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データと直感の融合 札幌2歳S

タイキシャトルに続いて、ゼンノロブロイまでもが・・そう思いますねぇ~

オーナサイドからの発表によると、

「8月に入ってから腰の悪さを感じさせる歩様となり、エコー検査をしたばかりでしたが、加齢による心臓の働きの低下という診断でした。9/1は普通にゴロリと横になって寝はじめましたが、今朝は起きることができず、最後は牧場関係者が見守るなか、苦しむこともなくスッとこの世に別れを告げました。ロブロイらしいカッコよさでした。」


ゼンノロブロイは私の競馬全盛期に出会えた一頭ですが、印象が薄いだなんだと言われる一頭なんですよ。ただ、成績を見ると実に濃厚なんですよね。

藤沢和先生が管理した若駒と言えば青葉賞からダービーです。それを印象付けたのが2年連続で青葉賞1着、ダービー2着だったシンボリクリスエスとゼンノロブロイでした。また、秋には菊花賞に向かわず、天皇賞・秋に出走するのは藤沢和先生らしいローテですが、この時は僚馬のボリクリ先輩が居ましたので菊花賞に向かって珍しいなと思いました。考えてみれば、藤沢和先生にしては珍しく長いところばかり使っていたような気がします。

3歳の有馬記念でボリクリ先輩の3着と好走し、翌年の飛躍を期待させましたが、4歳春は日経賞2着、天皇賞・春2着、宝塚記念4着とあと一歩結果が出ません。鞍上が相談役、ダミアン・オリヴァー(豪)、勝春だったせいかもしれませんね(笑)

ところが秋になると成績が一変します。緒戦の京都大賞典を2着として、変わらない感を見せたと思ったら、天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念の秋古馬王道3連戦を3連勝する離れ業を見せたのです。これには驚きました。今と同じように当時も秋にGⅠを3戦使うことは少なく、有力馬になればなるほど天皇賞・秋→有馬記念という具合に2戦に絞って使われており、それだけ秋古馬王道3連戦は挑戦するのも困難なローテでした。

しかし、ロブロイは陽気なフランス人ペリエを背に、あっさりとそれを達成します。4年前に激戦の末、史上初めて同記録を達成したオペラオーと比べると安心して見ていられたことを覚えています。さらに有馬記念のレコード2:29.5は未だに破られていません。前年にダイユウサクのレコードを12年ぶりに0.1秒更新したボリクリ先輩のレコードを、翌年に1.0秒更新するというぶっ飛んだインパクトを与えたのですが、その後、2:30.0を切った馬が一頭も居ない点も見逃せない事実です。

翌年も現役を続行し、半年ぶりの宝塚記念を3着とすると、夏は英国のインターナショナルSに挑戦しますが、翌年にドバイWCを勝つエレクトロキューショニストの2着に敗れます。レース時のメンバー的には勝ってもおかしくないメンバーだったのですが、ここでもシルバーブロンズコレクターぶりを発揮してくれました。

帰国後の天皇賞・秋は1番人気に推されるも、14番人気ヘヴンリーロマンスに足をすくわれ2着、ジャパンCはアルカセットに当時の世界レコードで走られ3着、ラストの有馬記念ではディープの熱気に包まれた中山競馬場の阿鼻叫喚をよそに、余力が無くなったように8着に敗れ、現役を引退します。

こう見ると、やはり4歳秋の一瞬だけ素質を最大限に開花させ、それ以外は能力に制限が掛かっていたような印象を受けます。もちろん、ロブロイは一生懸命走りましたし、不運もあったと思いますが、勝ち切る力だけが足りなかったように思いますね。これでまた一頭、名馬が旅立ってしまいました。残された者は淋しいもんです。それでもロブロイが天国で安らかに眠れるように祈っています。お疲れ様でした。



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