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アリーヤ20周忌に思う

今からちょうど20年前の今日、2001年8月25日はアリーヤの命日。7月にリリースしたばかりのサード・アルバム『Aaliyah』は8月4日付Billboard 200全米アルバムチャートで2位初登場と、アリーヤにとっての最大のヒットアルバムとなっていた。そのちょうど1年程前の2000年には、彼女がジェット・リーと共演した初映画出演作品、『Romeo Must Die』のサントラ盤(アーリヤ自身がエグゼクティブ・プロデューサー)からのシングル「Try Again」が、ビルボード史上初のエアプレイのみのポイントで、チャートイン4週目で彼女にとって初の、シングルチャートHot 100の1位に輝いていた。R.ケリーとのスキャンダルを振り切って、セカンド・アルバム『One In A Million』(1996)以来タッグを組んだティンバランドが作り出す当時としてはユニークで先進的なビートをバックに、アリーヤにしか体現できない、神秘的でスピリチュアルなグルーヴとオーラをまとったサウンドと美しい歌声で、間違いなく2001年夏のアリーヤはそのキャリアの絶頂にさしかかろうとしていたのだ。

当時会社の駐在でNYに住んでいた自分は、マンハッタンの自宅と同じブロックにタワーレコードがあるという夢のような環境の中、アリーヤのこうしたスターダムへの上昇を目の当たりにしていた。そんなさなかに突然飛び込んで来た当時若干22歳だったアリーヤの訃報。その若さと美貌とこの後現在に至るまで数々のR&B・ヒップホップアーティスト達に大きな影響を与え続けている独得のサウンドで当時正に世界を魅了していたアリーヤが亡くなったなんてにわかに信じられなかった。たまたまつけたCNNのニュースでその信じられないニュースを目にしながら、その文字もアナウンサーのコメントも、まったく頭に入って来ず、茫然としていたのを覚えている。

1990年代後半から新世紀に移る2000年頃は、あれほど90年代を通じてルネッサンスのように従来からのオールド・スクールなスタイルを熟成させたかのような芳醇な隆盛を見せたR&Bとヒップホップ・シーンがいろんな意味で新しい展開を見せ始めた時期だった。ヒップホップ・シーンが、ビギー2パックの暗殺を機にN.W.A.に代表されるような殺伐としたギャングスタ・ラップやパブリック・エナミーらの社会矛盾への対決姿勢を露わにしたアーティスト達の台頭と、R&Bに寄り添うかのような歌伴ラップ・スタイルのメインストリーム化の二極分化に移行したかに見えた頃、R&Bのメインストリームを再定義する存在として登場してきたと思えたのがアッシャー、アリシア・キーズ、そしてアリーヤだった。そしてその3人の中で最もメインストリームらしくないアプローチによる作品を発表しながら、R&Bメインストリームにおいて厳然とした存在感を放っていたのがアリーヤ

当然のことながら、R.ケリーの全面的バックアップによるデビューアルバム『Age Ain't Nothing But A Number』(1994)ではあくまでR.ケリーの世界観の中での表現しかできていなかった当時15歳のアリーヤ(それでもアイズレーのカバー「At Your Best (You Are Love)」での美しい歌声には後の非凡さの閃きを感じたが)だったが、R.ケリーとのスキャンダルを乗り越えて、当時まだブレイク前だったティンバランドのプロデュース、ミッシー・エリオットの楽曲を中心に組み立てたセカンド・アルバム『One In A Million』で帰ってきたアリーヤはまったく別物の、そして新世代のソウル・クイーンとしての風格すら備えた存在に大きく成長していた。その後、このアルバムの成功をきっかけにティンバランドは新感覚のビートやトラックを駆使したサウンド・メイキングで、相棒ミッシー・エリオットの歴史的デビュー・アルバム『Supa Dupa Fly』(1997、BB200最高位3位、R&B最高位1位)を大ヒットさせ、新世代のヒップ・ホップR&Bを革命的に定義してみせ、第一線のサウンドメイカーとしての位置を確たるものにしていた。そしてその勢いを持ったティンバランドと再度タッグを組んでリリースしたのがアルバム『Aaliyah』だった。それはアリーヤのシーンにおける新しいフェーズへの進化を見せつける作品でもあった。

ティンバランド・スタイルの面目躍如たる神秘的で独得なビートの「We Need A Resolution」や「More Than A Woman」、聴く者の音像とイメージを大きなスケールで掻き立てる「Rock The Boat」、60年代からのオールド・スクールへのリスペクトと愛情をふんだんに感じさせる「I Care 4 U」などなど、新たなR&Bの名盤としての要素満載のこのアルバムで、アリーヤは次どこに行くのだろう、と当時NYでこの様子を目の当たりにしていた自分は楽しみでしかたがなかった。その矢先の悲劇であった。残念すぎた

残念ながらアリーヤをミュージシャンの世界に導き入れた叔父(アリーヤの母親ダイアンの兄で、グラディス・ナイトの元ダンナ)で、アリーヤが所属していたレーベル、ブラックグラウンドのオウナーであるバリー・ハンカーソンと、ダイアンをはじめとするアリーヤの遺族の関係が、アリーヤの死後いろいろな行き違いで途絶してしまっていた関係で、これまでアリーヤの音源やYouTube画像、ストリーミング等は、今はソニー・ミュージック・グループのジャイヴ・レーベルが所有しているファースト・アルバム関連のものしかネットに出回っていなかった。それでも今でもアリーヤの音楽と、彼女の存在に強く影響を受けたミュージシャンは多いし、ネット・オークションサイトなどでも彼女のセカンド・アルバム以降の作品が高値で取引されていることでも判るように、未だに彼女の音楽のファンは多く、セカンド以降のストリーミング解禁、フィジカル再発のニーズは常に高かった。最近では今現在Hot 100にチャートインしている、ノーマニ(元フィフス・ハーモニー)がカーディBをフィーチャーした「Wild Side」(最高位14位)に使われているドラム・ブレイクが、アリーヤの「One In A Million」のサンプリングじゃないか?という噂がネットで広がり、一日で14,000以上のツイートが記録された、ということがあったばかり。

それがアリーヤの20周忌を機に、状況は大きく変わるようだ。昨年の19回目の命日に遺族がツイッターでファンに向けて、アリーヤの音源をストリーミングも含めて一般に開放するための協議がスタートした、というアナウンスをしたのをゴーサインと受け止めて、バリーアリーヤ音源の配信・発売に向けて急発進。2010年設立、ここ10年くらいでXXXテンタシオンアンダーソン・パーク、ケンドリック・ラマーの初期作品などをリリースするなどR&Bヒップホップ・シーンでの存在感を増しているエンパイヤ・レコードの配給でアリーヤの音源リリースの契約をまとめあげたのだ。既に下記のブラックグラウンドのサイトではアリーヤのCD購入が可能になっているし、ストリーミングについても8/20に配信されたアルバム『One In A Million』を皮切りに、下記の #Aaliyahiscoming のページから各種ストリーミングサイトに今後順次配信されるアリーヤの音源が楽しめるようになるようだ(アリーヤだけではなく、ブラックグラウンドの他のアーティスト、例えばティンバランドタンクらの音源も順次配信されるらしい)。

8/7付ビルボード誌が伝えた、アリーヤの今後のストリーミング配信等の予定は下記のとおり。

8/20
* アルバム『One In A Million』(1996) - Aaliyah
9/3
* シングル「Are You That Somebody」(1998) - Aaliyah(映画『Dr. Doolittle』サントラ収録)
* 『Romeo Must Die』サントラ (2000)
9/10
* アルバム『Aaliyah』(2001) - Aaliyah
* シングル「Miss You」(2002) のビデオ- Aaliyah
10月
* コンピレーションアルバム『I Care 4 U』(2002) - Aaliyah
* ベスト盤『Ultimate Aaliyah』(2005) - Aaliyah

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長年ネットで見聞きできなかったアリーヤの作品が、彼女が存命当時存在すらしていなかったストリーミング配信という形で、従来のファンはもちろん、アリーヤを知らなかった若いR&Bファン達の耳に広く届くことは、一アリーヤのファンとしてもとにかく喜ばしい限り。ただ残念なことに、その後アリーヤの遺族はバリーのこのアレンジを支持しない、というアナウンスをしてしまっていて、バリーが管理している未発表音源のリリース可能性も含めてこれ以上の状況の変化が不明確になってしまった。ただ、遺族は今回のアリーヤの従来音源のストリーミング等配信をストップするという行動にも出ていないので、取り敢えず世界中のアリーヤファンや、アリーヤを知りたい若いリスナーのみんなは、アリーヤのレガシーを存分に楽しむことができそうだ。

折からこの記事を書き始めた今朝ほど、ローリング・ストーンズチャーリー・ワッツの訃報が飛び込んできた。方やわずか22歳でこれから世界中にその才能とカリスマを存分に示して、素晴らしいキャリアを積むことがほとんど保証されていながらその人生を終えざるを得なかったアリーヤと、デビュー以来一度もライブに参加しなかったことがなく、歴史的なローリング・ストーンズというバンドで常にステディなビートを刻み、60年に亘るレジェンドのようなキャリアを積んで大往生したチャーリーが、期せずして同じ命日を共有することになったというのは、何やら感慨深いものを感じさせるアリーヤが、あの不幸な事故がなく、そのまま順調にキャリアを積んでいき、常に先進的なメインストリームR&Bに挑戦し続けていたら、今2021年のR&Bシーンはどんな形になっていたのだろう、それでもフランク・オーシャンに代表されるような音響派的R&Bは登場していたのだろうか、などとアリーヤの曲を聴きつつ、いろいろと妄想する、今日はそんな一日になりそうだ。

R.I.P.アリーヤ。21世紀R&Bを真っ先に定義してみせた新世代のクイーン・オブ・ソウルに巡り会えた幸運を、僕らはずっと忘れないだろう。


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