letter from books selva04

 雨ばかりで気分が沈む。毎年4月はこんなに天気が悪かったっけ?と思い、気象庁HPで鹿児島市のデータを見てみた。2023年4月は28日の時点で、日照時間が10時間を超えたのは11日あった一方、ことしはたったの5日。日照時間で見ると、2022年4月は193時間、23年は174時間、ことしは28日まででたったの104・1時間! そりゃ、気が滅入る。太陽が恋しい。
 4月22日はアースデイだった。店の黒板に何を書こうかと本棚を見回していると、この1冊が私に囁きかけてきた。『超高層のバベル 見田宗介対話集』(見田宗介)。本には見田の対話者として、河合隼雄、大岡昇平、吉本隆明、石牟礼道子などが登場する。さて、誰との対話にしようか。特に意味もなく、文芸評論家の加藤典洋との対話を読んでみた。そこで見田はこんなことを言っている。

 (…)森というのは、いろいろな植物や鳥、虫、そして人間を含めて、さまざまな生命体が、異なった種相互のあいだで誘惑し合っている、そういった誘惑の磁場空間のようなものとして考えることができます。もちろん、森というのは比喩的なイメージで、理論的な言い方をすれば、生態系です。(p.266)

『超高層のバベル 見田宗介対話集』(見田宗介)

 エドゥアルド・コーンの『森は考える:人間的なるものを超えた人類学』が思い浮かぶ。

 (…)アヴィラ周辺の森は活力に満ちている。つまり、その森は、必ずしも人間を中心にまわるのでもなく、人間に由来するのでもない「意味=すること」が出現する別の座をいくつも宿している。森は考えると言うときに私が言わんとするのは、このことである。(p.128) 

『森は考える:人間的なるものを超えた人類学』(エドゥアルド・コーン)


 自然と言えば、人間がなにも関わっていないようなものを思い浮かべてしまいがちだ。しかし、人間も生態系の一部なのだから、そのような「自然」は存在しない。人間がほかの動植物とはまったく異なるというものの見方は、人間は地球の上に君臨しているという考えにほかならない。わたしたちは絶対者のように地球を俯瞰して見ることができる存在ではない。人間と非人間はもつれ合って地球に存在している。しかし、わたしも日常生活でそのもつれ合いを意識することが少ない。やはり、少しでも土と戯れなければ、と思う。「地球には人間が君臨しているのだから、人間が支配できる」という考え方の象徴が、原発だ。ほかの動植物の了解も理解もなしに放射性物質を海や川、山に撒き散らしていいはずがない。
 天気が悪い日が続くと気分も沈む。気分が沈めば文章も書けないし、雨が続けばお客さんも来ない。まさに地球の一部と感じる。そんな天気の悪い4月の中、鹿児島市議選の投開票日(14日)の日照時間は7・1時間。そこそこ晴れていた。それでも投票率は40・7%。過去最低だった前回よりは4ポイント近く高いが、6割が棄権した。60人以上も候補者が出たのに、である。投票しないということは、すべておまかせしますという意思表示なのだから、投票したくなければしなければいいと思う。それも権利を行使したと言えるだろう。
 しかし、やはり立ち止まって考えたい。自民党の派閥裏金問題、政治資金規正法の問題、その他もろもろの問題が起こっている。このような問題を引き起こした議員を選んだのはわたしたちだということを忘れてはならない。問題を起こしても当選さえすれば、彼らは国民から「信任された」と言う。それはその通りだ。だから、おかしいと思えば、その人を選挙で落とし、わたしたちで議員の身分を剥奪しなければならない。
 知事選は7月だ。塩田康一知事は、50分の1以上の有権者が求めた川内原発20年延長の是非を問う県民投票を実施するための県民投票条例案に否定的な意思を示した。もし、塩田知事が再選されれば、それは県民の意思を聞かず、知事と県議会(自民党が圧倒的多数なので、自民党と言い換えてもいいだろう)が決めることに県民は文句を言うな、という政治をわたしたちが是認したということになる。それでいいのであれば、塩田知事に投票すればいい。もし、それがおかしいと考えるのであれば、投票でわたしたちの意思を示さなければならない。『思想としてのアナキズム』(森元斎編)の論考「社会は転倒しなければならない」で森が言う通りだ。

 どのように私たちの生を世界に認めさせるべきなのか。それは資本主義や国家にスポイルされることがないように、やはり資本主義や国家には抵抗し続けることで、つまり私たちの生そのもののレベルでの反操行が重要である。(p.17)

『思想としてのアナキズム』(森元斎編)


 天気のように話は変わるが、本屋を経営するのに資格は要らない。これは、新聞記者も同じだ。新聞社で記者職に就けば記者。本屋も同じ。わたしは本に詳しいわけでも、人より多く本を読んでいるわけでもない。だから、「つまらん本屋だな」と思われても仕方がない(先ほどの「雨が続けばお客さんが来ない」はただの言い訳でした。申し訳ありません)。『この星の忘れられない本屋の話』(ヘンリー・ヒッチングズ編)で、コロンビア出身の作家、フアン・ガブリエル・バスケス(店には『密告者』『物が落ちる音』などがあります)が「いい本屋」について書いている。

 いい本屋というのは、本を探しに行って、思いも寄らぬものを見つけて帰ってくるという、そんな場所である。(…略…)私たちは自分の経験を無限に押し広げていくことができるのだ。(p.81)

『この星の忘れられない本屋の話』(ヘンリー・ヒッチングズ編)


 『宇治拾遺物語』(町田康訳)のある話で、鬼たちの踊る姿を見て、爺さんの「踊りたい」という思いが溢れ出し、我を忘れて踊りまくるくだりがある。好奇心が溢れ出し、買っちゃった。そんな本屋にしたい。(文中、敬称略で失礼しました)


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