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岡田由季 『犬の眉』
本書は岡田由季氏の第一句集で2014年刊行。俳句を始めた1998年から2013年までの316句を収録している。
「炎環」同人、「豆の木」に(現在は「ユプシロン」にも)参加している岡田由季氏は2021年に第67回角川俳句賞を受賞、2023年には第二句集『中くらゐの町』を刊行している。
『中くらゐの町』にとても魅かれて、大急ぎで第一句集を購入した。ほぼ経年順とあとがきにあるが、六章から構成されており、それぞれにタイトルが付されている。とくに好きな句をいくつか紹介する。
人日やどちらか眠るまで話す
季語は「人日」で新年の句(いまさらだが、季語は春・夏・秋・冬・新年の五つの季節にそれぞれ分類されている)。
一月七日のことで、端午の節句や桃の節句にならぶ五節句の一つである。角川俳句大歳時記には、『人日は人の世界の運勢を占い、人を尊ぶ日と定められた。』とある。
一月七日と言えば、七草粥や、そろそろ正月気分もおしまい、という頃合いだろうか。掲句の「どちらか」は生活を共にするパートナーを想像した。華やかな正月を抜け、再び日常に戻っていくという狭間の夜、少しだけ正月気分を引きずって、いつもよりすこし長くしゃべっている夢うつつの時間。生活の気配や温度のようなものがじんわり伝わってくるようだ。
雉のこゑ使はぬときはたたみをり
季語は「雉の声」で春の句。「使はぬときはたたみをり」という措辞にハッとした。あの声、たためるんだ。作者の感覚の瑞々しさが魅力的な句。
つちふるやロボット光りつつ喋る
季語は「つちふる」で黄砂のこと。こちらも春の句。ロボットの金属感と自然物である黄砂の対比が鮮やか。
年々、黄砂の被害は拡大しているような気がするが、この句のなかではあまり嫌な感じがしない。作中主体にとって黄砂はそれほど深刻な被害を与える存在ではないのだろう。重くなりがちな「つちふる」がさらりと使われていて魅かれた。
拾はれて七日目の亀そつと鳴く
季語は「亀鳴く」でこちらも春の句。亀には声帯はないものの、俳句の世界では鳴くものとされてきた。実態がなく、なかなか捉えどころのない季語だと思う。
最初のうちは警戒していた亀も七日目にはすこし心を許してそっと鳴いてくれたのだろうか。慎ましくてのどかな、どことなくとぼけた雰囲気が魅力的だ。
羊羹の密度極まる十三夜
季語は「十三夜」で秋の句。十三夜は仲秋の名月の翌月の、満月の二日前の月を指す。秋の終わりの月である。
羊羹と言えば『陰翳礼讃』で谷崎潤一郎が褒めたたえていた印象が強い。羊羹とお月見では和の取り合わせで、もしかしたら類想がありそうだけれど、「密度極まる」という独特の把握と、「十三夜」との取り合わせが絶対で魅力的な句。
ひとりだけ言葉の違ふ茄子の紺
季語は「茄子」で夏の句。収穫の様子だろうか。「ひとりだけ言葉の違ふ」のは海外の方なのか、それとも方言や訛りだろうか。個人的には技能実習生を想像した。実習生は複数人いるが、たまたまひとりだけ出身が異なるのだろう。言葉が違うことによる疎外感と、収穫時を迎え、あたり一面のつやつやと光る紺色の茄子。黙々と作業する作中人物の姿や夏の強い陽射し、土のにおい、汗の粒も見えてくるようだ。
そのほか、すこし多いけれど好きな句。
そら豆や楽しく終はるずる休み
新生児室の匂ひや星祭
誰か一人足りないやうな花疲れ
フェレットの平らな散歩春の雲
海賊の遺伝子少し魚島立つ
ものの芽をほどくやうなり僧の声
しやぼんだま見送りてから次を吹く
喪失部分ありて土偶の涼しかり
クリスマスケーキの上が混雑す
順々に良き日を選び鴨帰る
飽きられて風船ほつとしてゐたり
渋々と上がつてゆけり鯉幟
泣きにゆく場所のいつでも草いきれ
完成の予想図に足す冬の虹
鶯や百年開かぬ硯箱
呼び交はすやうにをちこち帰り花
恋文に湯気立つやうな消印が
元日のテーブルいくたびも拭ふ
鵯鳴くやもうすぐ絵本ばらばらに
古代魚の奥にひそめる稲光
梟やゴブラン織のなかに王
ひと粒の琥珀となれる春の夢
ほどけない線を描いてつばくらめ
六月のレコード盤といふ渚