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本の街 神保町「Jam 神田村物語 3」

                                                                                          斐太安男

初仕入れ 胸ときめく

まず、初めての書籍注文。
電話注文だったと思う、集英社から刊行されはじめたばかりの『人物 日本の女性史』第一巻。高校進学の娘さんへの贈り物とのことだったが、初の仕入れ本で、文字どおり喜び勇んで神田村へ行き、仕入れた時の記憶が鮮明に残っている。見つけたのは太洋社の書籍店売、集英社の棚の下に積んであったと思う。
「斐太書房、本屋です。よろしくお願いします」
レジで差し出し、心の中で復唱してきた言葉が以外にすんなり出てきた。レジの男の人はこちらを見るでもなく、文字どおり事務的に、複写伝票に書名、定価、掛け率(正味)を記入して請求金額を計算、「00円」と告げ、お金を差し出すと一番上の納品伝票に受領印を押して釣銭と一緒に渡してくれた。だが、なぜか届けた際のことは記憶に残っていない。

雑誌の第一号は週刊誌。
「あなた、この間寄ってくれた本屋さんでしょ。週刊新潮、今度の号から入れて頂戴」歩いているところを呼び止めてくれたのは、そこから少し離れた団地に住む奥さん。三日前に回っていて、顔を覚えてくれていた。
「安いので申し訳ないないわね。いいかしら?」
とんでもない、うれしい注文 しかも、毎週の定期便だ。この初仕入れは、うれしさと感謝を伝えたくて安達図書、あのおじさんのもとへ走った。

「広辞苑お願いします。お金、お預けしますか」

集合住宅何カ所目かの一軒だった。少し年配の奥さんが、一連のオーム返し口上を聞き終えると、まるで待っていたかのようなご注文。いとも簡単な初めての大物受注に心躍った記憶は鮮明だが、その後がかすんでしまって見えない。もうそのころには神田村通いにもだいぶ慣れ、普通なら鈴木書店岩波コーナーで仕入れたはずだが、その記憶がまったくなく、風呂敷に包んだズッシリとした重量感にも覚えがないから不思議だ。

下手な(無)鉄砲も数撃てば当たる。少しずつだが、児童用の学年誌、婦人誌などの定期購読が入るようになり、その配達時にまた注文を受けるという、うれしい相乗効果も少しずつだが増えてきた。配達可能地域と考えていた都営団地の少し外側にあった大手製鉄会社の社員住宅では、若奥様用のミセス、マダムの定期購読が増え、発売日には一荷物になるほどだった。

神田村通いもほぼ毎日のようになってくるが、このいわば本題に入る前に、意外な方向に広がって行ったもう一つの道、友人知人からの注文、支援について記しておきたい。

ありがとう 人の輪
こちらは、書籍が中心で、趣味や仕事の違いによって様々なジャンルの本の注文がポッポッと入ってくるようになった。仕入れ初心者には、少ししんどかったが、出版社の所在や取引取次店など販売ルートを知る貴重な体験をさせてもらえた。刊行中だった美術全集の定期購入をしてくれた学習出版社勤務の先輩や、実家の家業に関連した高額な専門書の購入先にしてくれた学友の同人誌仲間もいる。仕入れた本は注文者との普段の待ち合わせ場所で手渡したり、勤務先へ届けたりしていた。連絡すると我が家まで取りに来てくれる義姉夫婦のようにありがたいお客様もあった。

会社の職場出入り第1号は、妻がしばらく前まで勤めていたカメラ会社。僕自身は尻込みの心理だったが、元職場へ出掛けて行き、販売の道を拓いてくれた。本屋稼業を始める数年前、親友が義姉と結婚していた。本屋さんでのアルバイト同士といううれしい結びつきで、僕たちはその縁につながって結婚した。義姉は、自分たちの注文を出してくれただけでなく、勤務していた職場の社長さんを紹介してくれた。規模は大きくなかったが、創業まもない編集·制作のプロダクションで、業務関係だけでなく、社長さんはじめ社員個人の方々からも注文がもらえるようになった。

さらに、その社長さんから学友という大手旅行会社勤務の方を紹介してもらい、僕の仕事、本屋稼業は思いもかけない方向に拡大していった。紹介された方は秘書室所属、いきなりの会社中枢への出入りであった。現在では考えられないことだが、ドア·ノックだけで自由に出入りできたばかりでなく、開け放たれていることもしばしば。室長さん以下、どなたもしどろもどろの受け答えしかできない新米本屋に親切に接して下さり、担当される社長さん以下役員方の注文までも取り次いでいただいた。

この秘書室には退職されてからもご自宅から注文を下さる方が何人かある。なかでも出入り中に就任された一人の室長さんは、ある作家の大ファン… 熱烈な愛好家といった一般的な域を越え、ついにはその作家をして、ご自身以上に自分のことを知っている !?と驚嘆させたという。その成果は大部の著書にまとめ上梓されている。退職後も引き続きご注文をいただいたばかりでなく、注文書が入ると埼玉県境を越えてわが家近くまで受け取りに来て下さるという、僕にとってはまさに「お客様は、神様」の域を超えた存在だった。
項を改め、詳述したい。

旅行会社では秘書室だけでなく、並行して主要部署ほとんどに紹介してもらい、その過程で「彼は、読書家」「あの人は、陶芸が趣味」などの個人紹介もあり、気がつけば数階建ての社屋ほとんどの職場に顔を出し、絶対できないと固く思い込んでいた職場セールスに、いつのまにかはまり込み、違和感なくなじんでさえいた。さらに、同社の経営企画部の方が手がけられていた地方自治体の国際化を目指す財団法人の設立準備室への出入りも始まり、設立後はその事務局はじめ数カ所の海外事務所への定期刊行物や書籍の注文が入るようになった。以上、3つの得意先はいずれも神田村に比較的近く、仕入れついでに寄って来られるのも便利でありがたかった。

義姉はまもなく紹介してくれた勤務先から退職したが、僕の出入りに影響はなく、彼女を起点とする人の輪に導かれ、僕は最初はできないと思い込んでいた分野で思いがけない本屋稼業の柱を一本築かせてもらったことになる。義姉から受けた仕事上の恩義はもう一つある。貪るように読むものを求め漁った活字少年時代を過ごした僕にはまさに天職、校正業への道を拓いてくれたのも彼女である。

この新しい仕事の話も項を改めて記述する。


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