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25歳彼氏なし。「AVはファンタジー」を考える。

映画「失楽園」を観た。25年以上前の不倫をテーマにした作品。
当時、不倫することを「失楽園する」と言い、その年の流行語にもなるほど大バズりしたそうな。

「え、本山に何があったん」と思った方々。
理由は、阪急電車に”苦楽園”という駅があり「失楽園みたいな名前しとんな。….そーいや観たことないし観てみよ」と思っただけであります。
だから安心してね。

最後まで観て。今までの本山の世界線にはない感情や発見が沢山あった。
そして思った。

AVはファンタジー”とはよく言ったものだなぁ”

……..ゑ!そこ!?!?
と、自分でも思う。映画監督、泣くぞ。
とてもくだらないですが、しかして本山には大きな発見。以下、そんなAVと映画の濡れ場の違いってなんだろう?について本山個人の所感を書きつくります。

とにかく交じり合いまくる!!!!!

この映画、とにかく凄い回数ハッスルしている。
原作の小説はもっと過激らしく、どこかのモノ好きは作中の行為回数を数えたらしい。(暇なのか?笑)その数26回。性的描写シーンは108ページ。

映画の主演は役所広司と黒木瞳。それぞれ家庭を持った不倫関係にあたる設定。黒木瞳が素晴らしく美しかった…..

映画の作中でも5〜6回くらい交わってるが、私は最後まで、最中のシーンは見ていて落ち着かなかった。本当に役所広司と黒木瞳の行為を扉のスキマから覗いてしまっているかのような気持ちになって
「え!わわわ、どうしよどうしよ、シてるよ….。ん、見てていいのか….?いや、これは映画だからイイんだ!!!うん、そうだそうだ(そわそわ)」
と、PCの前で独り言つぶやく本山。

自分と重ね合わせられる現実味

私はあまり映画やドラマを見ない。必然的に濡れ場を見る回数も少ない。
私は思った。”AVは無心で見れるのに、濡れ場って心がザワザワする”
(あ、めっちゃAV見てる人みたいな口調ですが、そんな趣味はありません。性欲も経歴も人並みだと思います。笑)

「なんで、映画の濡れ場は胸がザワザワして、見てるこっちまで恥ずかしくなるのか…?」考えた。AVは現実味がまるでないから、自分の過去の性体験に全く結びつかないんだなと思った。
だからAVは小っ恥ずかしくならないし、だからこそ「この人ら(AV女優)、すげーな」と、どこか感心すらする。

全部を語らないことの奥行き

濡れ場は全部を語らない。初めから最後まで全て見せるのではなく、ワンショットを切り取る。それも、手や視線や息遣いみたいな部分的なところに焦点を当てる。
だから、見てる側は想像を掻き立てる。その想像の源は過去の原体験からくる。すると、自分もその時の温度とか胸の鼓動とかを思い出して、他人のセックスを見てる側なのに、自分のセックスを自分で見てるように錯覚するのかもしれない。だから心がザワザワするんじゃないか。

男性の理想の集積だからファンタジーなのか

黒木瞳の身体もリアルだった。
というのも、自分が普段鏡で見る自分の身体のようだったから。
整いすぎていない”人間の身体”だった。いうならば”スーパー銭湯にいるよね”って感じの。だから、より自分と重ねられたんだと思う。

一方で、AVは”かわいい・巨乳・くびれ最高”みたいな「いや、そんなん現実におらんて」と言いたくなる世界線に放り込まれる。「男の性欲にドストライク!」的な ”理想を詰め込んだ身体”である。

シチュエーションも起承転結がハッキリしていて(一方の失楽園は淡々と時が流れる)現実世界のようなオチもヤマも滅多にない、なだらかな日常とは違う。そして、どう流れても男側の理想に沿った展開に進むのも面白い。

そう思うと、AVは男の理想を詰め込んだ集大成だからこそファンタジーなのか?でも、私からすると夢の集積すぎるが故、現実味がなくて逆に興奮しないんだが….。これってパラドックスじゃね?それとも私が女性だから視点が男性と違うのか….?
ほどほどな女性は引っ掛けられても、高嶺の花には手が出せないのと同じ原理なのか?憧れだからいいのか….?

余談だけど「さすがに棒読みが過ぎるぞ…?素人の私でももっと上手く言える自信あるぞ? 」みたいな、AV女優の世界観への入り込み方の浅さも現実味の無さを際立たせているのかな。(AV女優の役に対する演技の下手さについては、元カレから教えて貰った知識)

なんだか、評論家みたいになっている本山……いや、違うんでね。
こういった「性」に対することって、まだまだ”気安く触れてはいけてはいけない領域”みたいな所がある気がしてる。
今回はそこに対しての挑戦でもあったとさ!





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