらいですが、開催日割は左から開催回数開催競馬場開催日数となります。1東京6なら、第1回東京が6日間行われた事を示します。赤字部分は前年から変更された部分で、例年通りに戻す場合はそのまま黒字としています。表の下記の数字は競馬場別の年間開催日数ですね。JRAが発表している開催日割と同じ様な形にしときました。こちらの赤字は開催日数が前年比で減少青字は増加している事を示しています。そのため、表で赤字があっても、年間開催日数が変わらなければ黒字となっている点に留意して下さい。


2012年

2012年は結構色々な事がありました。前年は東日本大震災というドデカイ出来事がありましたが、今年はオルフェの凱旋門賞挑戦天覧競馬など、細々した出来事があった年だと思います。さっそく見ていきましょう。

活躍馬は微妙なもんで、凱旋門賞に挑戦したオルフェーブル、牝馬三冠のジェンティルドンナ、牡馬二冠馬のゴールドシップ、香港を制したルーラーシップ、ロードカナロアなどが居ますが、どれもパンチに欠ける馬ばかりです。

例えば、前年の三冠馬で有馬記念も制したオルフェは長丁場の阪神大賞典で復帰しましたが、折り合い面の悪さを見せ、向こう上面に入ったところで先頭に立つ掛かり癖を見せるだけでなく、3角で逸走を試み、鞍上の池添が故障かと思わせるほど手綱を引っ張り減速するという暴走を披露します。外ラチまでぶっ飛んだオルフェは、何を思ったのか内をスルスルと通り抜けていく他馬を見ると再び加速し、4角で外からまくように上がって行くと、直線で先頭に並びかけますが、内の経済コースを抜け出したギュスターヴクライには届かず2着敗戦となりました。

世紀の逸走と言っても過言ではないレースっぷりに調教再審査となり、一応合格したので天皇賞・春へ向かいますが、全く良いところがない凡走で11着に敗れました。レース後の関係者の話を総合すると、馬場が合わずに馬がレースを投げた、調教再審査や中間の下痢等が影響して体調が一息だった、メンコを嫌ったなど、様々な要件が絡み合った末の敗戦だったようです。

その後、『ファン投票1位の重みを感じた』として宝塚記念の出走を決意し、7割程度の体調だったにも関わらず、OE2を勝ってここに参戦してきたルーラーシップに2馬身差で完勝します。2009年には兄ドリームジャーニーが同レースを制しており、史上初の兄弟制覇、レーティング127ポンドというおまけ付きの勝利に、陣営から凱旋門賞挑戦が発表されました。

ところが、その凱旋門賞には全レースの手綱を取った池添ではなく、スミヨンを起用するとしたもんだからさぁ大変。池江先生は『苦渋の決断』と仰っていましたが、ただでさえ稀代の暴れ馬であるにも関わらず、主戦を降ろして傭兵を雇う処置は、当の池添も『潰れるほど飲んでも全く酔えないくらいショックだった』と語っており、ファンからも大きな批判が起こりました。

海外緒戦のフォア賞はペースメーカーの僚馬アヴェンティーノを含めた5頭立てという構成で、アヴェンティーノがスロー逃げると行きたがるわがままぶりを見せますが、スミヨンが何とか押さえ込んで、最後はアヴェンティーノが空けた内を突いて海外重賞初制覇を果たします。ただ、前哨戦の仕上げだった2着のGⅠ3勝馬ミアンドルに1馬身差しかつけておらず、池江先生の『世界の壁を感じた』というコメントがあるように必ずしも本番で好成績を期待できるほどでは無かったようです。

しかし、本番前には前年にエリザベス女王杯を連覇し、前月の愛チャンピオンSをレコード勝ちしたスノーフェアリーは故障、同年のエクリプスSの勝ち馬でキングジョージと愛チャンピオンSで2着のナサニエルは熱発、前年の勝ち馬で同年のキングジョージとバーデン大賞を勝ったデインドリームは馬伝染性貧血による移動制限に引っ掛かり出走できないなど、有力馬の回避が続出する幸運に見舞われます。

そして迎えた本番では、アヴェンティーノのアシストで落ち着いてレースを進め、後方2番手のままフォルスストレートから直線に入り、一団となった馬群を外から持ったままで交わしていきます。残り300mで先頭に立ちますが、200mを切ったところで内に急激に斜行して勢いを失い、ソレミアの猛追を許して日本の夢には届きませんでした。

これについては色々な意見があり、池江先生は『早め先頭で目標にされた』『広いコースでの調教をスミヨンに体験させていなかった』など敗因を述べていますが、私個人は池添を連れて行かなかった事が一番大きな要因だと思います。折り合いと本場の経験を重視してスミヨンを配したものの、本場の経験はともかく、馬が一番力を発揮する直線で結果的に馬を御せなかったわけですからね。同じ不安を抱えるなら池添を連れて行った方が後悔は少なかったでしょう。まぁ結果論ですが。

その後、帰国したオルフェはジャパンCで牝馬三冠馬のジェンティルドンナと対決しますが、最後の直線で内に閉じ込めたジェンティルドンナから強烈なタックルを食らってバランスを崩し、何とか立て直すもののハナ差の2着に敗れます。20分以上の審議が行われましたが到達順位の通り確定という結果に、ファンから大きな疑問の声が上がったのは言うまでもありません。吉田勝巳氏は『これで失格なら競馬にならない』とコメントしましたが、こじ開けた部分以外にも岩田はぶつけて来ていますからね。走行妨害の程度と結果の関係は常に議論の的になりますが、着差も着差ですし、今の基準なら降着の可能性が高いでしょう。凱旋門賞と輸送のダメージが大きく、万全ではない中でこれだけの競馬を見せたのは称賛しますが、非常に後味の悪い結果となりました。


そのジェンティルドンナは前々年のアパパネに続く牝馬三冠馬となりました。そのアパパネは残念ながら同年の安田記念を最後に屈腱炎で引退してしまいますが、代わりに牝馬の代表格としてジャパンCに参戦し、勝利を収めました。同年は発熱の影響で体調一息だったチューリップ賞4着以外を全勝しており、牝馬三冠+ジャパンCで年度代表馬に選出されました。なお、牡馬も含めた三冠馬で、乗り替わり有りで三冠を達成した唯一の馬であり、オークスで騎乗した川田のクラシック完全制覇に大きく貢献しています。

牡馬クラシックでは悪名高きゴールドシップが皐月賞と菊花賞の二冠を獲得します。ダービー以外の二冠馬は珍しいですね。トサミドリ、ダイナナホウシユウ、キタノカチドキ、ミホシンザン、サクラスターオー、セイウンスカイ、エアシャカールに続く8頭目の出来事ですが、春の二冠馬が15頭いる事を考えれば、夏を越してクラシックを獲るというのは難しいのでしょう。
ちなみに、私はゴルシの皐月賞が大好きです。3角最後方から綺麗な外外を回った他馬を尻目に荒れた内をグイグイと進み、直線入口では3番手まで押し上げ、最後は馬場のど真ん中を力強く抜け出して1着という素晴らしい内容でした。当時の有力馬ワールドエース福永は3角最後方から大外をぶん回して2着でしたからね。競馬学校出身はこういう馬の力に頼った競馬しかできないのかと思いましたよ。

あとは天覧競馬となった天皇賞・秋を制したエイシンフラッシュでしょうか。天覧競馬ではウイニングランの時に陛下に対して最敬礼をする事になっているようで、2005年の天覧競馬で勝ったヘヴンリーロマンスの鞍上松永幹夫は馬上で脱帽して最敬礼し、馬も頭を下げるという神懸かったワンシーンを見せてくれました。今回はミルコが下馬して片膝をつき最敬礼をするという非常に綺麗なワンシーンとなりました。ただ、惜しむは下馬後に慌てて近くに寄ったJRA職員の女性の方がシャッターチャンスをメチャクチャ邪魔した事です。どの角度からでも映り込んじゃったんですよね。アレが無ければヘヴンリーロマンスを超える名シーンとなったハズでした。

他には特にないかな。年末の香港スプリントを制したロードカナロアは日本馬として初優勝だったくらいでしょうか。


騎手関係では、多かったですね。記録面から行くと、代表格の武さんのJRA生涯獲得賞金(付加賞を含む)が700億円に突破しました。恐ろしい金額です。取り分5%でも35億、その他の手当やらを含めば40億を超える収入ですから、夢がありますねぇ。それから蛯名正義が史上6人目のJRA重賞100勝を達成しましたし、福永は6/2の鳴尾記念、翌6/3の安田記念、ユニコーンSを制し、史上初となる土日重賞3レース制覇を達成しました。

リーディングは6年目の浜中俊が131勝で奪取。年間100勝も初めてでしたが、デビュー3年目で菊花賞を制した持ってる若手がリーディングまで獲るなんて、JRAは武さんの後継者を手に入れたと思った事でしょう。ただ、地方と海外を含めた勝ち星では岩田が135勝しており、JRA賞の最多勝利騎手は獲れませんでした。 この現象は3年連続で発生していて、正直JRA賞って何だよ?と疑問を抱く対応でしたね。

その岩田はNHKマイルCでマウントシャスタに騎乗し、直線で急に斜行して後藤騎乗のシゲルスダチを転倒させ、後藤に「頸椎骨折の疑いおよび頸髄不全損傷」という大怪我を負わせました。前述のジャパンCでもタックルかまして物議を醸しましたし、ダービーを含む年間GⅠ7勝(海外含む)、重賞11勝、騎乗機会の連続連対記録となる9連対を記録するなど活躍を見せましたが、JRA賞として表彰するのもはどうかなと思わせる一年だった事は間違いありません。

あと、細かい記録としては、皐月賞を制した内田が地方出身としては初となる牡馬クラシック完全制覇を記録しました。柴田大知は弥生賞をコスモオオゾラで制し、1997年7月ラジオたんぱ賞(エアガッツ)以来、14年8ヵ月ぶりとなる平地重賞勝利を記録しました。従来の記録は西田雄一郎が記録した14年12日です。熊沢重文は中山大障害を制し、史上初となる平地と障害のGI勝利を達成しました。

また、幸英明は年間騎乗回数を1081回とし、2年前に自らが記録した1008回を上回る年間最多騎乗記録を更新しました。凄い数字ですよこれは。騎乗手当だけでも4000万以上も稼いだわけですからね。賞金は13億7272万8000円なので、その5%で6863万6400円ですし、重賞1勝でも年収1億超えとは恐れ入ります。

その他、四位洋文が油断騎乗で30日間の騎乗停止となりましたね。勝ち馬に千切られて、かつ後方からも来ないと思って手綱を緩めた所に空気を読まない北村友が突っ込んできて2着を奪ったのですが、さすがのアクション仮面もあそこまで長い時間手綱を緩めるのはイカンですし、着順も変わったので言い訳できんでしょう。なお、油断騎乗の場合は、当日もしくは翌日から処分が適用されるそうで、三日間開催の残り2日は乗り替わりとなりました。

残念なニュースとしては、佐藤哲三が秋の京都競馬で落馬し、両手足7か所の骨折、外傷性気胸、右肘の関節脱臼と診断され長期休養を余儀なくされました。落馬直後の左腕は毛細血管2本のみで繋がっていたというほどの大きな怪我で、自力で立つのに2ヵ月も掛かっただけでなく、6度の手術を行ったものの、最終的には復帰できずに引退となってしまい、酷く落ち込んだのを覚えています。

もう一つ、青木芳之が自宅で自殺する事件が起こりました。態度が悪く、国内では干されていたそうですが、積極的に海外遠征をしていた騎手で、フランス、イタリア、豪州、米国、韓国に一月単位で遠征しており、カジノドライヴのアメリカ遠征には経験を買われて帯同したそうです。前々年に結婚した韓国人妻が帰国してしまい、心の支えを失って仕事への意欲を無くしたという報道がされていましたが、コツコツやれば目を掛けてくれる人はいるもんですし、我慢できなかったのでしょうか。残念です。

自殺と言えば、元騎手の小島貞博調教師が自殺したのもこの年です。小島貞先生はミホノブルボンの主戦で有名で、タヤスツヨシでもダービーを勝っており、武さんに抜かれるまでダービー最多勝騎手の一人でした。調教師になってからはわずか3年で重賞を制覇するなど上々の滑り出しを見せ、騎手と調教師の両方で中山大障害を制覇するなど活躍しましたが、親族の借金を肩代わりしたために従業員の給与遅配するなど経営が苦しかったようで、調教師免許更新の前日に自厩舎で首を吊ったそうです。なんで自殺・・と思わずにはいられません。逃げても良いですが、そっちに逃げるのはダメでしょう。書いててもやるせない気持ちになりますね。

調教師関係でもう一つ、安田記念をストロングリターンで制した堀先生が、まさかのインタビュー拒否という駄々っ子ぶりを見せました。会見ってJRAの公式イベントですし、一応、国際競走なんで海外メディアも来るんですよね。それを拒否ってある意味すごい決断ですよ。JRAの聞き取りには、『人前で話すのが不得手で、話しているうちに頭が真っ白になる』『情報発信は調教助手に任せているし、どんなレースでも話す内容は変わらない』『馬の状態を見て次走を決めているので、それを質問されても困る』と答えたらしいです。いやっ小学生か!!だからと言って拒否する事はないでしょうし、いくらでもやりようはあるでしょ。そりゃ『競馬ファンの心情を蔑ろにする遺憾な行為』として厳重注意受けますわ。


その他の出来事としては、近代競馬150周年事業として様々な企画が実施されました。ここで大切なのは、JRAは日本競馬の始まりを『横浜レースクラブが発足し、同年10月に西洋式競馬が横浜外国人居留地で行われた1862年』としているという点です。都合良く始まりの年を変えないように注視しないといけませんね。

変更点としてまず挙げられるのは、調教師の預託可能頭数の変更でしょうか。現行は貸付馬房の3倍まで、20馬房を超える部分は2倍までとなっていますが、それが同年10月から貸付馬房の2.7倍(端数切上げ)、2013年3月から2.5倍に引き下げられる事となりました。

このメリットシステムは経営状況と調教技術を数値化し、近2年の合計に基づいて馬房数が増減するものですが、JRAに言わせると、そもそもこれは『トレセンの馬房を効率よく回転させるために3倍という上限にした』そうです。しかし、『導入後は登録頭数は増えたが、出走頭数にはそもそも上限があり、出走頭数自体は大きく変わらない。そのため出走が難しい状況が続いており、条件馬は導入前よりも出走回数が減少しているというデータもある』そうで、だからそうした状況を改善するために上記変更を行ったそうなんですね。

簡単に言えば、『管理馬を馬房以上にすれば放牧に出しても、馬房が空っぽにならずに済むでしょ』という事が始まりで、馬房が埋まればレースへの出走頭数も増えますから、調教師にもJRAにもメリットがあるわけです。ところが、やってみたらレースの出走頭数には限度があるので、管理馬が増えてもレースに出走できない、いわゆる除外になるケースが多く、出走頭数は変わらなかったわけです。意味ねぇじゃん。だから馬房を削減してちょうど良い部分を探ろうとしたわけですね。

まぁあれだけ除外ラッシュが頻発すればそうなりますわな。私は除外が発生するレースはほぼダートだと思っているので、出走頭数を増やしたいなら番組をダート寄りに変更すれば良いと思うのですが、それだと日本競馬はダートだらけになります。ただでさえ、ダートGⅠは2Rのみで、世界最高峰のダートレースも日本のダートとはかなり違いますから、自国でのみ通用するガラパゴスなレースを増やす事は日本競馬のためにはなりませんよね。

その一杯一杯のダート番組を増やせないとなると、後は維持するか減少させるしかないのですが、維持したところで除外だらけの状況を劇的に改善できると思いませんので、改善を望むなら思い切って減少させるしかない思うのですよ。芝の番組を増やせば、出走できるかどうか分からないダートを狙うより出走頭数の少ない芝を狙って当然ですよね。ちょっと頑張れば賞金咥えてこれるわけですからね。

それに種牡馬リーディングを見ていくと上位になればなるほど芝での勝ち星の方が多く、ダートの方が多いのはダートに特化した種牡馬ばかりで、頭数も割合的には少ないです。今後も芝の大レースを勝った馬が次から次へと種牡馬入りしたら、輸入してこない限りダート種牡馬は減少の一途を辿ることになりませんか。それなのにダートレースの数は変わらないのは、芝の競走馬をチャンスを減少させ、ひいては日本競馬の成長を妨げているように見えます。

本来ダートは芝の保護のために行われるものであり、芝の改良が進んで2開催続けてもそこそこ良好な馬場を維持できるのであれば、芝の番組を増やしても良いと思いますし、我慢して芝の番組を維持し続ければ、減少したダート戦の頭数以上に芝に出走する頭数も増えると思いますよ。時間は掛かりますがね。

あとは、ダービーからダービーへという言葉通り、2歳新馬戦の開始時期を日本ダービーの翌週としましたし、サマーシリーズにサマーマイルが追加されたのもこの年です。それから馬主の登録要件のうち、直近2年間の所得が1800万から1700万に、資産が9000万から7500万に減額され、さらに一定条件下では所得と資産の相互換算もできるよう緩和されました。 また、海外馬主に対する制限についても緩和され、所有馬の8割が内国産であること、そして入厩できるのは20頭まで、という要件が撤廃されました。

経営関係として前年の決算が確定し、1957年(昭和32年)度以来54年ぶりとなる赤字決算となりました。当期純損失は約63億円ですが、施設の復興費用だけで56億義援金も50億を拠出していますので、これは仕方ないかと。
なお、2012年も継続して被災地支援を行っており、福島県に7億円、宮城県と岩手県に6億円、福島市に1億円、相馬野馬追執行委員会に1000万円、東日本大震災ふくしまこども寄附金に約115万円を拠出しています。

ちなみに、利益の半分を納付する第二国庫納付金の推移を見ていくと1958年(昭和33年)が0円となっていて、一瞬1958年も赤字なのか?と思いましたが、どうやらここは繰越損失を補填したので利益が出なかったようです。


それから前年に続いて、名門牧場の閉鎖がありました。マーチス、タニノハローモア、タニノムーティエ、タニノチカラ、タニノギムレット、ウオッカ、ビッグウィークなどを輩出したカントリー牧場はオーナーの健康上の理由により、ミスオンワード、オンワードゼア、オンワードガイなどを輩出したオンワード牧場は後継者不在を理由に、それぞれ閉鎖されました。オーナーブリーダーは希少な存在になっていきますね。

他には京都の室町Sで57年ぶりに3頭が3着同着となる事案が発生しました。前回は1955年2月12日の中京競馬で、こちらも3着が3頭同着でしたが、今回は史上初めて勝ち馬投票券が対象となる3頭同着となりました。なお、その後の2020年11月23日の阪神競馬でも3着が3頭同着が発生しています。


開催日割は、前々年から続いていた中京競馬場のスタンド全面改修工事が竣工し、3月から開催を再開しました。同じく前年の震災で大きなダメージを受けた福島競馬場も復旧工事が終了し、4月から開催を再開しました。

入れ替わるように札幌競馬場のスタンド改築等工事が始まりましたが、その影響で北海道シリーズは合わせて6日間も削られ、全26日間の開催となりました。なお、これ以降、北海道シリーズが30日以上開催される事はなく、中央四場など他の大きな競馬場に開催日を取られてしまいます。

それから秋の福島開催が一開催に減少し、その分が新潟に移されています。これは減少した北海道シリーズの分も含まれているようですが、春競馬の新潟も減少しており、トータルでは新潟は4日増、福島は2日減となりました。

なお、関西の春から夏競馬の開催日割について、中京と阪神が入れ替わっています。中京記念をサマーマイルに組み込むための処置でしょうか。

重賞は1増で124R、GⅠは22R、障害重賞は10Rで変更ありません。前年との相違点は以下のとおりです。

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中日新聞杯と鳴尾記念も秋から春へ、金鯱賞は春から秋へ、朝日チャレンジCは9月から12月へお引越しです。この辺りはコロコロ施行条件を変えていますが、個人的にはそこまで施行条件を変えるのであれば、重賞として価値は無くなっているような気がしますね。

それから、北海道シリーズの開催短縮に伴い、5つの重賞の施行時期が変更されていますし、中京記念もサマーマイルシリーズの組み込まれるため距離短縮の上、夏へお引越しをしています。

また、2歳の牝馬重賞としてアルテミスSが新設されました。この頃から2歳重賞が増加していくのですよ。全く困ったもんです。



2013年


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