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開催日程の変遷⑥2002~2003年

久々の開催日割の変遷シリーズです。前回から一ヶ月程空いてしまいまして申し訳ありません。まとめるのが非常に大変で、簡潔に簡潔にと思ってはいても、あれもこれもと摘んでいると、気付けば膨大なワード数になってしまうのです。重点を置くのはあくまで『開催日割がどう変わったのか』で、合わせて『重賞の変遷』を見る事で開催日割の変遷を補完できていると考えています。たぶんですけど。

2002~2003年の開催日割

では、今回は2002~2003年を見ていきましょう。この辺りは様々な記録や挑戦といったものが見れた年ですね。特に2003年はあの○○○○おじさんが颯爽と現れて去っていった年で、競馬ファンの大きな衝撃を与えた年ですから、ここは注目していきたいと思います。

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初めての方も、お忘れの方も、繰り返しになりますが、開催日割は左から開催回数開催競馬場開催日数となります。1東京6なら、第1回東京が6日間行われた事を示します。赤字部分は前年から変更された部分で、例年通りに戻す場合はそのまま黒字としています。表の下記の数字は競馬場別の年間開催日数ですね。JRAが発表している開催日割と同じ様な形にしときました。こちらの赤字は開催日数が前年比で減少青字は増加している事を示しています。そのため、表で赤字があっても、年間開催日数が変わらなければ黒字となっている点に留意して下さい。

2002年

2002年は東京競馬場の馬場およびスタンド改修工事が始まった年です。もう20年近くも前なんですね。私は旧スタンドで競馬を勉強したので寂しくも悲しくもありました。

旧スタンドはメモリアル60との境にある正門側のベンチが好きでね。正門から2階の渡り通路を渡ってスタンドに入る前にテラスのような場所にベンチが置いてあるのですが、ここは馬場の反対側ですし、日陰に当たるので人気がないのですよ。だからいつも空いているのです。ダラダラしながら予想して、レースになったら中階段を上がって、スタンド端にあるお蕎麦屋さんを抜けると直線の中ほどの自由席に辿り着きレースが見られるかなり良い環境なのです。ただし、メモリアル60と旧スタンドは建物が別なので、そこの自由席から4角を見るとガラスが邪魔で見えない点だけが難点でした。

改修工事はダービー後から翌年の2月開催まで続きますので、秋の東京開催は中山で、中山開催は新潟で開催される事になりますが、これが後々大きな記録を生む事になるのです。


前年に大きな記録と記憶を残したテイエムオペラオーとメイショウドトウ、ステイゴールドの引退しましたが、面白い活躍馬はたくさんいます。まず、2002年最初のGⅠフェブラリーSはアグネスデジタルが制し、GⅠ4勝目を挙げました。同馬は前年に南部杯、天皇賞・秋、香港Cを制しており、地方→国内芝→海外芝→国内ダートという条件を問わない活躍を見せる快挙を達成しています。毎年の顕彰馬選考では数票しか入りませんが、こういう馬こそ顕彰馬として後世に語り継ぐ必要があると思うのですよ私は。時代は違いますが、タケシバオーと同レベルだと思います。

また、ドバイから香港へ転戦について、当時のルールでは2ヵ国に跨る転戦は検疫上の理由で一度日本に戻す必要があったのですが、白井先生が理事長に直談判して帰国せずに転戦する事が可能となりました。こうした小さな変化も頻繁に海外競馬に挑戦しなければ分かりませんし、変えられない事ですから、馬主の皆様はぜひもっと海外に目を向けて欲しいと思います。

次に、桜花賞ではホッカイドウ競馬から移籍したアローキャリーが優勝し、地方出身馬の勝利はオグリローマン以来2頭目となる快挙を達成しました。中山グランドジャンプでは豪州のセントスティーヴンが外国馬として初優勝し、4月に香港で行われたクイーンエリザベスⅡ世カップ(QE2)ではエイシンプレストンが前年の香港マイルに続く海外GⅠ連勝を飾りました。なお、同レースの2着はアグネスデジタルであり、史上初めて日本馬の海外GⅠワンツーとなりました。

続いてダービーでは武さん騎乗のタニノギムレットが優勝。NHKマイルCからの転戦組としては史上初めての勝利となりました。この頃はNHKマイルCからダービーの連戦がブームになっていた時代で、特に前年のマル外クロフネが大きな話題を呼び、これが呼び水となったのか分かりませんが数年後にNHKマイルCとダービーを連覇する馬が誕生します。なお、NHKマイルCのタニノギムレットは3着でしたが、これ以外に転戦組がダービーで馬券に絡んだケースは、前述の3頭以外にアサクサキングス、ブラックシェルの2頭のみという狭き門となっています。

安田記念ではアドマイヤコジーンが朝日杯3歳S(現・朝日杯FS)以来、史上最長となる3年半ぶりのGⅠ制覇を達成しましたし、前述の開催振替の影響で新潟競馬場史上初めてのGⅠとなるスプリンターズSはビリーヴが優勝して、サンデー産駒初のスプリントGⅠ勝利となりました。また、中山で行われた天皇賞・秋ではシンボリクリスエスが史上2頭目となる3歳馬による天皇賞・秋制覇を達成し、同じくエリザベス女王杯でもファインモーションが古馬に開放された同レースに史上初めて優勝します。なお、シンボリクリスエスはペリエ鞍上で有馬記念にも優勝し、タイキシャトルに続く史上2頭目の3歳馬による古馬混合GⅠ2勝を達成しています。あとはイーグルカフェが史上3頭目の芝ダートGⅠ制覇を達成しましたが、前年にアグネスデジタルとクロフネが相次いで達成しているので記録感はあまりないですね。

この記録には、その後に達成、更新されていないケースがあり、アドマイヤコジーンの記録は海外GⅠを含めるとリアルインパクトの3年9ヶ月という記録がありますが日本国内では最長ですし、3歳馬による天皇賞・秋や古馬混合GⅠ2勝は現在まで達成、更新はされていません

ちなみにGⅠ以外の記録としてはブロードアピールがガーネットSで史上初となる8歳牝馬による重賞制覇がありました。あの有名なレースですね。同じ最高齢重賞制覇としては同年2月のシルクロードSで9歳馬のゲイリーフラッシュが勝利しています。それからハギノハイグレイドが東海Sで2.22.3の世界レコードを、サウスヴィグラスが北海道スプリントCで史上初めて56秒台となる56.8の日本レコードを更新、サウスヴィグラスは3戦連続のレコード勝利となりました。連続レコード記録はどうなっているのかなぁ。今度調べてみます。


騎手関係は色々ありますよ。まず、英国のブレット・ドイルがノーリーズンで皐月賞を勝利。短期免許のクラシック制覇は前年のケント・デザーモに続き2人目で、その他に短期免許の外国人がクラシックに勝った例はデムーロ兄弟のみですね。勝浦はテレグノシスでGⅠ初制覇を達成するもタニノギムレットが被害を受ける斜行の末の勝利であり、15分の審議でも処分なしに終わったため武さんが激怒したという話もありました。その後、武さんはダービーで史上初となる3勝目を挙げ溜飲を下げましたが、菊花賞では1番人気のノーリーズンでスタート直後に落馬するという珍事を引き起こします。中尾彬に言えばオイオイオイ・・・ですよ。

あとは勝浦と同じく、故後藤浩輝がアドマイヤコジーンで安田記念に勝利し、デビュー11年目で初GⅠ制覇を達成しました。田辺より速いです。今なら関東No.2だったかもしれないと思うと、もったいないなぁと思いますね。合掌。また、ボリクリで天皇賞・秋を制した岡部さんは『中央四場で行われた天皇賞を完全制覇』という珍しい記録を達成しました。京都の天皇賞・春を3勝、阪神の天皇賞・春はビワハヤヒデ、東京の天皇賞・秋はヤエノムテキ、中山の天皇賞・秋はシンボリクリスエスです。ついでに最年長GⅠ勝利記録を53歳11ヶ月に更新しています。あと4日遅かったら54歳ですから、とんでもない記録です。武さんは更新できるでしょうか。

それから福永がピースオブワールドとエイシンチャンプで阪神JF、朝日杯FSを制し、2週連続GⅠ制覇を達成するとともに史上初めて2歳GⅠ完全制覇を達成します。後年、蛯名がショウナンアデラとダノンプラチナで達成しますが、2歳に強い福永にとって勲章と言える記録でした。現在はホープフルSがあるので難易度は上がっており、今後の完全制覇達成は困難でしょう。

最後に外国人騎手の活躍も目立ちました。前述したブレッド・ドイル、ペリエの他に、ランフランコ・デットーリジャパンCダートとジャパンCを2週連続で制覇しましたし、中山GJでは外国馬の鞍上ソーントンが、中山大障害では短期免許の女性騎手ロシェル・ロケットが勝利しました。ロケット騎手は平地、障害を通してJRA史上唯一の女性GⅠジョッキーとなっています。


それ以外の出来事では、銃刀法及び覚醒剤取締法違反で有罪判決を受けた田原成貴に対して、競馬関与禁止15年の処分が科されました。携帯電話用IPATの運用を開始したのもこの年ですし、新しい式別の馬単3連複が導入されたのもこの年です。ワイド以来3年ぶりの新馬券で馬券予想が一気に複雑化した記憶がありますね。

また、前年の騎手免許試験でアンカツが落ちた事に抗議が集まった事を受けて、JRAは同年に騎手免許試験の取り扱いを変更し、『受験年の前5年間で、中央競馬で年間20勝以上を2回以上収めている騎手は基礎的事項(競馬学校生と同等の学力・騎乗技術試験)は問わない』という要綱を作りました。これにより一次試験を免除されたアンカツは無事に二次試験(面接)をクリアし、翌年2月に晴れてJRA騎手となりました。

この時の気持ちをアンカツは『マスコミやファンの人たちの力をこのとき痛感した。その時、ふとオグリキャップのことを思い出した。そもそも「オグリキャップのような強い馬が地方に現れたときに、中央のクラシックに参戦できないのはおかしい」というマスコミやファンの声から中央と地方の交流が始まった。そこから様々な制度改革が進み、騎手試験制度の見直しにまで至った。そうした流れの中で生まれた力が、俺の背中を押してくれている。そのことに気づいて、心の底から感謝の念が湧いてきたのである。』と述べています。

考えてみればそうですね。ファンの声がマスコミに伝わり、それが大きなうねりとなってJRAに届いた時に、ファンや日本競馬にとって有益な変更が行われるのでした。しかし、現在では大手馬主やJRAに対して忖度するマスコミが口をつぐむので、そうした声はJRAに届きません。届いているなら、変わっているハズですからね。

あとは・・ナリタブライアンを生産した早田牧場が自己破産しましたね。一次は社台ファームに次ぐ、国内第2位の生産者だったはずですが、急激な拡大方針から資金難に陥り倒産となったそうです。時代とはいえ【急激な拡大方針からの資金難】は倒産する企業の代名詞と言われる言葉ですが、ここもそうなるとは驚きです。倒産後、早田牧場の天栄ホースパークはシルクホースクラブを経由してノーザンファームに売却されてノーザンファーム天栄に変貌しますし、ビワハイジもノーザンファームに移っています。こうしてノーザン一強の体制が構築されて行くのです。


開催日割は、春開催終了後から始まる東京競馬場の馬場改修およびスタンド改修工事の影響で、1月の中山開催が東京に振り替えられ、10,11月の東京開催は中山に、9月の中山開催は新潟に振り替えられています。新潟でGⅠを開催したのは良い判断でしたね。これで東京、中山が使えなくなった時の関東GⅠの開催場所が確保できましたから。個人的にはNHKマイルCヴィクトリアMは新潟に移しても良いと思っているので、どちらか移してくれませんかねJRAさん。

重賞は118R、GⅠは21R、障害重賞は10Rで変更ありません。前年との相違点は以下のとおりです。

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振替競馬による影響ばかりで大きな変更点はありません。京都新聞杯の距離がわずか2年で2200mに戻りましたが、GⅢの降格や再昇級などと合わせて考えると、何かの間違いじゃないかと思いますよね。ふざけた話です。

また新潟2歳Sが1600mに延長されました。2歳夏の重賞が1600m以上になるのは札幌3歳S以来ですが、「若駒だから1200mで」などという考えから脱却し、幅広い距離適性に対応したレース体系を整え始めたのは非常に好感が持てます。


2003年

2003年は東京競馬場の馬場改修およびスタンド改修工事が竣工し、今の悪しき?東京競馬場が完成しました。いやいや、この時に全てが完成したわけではありませんが、この後に大規模な馬場改修は行われていないので、ほぼこの時に基礎が出来たと考えられます。

さて、活躍馬を見ていきましょう。まずはクラシックからですが、2003年春のクラシックは牡馬がネオユニヴァース、牝馬はスティルインラブが制しました。牡馬二冠と牝馬二冠が同時に誕生したのは1975年のカブラヤオー、テスコガビー以来28年ぶりです。このカブラヤオーは良く覚えています。2000年に浅田次郎氏が書いた短編小説「永遠の緑(EVER GREEN)」の題材の一部がこのカブラヤオーなんですよ。この小説は競馬場で配布されていた小冊子としての中に載っていたものです。

永遠の緑(EVER GREEN)

まだ自宅の競馬本棚にありましたよ。物持ちが良いですねぇ。この小説は本当に良い内容で、これを題材にしたJRAのCMに出演したのが緒方拳松嶋菜々子です。最初にこの小説を読んでから、この二人をイメージしてもう一度読むと非常にしっくりくるのですよ。本当に小説が好きになったのは実はこれを読んでからかもしれません。

競馬を題材にした小説、マンガ、映画、ドラマはあまり多くないので、そうしたものをまた見たいもんですね。JRAもそうした面に取り組めば、不満が溜まっているベテラン競馬ファンの溜飲を下げ、新規ファンの引止めに役立つのではないでしょうか。

そん事もあって、テスコガビーも鞍上繋がりで覚えているのですよ。テスコガビーの鞍上は菅原泰夫ですが、カブラヤオーの鞍上も菅原泰夫なのです。しかも両馬は東京4歳S(現・共同通信杯)で対決してワンツー決着という因縁まであるから、そりゃ覚えますよね。この時は、師匠の茂木先生の計らいで自厩舎のカブラヤオーではなく、テスコガビーに乗ったんですよ。確か。しかし、弟弟子の菅野澄男に乗ってもらったカブラヤオーに負けてしまい、悔しい思いをしたとか言ってたような記憶があります。

そういうわけで、ネオとスティルの二冠達成の時はあぁカブラヤオーとテスコガビーだなぁと思ったもんです。懐かしいなぁ。

次に前年に新潟のスプリンターズSを制したビリーヴが高松宮記念を制し、スプリントGⅠの秋春連覇を達成しました。何気に秋春連覇は史上初だそうで、現在でも同馬を含めて3頭しか達成していません。なお、春秋連覇は5頭います。皆さんなら分かると思います。私は分かりませんでした。年には勝てません。

4月にはエイシンプレストンが香港で行われたQE2で連覇を達成しました。日本馬による海外重賞連覇海外重賞3勝は史上初です。この馬がいるから、他の海外GⅠ馬、特に香港国際招待を勝って‪ウェーイとか言ってる馬に、エイシンプレストン超えてみ?と言えるわけです。ちなみ、この後から2020年10月現在までに海外GⅠを3勝した馬はモーリスのみで、2勝した馬もアグネスワールドロードカナロアのみです。

日本馬は引きこもり大好きですからね。ディアドラ並に外に出ろとは言いませんが、ドバイ、香港のみではなく、春秋の欧州中距離路線などに挑戦する選択肢はないもんでしょうか。例えば、以下のレースは、JRAの海外の主要レース結果一覧から引っ張ってきたレースですが、ドバイとか大阪杯の後から9~10月までの間でも十分、ローテ組めると思うのですよ。

プリンスオブウェールズS
サンクルー大賞
エクリプスS
パリ大賞
キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS
インターナショナルS
バーデン大賞
愛英チャンピオンS

たぶん、今でもそうだと思いますが、日本馬が海外遠征から帰国した場合、それが60日以内なら輸入検疫が5日着地検査が3週間で済むはずです。そのため、6月上旬に出国し、6月中旬のプリンスオブウェールズS、6月下旬のサンクルー大賞、7月上旬のエクリプスS、7月中旬のパリ大賞、7月下旬のキングジョージの中から2戦して7月中に帰国すれば、天皇賞・秋にだって間に合うのですよ。

確かに馬場が合う合わないはありますが、行かない事には挑戦の歴史は動きませんし、挑戦しなければ井の中の蛙のままで、いくら『日本競馬はハードもソフトも世界一だぁ!!』と叫んでもむなしく響くだけです。オルフェなんか2012年の有馬記念の後に準備して春から欧州転戦すれば欧州GⅠの一つ二つは取れたと思いますよ。仮にダメでも5冠馬ですし、ディープ・キンカメ全盛時ですから、種牡馬価値も大きく変わらなかったでしょう。2013年は本当にもったいない年でした。

閑話休題、6月にはヒシミラクルが天皇賞・春に続いて宝塚記念も制覇し、春古馬の主役を掻っ攫いました。まぁ本当に掻っ攫ったのは後述するミラクルおじさんなんですが。それから秋には前述した牡馬・牝馬の二冠馬は前者が失敗、後者が成功という事で、スティルインラブが史上2頭目の牝馬三冠馬となりました。そのライバルだったアドマイヤグルーヴはエリザベス女王杯でスティルインラブをハナ差で下し、親子3代によるGⅠ制覇を達成しました。親子3代GⅠ制覇はシンボリルドルフ、サクラユタカオー、メジロアサマの系譜が達成していますが、全て牝馬で達成したのはこのダイナカールの系譜が史上初めてです。

それからシンボリクリスエスが史上初めて天皇賞・秋を連覇しました。同レースを連覇したのは3200mの時代を含めても後にも先も同馬だけです。そのボリクリをジャパンCで千切って、レース史上最大となる9馬身差の圧勝劇を見せたのがタップダンスシチーです。ところがどっこい、有馬記念では逆にボリクリが千切って、レース史上最大となる9馬身差の圧勝劇を見せました。倍返しか。

他には連戦連敗の無事是名馬ハルウララが人気になったのもこの年ですね。不振極まる高知競馬場の実況担当だった橋口浩二氏が広めたのがきっかけとなり、それを聞いた高知新聞の記者が記事にし、それを見た高知競馬の広報担当がマスコミ各社に広報したところ、全国紙に載ったというシンデレラストーリーには驚きです。その後、フジが情報番組で取り上げ、様々なメディアに波及し、ついには「負け組の星」などという二つ名を拝命する社会現象に発展しました。結局、100連敗のセレモニーを行うなど過熱する人気は治まりを見せず、翌年まで続く事になります。

ただねぇ、当の関係者は良い顔をしていないんですよね。『勝つ馬を差し置いて人気者になるのは複雑』『勝って欲しくて世話をしている』『競馬は勝つ事で評価される世界だから、負け続ける馬を生産しても評価にならない。報道されればされるほどヒロイン(同馬の母)の仔は走らないと足元を見られる。自分の懐が痛まなきゃ何でも言えるわな』など、グサッと刺さる言葉を並べていますから。また、騎乗経験のある武さんも『あまりにも異常な騒がれ方で、正直なところ辟易としている』『生涯で一度も勝ったことがない馬が、GI馬よりも注目を集めるのはどうにも理解し難い』とコメントしています。多分、高知競馬以外の競馬関係者や競馬ファンの多くがそう思っていたのではないでしょうか。


さて、騎手関係では前述とおりアンカツこと安藤勝己が中央に移籍し、翌月の高松宮記念をビリーヴで制して、早々にJRAのGI初制覇を達成しました。幸英明はスティルインラブで桜花賞を制し、騎手デビュー10年目でGI初優勝となりましたが、同馬が牝馬三冠を獲った事により、史上初めてGⅠ未勝利騎手が牝馬三冠を達成した事になり、牡馬三冠を含めても史上唯一の偉業となりました。

一方、牡馬クラシック二冠を達成したミルコですが、外国人騎手のダービー制覇は史上初でしたし、当然二冠も史上初です。同馬はダービー後に休養ではなく宝塚記念に出走するのですが、そこで問題となるのが短期免許の期間です。当時のミルコはまだ短期免許で騎乗しており、同年は2/22~4/20、
5/31~6/8で3ヶ月を使い切っていました。つまり、宝塚記念はもちろん、菊花賞にも騎乗する事はできません。

このままでは宝塚記念はともかく、三冠が掛かった菊花賞にも主戦騎手が乗れないという事態になり、ファンやマスコミ、関係者から批判の声が上がります。そこでJRAは短期免許の取り扱いを変更し、「同一馬に騎乗して同一年にJRAのGⅠを2勝以上した場合、その年のGⅠで当該馬に騎乗する場合に限り、そのGⅠ当日のみ免許を発行する」といういわゆるミルコ特例を作ります。しかも宝塚記念の3日前の6/26に、です。これによりミルコは宝塚記念、菊花賞、ジャパンCの3戦に騎乗する事ができました。こういう時は非常に有能なんですよねJRAさんは。まぁ慌てて作ったから、後年レーンに悪用されてしまうのですが。


それ以外の出来事では、田中耕太郎調教師がアメリカで競走馬を生産し、それを馬主に売っただけでなく、血統登録証明書に虚偽の登録申請を企て、善意の馬主から不当な利益を得ていた事が発覚し、調教師免許を剥奪されました。不祥事による調教師免許の剥奪は、93年の野平富久、01年の田原成貴に続く3例目だそうです。これって海外で生産して走らせる分には問題ないのでしょうかね。日本で走らせなければ良いなら、香港とかドバイとかでやりたい放題できそうですが。

あとウィキを確認していたら、4/14にJRAは国際GIの優勝馬が宝塚記念・ジャパンC・ジャパンCダートに勝利した場合、褒賞金を交付すると発表したと書いてありました。おいマジか。ジャパンCの褒賞金制度はこの時代からあったのか。それで効果は出たのかと言えば・・・お察しですね。


最後にミラクルおじさんの話ですが、これは夢がありましたね。この話は、宝塚記念の前日にウインズ新橋で一人の中年男性が現れたところから始まります。男性は安田記念の的中馬券(1222万円)を換金し、それをそのまま宝塚記念のヒシミラクルの単勝にぶっ込んだのです。結果は前述とおりヒシミラクルが勝利したのでこの馬券は的中した事になりますが、その配当は16.3倍でした。つまり、最終的な払戻金は199,186,000円約2億円になったのです。このエピソードが明らかになると、競馬ファンからヒシミラクルと奇跡にかけて「ミラクルおじさん」、あるいは「2億円おじさん」と呼ばれる事になったのです。同じ二つ名でも「負け組の星」とは比べ物になりません。

このミラクルおじさんのスゴい所は、宝塚記念に1222万円をぶっ込んだ事もそうですが、それ同様に安田記念にもぶっ込んでいた事がスゴいのですよ。安田記念では、前年のQE2から脚部不安で長期休養し、地方のかきつばた記念で復帰したばかりのアグネスデジタルの単勝(9.4倍)に130万円をぶっ込み、その払戻金1222万円をヒシミラクルの単勝(16.3倍)にぶっ込むというコロガシをしたわけですからね。一般的な競馬ファンじゃ無理ですね。単勝コロガシなら1222万円でストップですよ。小金持ちか、もしくは生粋のギャンブラーじゃない限り全額はいけないです。

その後、ミラクルおじさんは翌月曜日に換金に来たそうです。世間話のようなJRA職員からの質問には何も答えず、帰り際に『これで競馬は辞めます』と一言呟いて去って行ったと伝えられていますが、どこまで本当の話かは分かりません。当然、オフレコで答える事はできてもJRA側が正式にコメントする事はできませんからね。

現在ではWINS5を初めとして高額配当馬券がバンバン出ますし、サラリーマンの小遣いでも頑張れば1000万円を超える払戻しを受ける事ができますが、彼は単勝のみでこの結果を叩き出したわけで、本当に素晴らしい事だと思います。私もいつか大勝負をする時は単勝コロガシで狙いたいと心刻んでから早20年弱・・・いつになったら大勝負できるのでしょうか。


開催日割は前年から続く東京競馬場の馬場改修およびスタンド改修工事の影響で、2月の東京開催が中山に振り替えられていますが、それ以外に福島競馬について少し変更がありましたね。これまでの福島競馬は6月中旬から7月中旬の第1回、10~11月の第2回、第3回で行われてきましたが、秋の一開催を4月に移行し、現在と同じく第1回を4月、第2回を7月、第3回を11月に行う形となりました。

重賞は118R、GⅠは21Rで変更ありませんが、障害重賞は中山大障害が降雪の影響で翌年1月に延期となった影響で9Rに減少しています。前年との相違点は以下のとおりです。

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前述のとおり変更はほとんどなく、11月から4月に以降したカブトヤマ記念がこの年でその役割を終え、翌年以降は同距離の重賞として新設された福島牝馬Sが登場します。父内国産限定重賞が無くなるのは残念ですが、種牡馬リーディングにサンデー産駒の種牡馬が内国産としてチラホラ登場してきましたし、その流れは今後も続いていくと考えれば、父内国産馬を奨励する必要が無くなったと考えるのは自然な流れでしょうね。ダビスタの時はお世話になりました。


⑦に続く


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