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歴代ダービー馬、そらで何頭まで言えますか?③

パッと終わるはずが、まだ半分とは・・・どうしてこうなった。

タニノギムレット

2002年のダービー馬タニノギムレットは、ダービーを2勝したオーナーブリーダー谷水信夫の息子、谷水雄三が生産した馬です。同オーナーは後述するウオッカでもダービーを制しており、親子2代でダービーを2勝するという馬主冥利(オーナーブリーダー冥利)に尽きる人としても有名ですね。

タニノギムレットはダート戦でデビューし、2着に敗れるというダービー馬としては特に珍しい形で競走生活をスタートをします。新馬戦後、尻尾の骨折で休養を挟み、12月の未勝利で復帰すると7馬身差の圧勝を見せ、続くシンザン記念、アーリントンC、スプリングSと重賞3連勝を達成します。

しかし、本番の皐月賞では追い込み馬の宿命か、小回りの4角で大きく外を回ることになり3着に敗れます。このレースは四位が下手に乗ったなという印象もありますが、それ以上にゴール直前でケツを上げるのが速く、そっちに怒りの矛先が向くんですよね。スローで見てみると良く分かりますが、まだ2着どころか3着も確定してない状況でケツ上げてるんですよ?確かに勢いはありましたが、しっかり追っていれば2着はあったかもしれません。馬連の馬券を握り締めていたファンの気持ちを考えろよアクション仮面。

その後、主戦場だった1600に戻り、怪我から復帰した武さんを配したNHKマイルCで必勝を期しますが、またも追い込み馬の主命である前が壁にぶつかり3着に敗戦。武さんは、勝ったテレグノシスが斜行した影響で進路が無かったと激怒したそうですが、レースを見直してみるとそこまで影響はないんですよね。テレグノシスとスターエルドラードが進路を奪い合ったものの、奪われたスターエルドラード自身はそこまで影響を受けてないし、その後ろに居たタニノギムレットはむしろそれで空いた進路を突き抜けてきたので、降着はおろか、過怠金も難しいと思いました。

そして中2週ながらダービーに挑戦すると、青葉賞を快勝し、後に同年の年度代表馬・最優秀3歳牡馬になるシンボリクリスエスを相手に、誰にも邪魔されない大外を通ってブッコ抜いて優勝します。典型的な展開が向けば強い追い込み馬という印象しかありませんね。後から考えると条件付の強さというのは、娘のウオッカにも引き継がれているようにも思います。

ダービー後は浅屈腱炎を発症して引退しますが、初年度からウオッカを輩出し、親子2代でダービーを制します。本当にオーナーブリーダーとしては最高の結果ですよね。自身が生産したダービー馬を自身の所有馬に付けて、生まれた子供でダービーを制覇するんですから。

ネオユニヴァース

ついに来ました2003年のダービー馬ネオユニヴァース。史上初めて外国人騎手がダービーを制した時の優勝馬です。同馬を管理していた瀬戸口先生はオグリキャップを管理していた調教師で、同世代で朝日杯FSを制したエイシンチャンプも管理していました。

ネオユニヴァースと比べると、どちらかと言えば弥生賞も勝った2歳王者のエイシンチャンプの方が期待が高かったように思いますが、ネオもきさらぎ賞、スプリングSを快勝して人気になっていました。また、デビュー後に騎乗した騎手からの評判が良く、しかも短期免許で何度も来日し、同年にペリエに続く外国人騎手として通算100勝を達成していたミルコが鞍上という事で皐月賞を1番人気で迎えます。

皐月賞では4角で最内の3列目という中山では厳しいポジションになりますが、外に居たダイワセレクションを弾くと、エースインザレースとザッツザプレンティの間を割って鋭く伸び、サクラプレジデントとの叩き合いを制して見事一冠目を奪取します。この時、日本で初GⅠを制したメルコは、嬉しさのあまりゴール板を過ぎてから2着のサクラプレジデントに騎乗していたカツハルの頭をバシッと叩いてしまいます。しかも、しばらく何かカツハルに話しているようで、叩かれたカツハルはずっと下を向いてた所をカメラがしっかりと捉えるという珍事が発生。いやぁ話題になりましたね。まるでイジメのワンシーンですから。

何でもミルコは、カツハル!そんなガッカリするな!顔を上げて俺を祝福しろ!ハイタッチしようぜ!との気持ちでした事だったらしいですが、当のカツハルはそんな文化は知らず『負けちった、あぁ~・・・』とガックリ来ていたわけで、色々な議論を呼びました。今でもyoutubeで映像が残っているハズなので良ければ見てやって下さい。ちなみにミルコは、次走のダービー後に向こう上面で武さんにぶっ叩かれてます。

そして続くダービーでは前日の大雨で重馬場となった影響からか、ほとんどの馬が馬場の悪い外を避けて進む中、ミルコは3~4角でポッカリ空いた内を選択し、距離短縮に成功します。なんせ3角15番手から4角7番手まで上げていますからね。ゴールドシップの皐月賞、キタサンブラックが天皇賞・秋のようなワープでした。

ここで大切なのが、直線ではしっかりと外に出して馬場の良いところを通っているという点です。馬場が悪い内を走り続けるのではなく、コーナーだけ悪い所を通るという騎乗法を短期免許のミルコが見せたのに、日本人騎手はそれを学ばず、馬場が悪ければ外だけを回るという騎乗法を繰り返しているのは残念ですね。短期免許制度の趣旨からすれば、こういう騎乗法を学んで自分の引き出しに加える事が求められるハズなんですが。

ダービー後のネオユニヴァースは、3歳馬にしては異例の宝塚記念に挑戦する事になります。斤量差5キロですし、二冠馬が体調が良ければ狙いますよね。宝塚記念には前年の年度代表馬シンボリクリスエスが出走してきますが、オーナーの吉田照哉氏は『年度代表馬とダービー馬の対決をお客さんが見たいと思っている。それが人気に表れているし、出した甲斐があった。』と述べています。こういう考えは現在ほぼ見られませんが、どこに行ったんでしょうか。ねぇ某大手馬主グループの皆さん。

宝塚記念で4着に敗れた後は三冠を目指し、神戸新聞杯から菊花賞に向かいますが、短期免許期間が終了していた関係で神戸新聞杯ではミルコからデビュー当初騎乗していた福永に乗り替わり3着。続く菊花賞では世論を受けたJRAが動き、特例で短期免許が発行されたミルコに鞍上を戻すも、距離が長かったのかまたも3着に敗れます。同年はメジロラモーヌ以来の牝馬三冠馬が誕生していたので、もしネオが菊花賞を勝っていたら牡馬牝馬の三冠馬が同時に誕生する快挙でした。

その後はジャパンC4着後に休養に入り、復帰戦の大阪杯を快勝しますが、続く天皇賞・春では10着とキャリア初の大敗となりました。宝塚記念で雪辱を期すために調整されていましたが、浅屈腱炎および骨折が判明し、そのまま引退する事になります。怪我が無ければもう一つ二つはGⅠを勝てたかと思うと残念でなりません。ただ、ミルコを日本に導く大きな要因となったわけですし、功績は大きいと思います。

種牡馬としては、初年度産駒が皐月賞とダービーを制覇して早々に親子制覇を達成すると、2年目はヴィクトワールピサが皐月賞、有馬記念、ドバイWCを、ネオリアリズムがクイーンエリザベスⅡ世Cを制するなど一定の成績は残しています。

キングカメハメハ

個人馬主として初となる八大競走完全制覇を達成する金子真人に、初めてダービーオーナーをプレゼントしたのがキングカメハメハ。当時は思いましたよ。なんだその名前は、と。もちろんカメハメハ大王は知っていますが、日本ではそれはマズイだろという懸念をよそに審査が通るんですから分かりませんね。

キンカメを初めてしっかり見たのは毎日杯でした。この年は個人的に人生上の重大事だらけの年だったので、そこまでしっかりと見ていたわけではないのが悔やまれます。同馬は強いは強いのですが、5戦とも少頭数のレースで最高が12頭立て、OPでは10頭が最高だった事もあってNHKマイルCでも半信半疑でした。マイルは初でしたし、他の皆様もそう思っていたからこそ3.6倍という単勝オッズだったのではないでしょうか。まぁ勝ちっぷりを見れば能力が違うというのは分かるんですが、GⅠという舞台は何がどう作用するか分かりませんからね。

6戦5勝で迎えたダービーでは地方の雄コスモバルクと人気を分けましたが、内容としては圧勝と言って差し支えありません。私はハイアーゲームのキンカメの馬連を握り締めていたのですが、後方一気のハーツクライに足元をすくわれ東京競馬場から歩いて帰りました。辛かったなぁ。コスモバルクとキンカメの馬連に注ぎ込んだ友人は埼玉まで歩いて翌日会社を休んだそうです。いやいや、スポーツマンとはいえ電車賃は残そうよ。

これだけ強いと古馬との戦いが楽しみになりましたが、天皇賞・秋の直前に浅屈腱炎を発症し引退してしまいます。同年の秋三冠はゼンノロブロイが制するのですが、全盛期のロブロイとの対決でキンカメの能力が測れたわけですから本当に勿体無かったなぁと思いますね。

一方、種牡馬としてはサンデー系に配合できるメリットを生かして初年度から重賞馬を輩出すると、2年目以降は牝馬三冠のアパパネ、スプリント王ロードカナロア、ダート王者ホッコータルマエ、牡馬二冠のドゥラメンテ、ダービー馬のレイデオロなどGⅠ馬をズラリと並べます。また、ロードカナロアやQEⅡ世Cのルーラーシップなど海外GⅠも制覇するなど、芝ダート、距離を問わず活躍馬を出しますが、3000mを超えるレースではケイアイドウソジンでダイヤモンドS、ユーキャンスマイルで阪神大賞典を出す程度に終わっているのが特徴です。

さらに母父としてもワグネリアンやブラストワンピース、インディチャンプ、デアリングタクトなどがおり、サイアーラインを含む血の継承という観点からは大成功と言えるでしょう。

ディープインパクト

さすがにここはスルーしたい2006年のダービー馬ディープインパクト。金子オーナーに史上初のダービー連覇という称号を与えた馬で、日本競馬界の英雄でもあり、また堕落させた馬させた馬でもあります。

まず、英雄と呼ばれる所以は成績でしょう。無敗の三冠馬はもちろん、わずか2年でGⅠ7勝、勝ったレースのほとんどが圧勝、2006年の世界ランキングで1位と素晴らしい成績を残しています。多くの関係者が評価するように、サラブレットの完成形とも言える馬だったのはほぼ間違いないでしょう。しかし、問題は凱旋門賞の失格です。故意にしろ、過失にしろ、禁止薬物が体内にある状況でレースに使用したわけですから、そうした事がないように最善を尽くす姿勢が足りなかったと言わざるを得ません。

特に『フランス人獣医師の処方によりイプラトロピウムの吸引治療を行ったが、同馬が暴れて外れたマスクから薬剤が寝ワラに飛散し、それを同馬が摂取した』という言い分を聞くと、だったら馬房を変えるなり、寝ワラを取り替えるなりするべきだろうと思うわけです。また、仮にその治療が必要であるなら、主催者に確認を取りながらレース前の検査が必要か、あるいは可能か、もしくは仮に摂取しても体内に残らない期間を確保した上で使用するなどの対策は取れたでしょう。そう考えれば、何かあった時の準備は圧倒的に不足していたと言わざるを得ません。ましてや日本競馬界の至宝とも言える馬です。最善を尽くすために、あらゆる可能性を考慮して準備を進めるべきでしたね。

それに関連した事としてJRA賞でなぜディープが満票ではないのか、という議論が起きました。年度代表馬では天皇賞・秋とマイルCSを勝ったダイワメジャーに1票、該当馬なしに1票、最優秀4歳以上牡馬ではダイワメジャーに1票が入りました。これについて報知新聞の浜木俊介記者は、自らが両部門でダイワメジャーに投票した事を明かした上で『フェアプレーを守る事ができなかったため、ディープをJRA賞の候補から外した』と述べています。これは決して批判や非難されるような事ではありません。世界一とも言える大レースで禁止薬物を使用して失格となれば、それ以外の成績がどんなに良くても薬物を使用して勝ったという疑いが残りますし、スポーツという観点から見てもドーピング失格は遡って記録を抹消されるほど大きな出来事ですから、故意、過失関係なく賞賛されるべきではないとの考えは理解できます。

さらに言えば、JRAや関係者の過剰な期待も問題でしょう。英雄と言える同馬に対して銅像の件だったり、凱旋門賞のCMだったり、一主催者として偏った態度を見せた上で、問題が起こった時に毅然とした態度を取らず、『残念』という言葉でお茶を濁すのは組織としてガバナンスに問題があるからです。池江先生もレース前にディープ状態についての言及を避けるのは理解できても、問題発覚後に説明責任を果たさずなぁなぁにした点は批判されて然るべきです。

次に種牡馬としては、社台の全面的なバックアップにより、英雄に相応しい成績を残しています。初年度産駒から桜花賞馬マルセリーナ、3歳で安田記念を制したリアルインパクト、マイルCSのトーセンラーとダノンシャーク、2年目には牝馬三冠でGⅠ7勝のジェンティルドンナ、ダービー馬のディープブリランテ、天皇賞馬のスピルバーグ、中山大障害のレッドキングダム、3年目には2頭目のダービー馬キズナ、4年目にはイスパーン賞や香港Cのエイシンヒカリ、5年目にドバイターフのリアルスティールなど、性別、距離を問わず多数の活躍馬を輩出します。

また、6年目には3頭目のダービー馬マカヒキをはじめ、桜花賞を除くクラシック4つを全て違う馬で制し、8年目には4頭目のダービー馬ワグネリアン、英国2000ギニーのサクソンウォリアー、9年目には5頭目のダービー馬ロジャーバローズ、そして10年目の今年はコントレイルと、初年度から10年連続でクラシックを制する快挙を達成しました。これは父サンデーサイレンスでも達成していない記録です。

一方で、周りがディープ産駒を勝たせるような条件を整えてきた事も事実です。ディープの名を汚さぬように最高の牝馬を揃え、ほぼ毎年200頭を超える種付を行い、成長力に乏しいディープ産駒が活躍しやすいクラシックに大量の子供を送り込んで蹂躙するわけですから、そりゃ勝ちますよね。もちろん、それが悪い事とは言いません。しかし、父サンデーサイレンスが引き起こした血の飽和を短いスパンで繰り返す事になり、延いては日本生産界の行き詰まりのリスクを高めてしまいました。

さらにサンデーと同じく、ディープの子供であるか否かがGⅠを制する基準となり、高騰する種付け料によって産駒の取引価格も高騰を続け、馬主も生産者も資金に乏しい者は淘汰される激しい格差を引き起こしました。それは毎度毎度、特定の者がGⅠ勝利という栄誉を受けるマンネリを生み出し、多様性や日本競馬を支えてきたストーリー性を失う事に繋がったと私は考えます。

結局のところ、JRAもファンも関係者もみんなディープに引っ張られているんですよ。【あくまで私の妄想ですが】JRAがディープ産駒が得意とする馬場を作り上げたり、弥生賞をディープインパクト記念に改称しようとした点からもJRAの姿勢が問題だという事が分かりますし、関係者もディープを傷付けてはならないとリスクを恐れぬ様々な配慮をし、ファンもディープ産駒に夢の続きを求めてそれを容認する。50年後に、この時代の評価を見てみたいですね。そしてホレ見た事か、と言ってから死にたいもんです。

メイショウサムソン

2006年のダービー馬メイショウサムソンは『騎手にダービーを取らせるために生まれてきた』馬であると同時に、日本競馬界を支える馬主をダービーオーナーにするために生まれてきた馬でもあります。

メイショウの冠名で知られる松本好雄オーナーは、所有馬のほとんどが良血以外、マイナー血統な安馬である事が知られています。ディープの金子オーナーとは違い、自ら馬を見たり、選んだりする事なく、交流がある調教師や牧場関係者からの推薦で馬を買うので、小規模の牧場などからは尊敬の念で【メイショウさん】と呼ばれているそうです。大レースに勝ちたいというより、日本競馬界や生産界、懸命に走る競走馬を応援したいという気持ちが強いのでしょう。活躍できない馬も簡単に処分しない事でも有名で、こういう人を好好爺と言うのでしょうね。

そうした買い方をしていた松本オーナーは、当然大きいレースを勝てるはずもなく、テイエムオペラオーのライバルだったメイショウドトウが宝塚記念を制するまで実に28年の歳月が掛かったそうです。私が競馬を見始めたのと同じくらいですね。普通なら撤退してもおかしくないのでしょうが、とても辛抱強いというか何と言うか・・やはり周りを見捨てられない人なんでしょうか。

そんな松本オーナーの下には、競馬の神様が舞い降ります。よく分かってらっしゃる神様。神様が与えたのはわずか700万のオペラハウス産駒。スピード偏重に変わって来た日本競馬界においては、重厚なスタミナ血統で、とても大レースを勝てるような馬とは言い難いのですが、いざ走らせてみたらあら不思議。勝ち味に遅いながらも中京2歳Sでレコードを出せるほどのスピードとそれを支えるスタミナ、勝負根性を兼ね備えた素晴らしい馬でした。

鞍上の石橋守は、競馬学校の栄えある1期生(相談役や須貝調教師、林満明調教助手と同期)で、ひたすら夜を待つという酒豪。何年かに一度のペースで重賞を勝つ、年間20勝前後が定位置の騎手でしたが、メイショウサムソンとのコンビではクラシックが終わるまで掲示板を外さない安定した成績を残します。

そんなメイショウサムソンは、東スポ杯2歳Sときさらぎ賞で2着、スプリングSを4番人気で1着となり、4-3-1-1の成績で皐月賞に向かいます。これだけでも結構な人気なりそうですが、本番では血統と鞍上、勝負服が嫌われたのか6番人気に甘んじます。確かに1番人気のアドマイヤムーンは武さん鞍上で5-1-0-0の重賞3勝ですし、3番人気のフサイチリシャールは4-2-0-1で前年の2歳王者ですが、2番人気のフサイチジャンクは4-0-0-0でOP2勝、4番人気のサクラメガワンダーは出世レースのエリカ賞とラジオたんぱ杯2歳Sの勝ち馬、5番人気のジャリスコライトは3-0-1-0で京成杯の勝ち馬なので、決して劣っている成績ではないはずです。私はこういう血統大好きです。

ところが、そうした面々をあざ笑うかのようにメイショウサムソンは勝ちます。先手を奪い、4角で早め先頭に立ったフサイチリシャールを坂下で捉えて一気に交わし、最内を突いたドリームパスポートを抜かせない勝負根性を見せ、相手をねじ伏せる強い勝ち方で一気にダービー候補へ躍り出ます。

そして本番のダービーでは、皐月賞6番人気から一気に1番人気にランクアップします。日本人はこういうストーリー本当に好きですよね。誰だってメイショウサムソン石橋を応援したくなりますもん。レースは最初の1000mを62.5のゆるいペースを5番手で追走し、坂下で逃げた青葉賞馬のアドマイヤメインを射程圏に入れると、粘るライバルに馬体を併せて坂上でねじ伏せ、クビ差ながら最後は手綱を緩める余裕を見せて二冠を達成しました。ここだけ見ると一流騎手のような乗り方ですね。ちなみに小倉デビューのダービー馬は同馬が初であり、後にもワンアンドオンリー1頭のみという珍しい記録を持っています。

三冠を目指した秋は神戸新聞杯2着、菊花賞4着、ジャパンC6着、有馬記念5着と3歳の有力馬らしい皆勤さを見せますが未勝利に終わります。菊花賞は長距離血統に向くような気もしましたが、コースレコードを更新する速い決着が合わなかったみたいで、悔しいというより、惜しいという気持ちが強かったなぁ。

翌年は瀬戸口の引退に伴い、高橋成忠厩舎へ転厩します。復帰戦の大阪杯を快勝し、今度こそ長距離血統の花である天皇賞・春で戴冠を目指します。本番では豪州帰りのステイヤー、アイポッパーに1番人気を譲りますが、レースでは最初の1000mが60.3、次の2000mが122.0と長距離らしからぬ緩みの少ないペースを中団で折り合い、坂の頂上から一気にペースを上げて4角先頭で直線に入り、粘り込みを図ります。残り100mでは内から鋭い末脚でトウカイトリックに差され、外からエリモエクスパイアの猛追を受けて万事休すという場面で持ち前の勝負根性を発揮し、残り50mでトウカイトリックを差し返し、エリモエクスパイアをねじ伏せてゴールに飛び込む素晴らしいレースで優勝します。三冠を逃した春の二冠馬が天皇賞・春を制するのは史上初の事でした。

続く宝塚記念ではアドマイヤムーンの2着に敗れますが、陣営はその血統から凱旋門賞挑戦を表明します。ところが同年8月に発生した馬インフルエンザに感染していた事が判明し、凱旋門賞遠征を断念する事になりました。この時がメイショウサムソンの全盛期だった事を考えると非常に悔しく、もったいない出来事でした。

その後、海外遠征用に押さえていた武さんを鞍上に天皇賞・秋に参戦し、アドマイヤムーンやダイワメジャー、コスモバルクなどを相手に見事優勝し、天皇賞の春秋連覇を達成しますが、ジャパンCではアドマイヤムーンの3着、有馬記念ではマツリダゴッホの8着に敗れます。

5歳となった翌年も現役を続行しますが、予定していたドバイ遠征は検疫の関係で断念し、天皇賞・春と宝塚記念で2着になるものの勝利は挙げられずに春シーズンを終えます。そして7月に凱旋門賞に挑戦する事が発表されると、8月下旬に出国し、前哨戦を挟まずに約一ヶ月の調整が続けられて本番を迎えますが、スタート直後から不利や接触などの厳しいレースが続き、ザルカヴァの10着に終わります。帰国後はジャパンCと有馬記念に出走しますが、大きな見せ場もなく6着、8着に敗れ現役を引退しました。

こうした血統が活躍できた背景には、やはり馬場や展開が向いた事が挙げられます。ダービーや天皇賞・秋は稍重でしたし、併せる形になると無類の強さを発揮しますが、逆に27戦して上がり3Fが33秒台になったのは2度しかないように速い馬場やスパッと差されると脆い一面がありました。

また、ローテーションも現在では考えられないほどキッチリと主要レースに参戦している点も見逃せません。私は、もし4歳秋に凱旋門賞に出走できて、かつ同年で引退していたら、今以上に評価が高い馬だったと思います。

ウオッカ

コレ終わらない気がしてきた。予想どころじゃないな。2007年のダービー馬ウオッカは64年ぶりに牝馬によるダービー制覇を達成し、かつ父娘二代でダービーを制した馬です。

同馬も書くと長くなるのでサラッと流したいのですが、ウオッカがダービー勝った時はもの凄く嫌な気持ちになりました。牝馬ごときにダービーを勝たれたという気持ちと、情けねぇ牡馬どもがぁという気持ちと、コレもの凄く強い馬かもしれんという気持ちが入り混じってましたね。

確かにダイワスカーレットは強かったし、同馬がオークスを回避した事でタダ貰い当然だったので、秋以降はイヤでも牡馬と混じって競馬するんだから今じゃなくて良いだろとは思うのですが、同年の牡馬戦線は不作でしたからねぇ。もし、そこそこ強い馬が一頭でも居たら角居先生も狙わなかったんじゃないかな。それに某大手馬主と違い、個人のオーナーブリーダーは夢を追いかけられる立場なのもプラスに働いたと思います。

事実、ダービー後の宝塚記念と秋のGⅠ4戦(取り消し含む)から翌年の京都記念、ドバイまで手当たり次第に行こう感はすごかったですよ。宝塚記念はともかく、秋華賞の敗戦からエリ女の取り消し、ジャパンC、有馬記念については、蹄球炎で凱旋門賞挑戦を断念した事でムキになって取りに来たようにも見えました。蹄球炎、右関節跛行とトラブルが続いたのにGⅠレースを使い続けてましたからね。しかも、翌年はドバイに向かうためか早々に京都記念から始動してて『ウオッカは休む暇無くて大変だ、下手に牝馬でダービー勝つもんじゃないな』と逆に心配しました。

ドバイから帰国後、ヴィクトリアMと安田記念を使うのですが、むしろ良く安田記念獲れたなと驚きましたよ。宝塚記念から噛み合わない歯車がヴィクトリアMまで続いていましたし、マイルは忙しいと思っていましたから。ただ、結果的には相手が弱かった部分にも助けられました。この走りが出来るなら、むしろ前年のジャパンCか有馬記念は要らなかったかな。京都記念も現在主流となった中山記念とかで選べなかったかなと思います。

その後は、復帰初戦の毎日王冠でスーパーホーネットに脚元をすくわれますが、天皇賞・秋でライバル・ダスカと壮絶なレースを繰り広げ、見事に戴冠します。このレースもダスカの単勝を握り締めた私の声援は届きませんでした。でもフジの中継だとダスカが残っているように見えるんですよ。何回見ても残っているんです。後からフジのカメラの位置がズレてるという話を聞いて、ふざけんなフジ!と激怒したのは言うまでもありませんが。

この辺りから応援するわけじゃないが、ウオッカを注目するようになりました。だってわずか2年の間にダービーと天皇賞・秋と安田記念を取る馬なんて居ないでしょ。根幹距離の主要GⅠ3つとか今後も出てこないと思いました。牡馬なら絶対マイルは選びませんし、もしウオッカが牡馬だったら私は絶対狂信的なファンになってますよ。もちろん、牝馬なら牝馬三冠の時点で達成できるのですが、さすがに格が違いますし、ダービーという称号は重いですからね。

そして翌年に再びドバイに挑戦するも前哨戦は壁を捌けず5着、本番は大きく逃げたグラディアトゥーラスから離れた2番手で追走するも差を詰めるどころか突き放されて、ウオッカから数馬身後ろで待機していた馬群に飲み込まれて7着。これは勝ち馬はともかく、他の馬とは力差ではなく展開のアヤでしょう。

帰国後はヴィクトリアマイルと安田記念を連勝し、いよいよGⅠ最多勝に王手を掛けますが、さすがに牝馬GⅠ2勝で最多勝はどうかなと思い、秋2戦のGⅠは全力で他馬を応援しました。天皇賞・秋ではお爺ちゃんカンパニーが頑張ってくれたんですが、ジャパンCではオウケンブルースリに猛追も及ばす最多勝を許す事になり、またまた嫌な気持ちになりました。牡馬のメンツは揃わないし、ディープスカイは早々に引退するしさぁ・・ウオッカが勝った相手はそれほど強くはないんですよ?だからって事もありますが、これでGⅠ最多勝?という夢でも見ているような気分だったのを覚えています。

翌年、3度目のドバイに挑戦するのですが、前哨戦のレース中に鼻出血を発症、前年のジャパンCでもレース中に鼻出血をしていた事から、そのまま引退となりました。私の中では記録というより記憶に残る馬でしたね。ちなみにウオッカの記録としては、以下のようなものがあります。

戦後初の牝馬によるダービー制覇
史上初のダービー馬の2000m未満のGⅠでの勝利
史上初の牝馬による混合GI5勝
古馬マイルGIの最大着差(7馬身)による勝利
牝馬初の獲得賞金が10億円を突破
牝馬初のGⅠ7勝
史上初の牝馬の日本馬によるジャパンC制覇
東京芝の古馬GⅠ完全制覇
史上初の牝馬による2年連続年度代表馬選出

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