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テシオの後継者 〜サンデーサイレンスの母を生産した男 ジョージ・A・ポープ・ジュニアとは・1

競馬の魔力

巨万の富を生む。それが競馬というスポーツの魔力だ。

日本人の多くはこの認識が少しズレていて(それゆえ競馬の情報はそれと決まっているのが世間の常だが)、競馬の魔力の最たるものは馬券を当てる事だと思っている。
だが違う。その本質は馬を所有することである。

競馬は1頭の馬とともに、世界をこの手にする事すら可能にする。
そう信じて人々は競馬の世界に足を踏み入れる。それは魔界にも等しい。

日本競馬において魔力を放った馬。
チャイナロックだろうか。ラムタラだろうか。テイエムオペラオーだろうか。
いくつか意見があったとして、最大たる巨星は、漆黒の大種牡馬サンデーサイレンスであるとして異論はないだろう。

なぜならサンデーサイレンスは今やJRAですら制御できない、世界に冠たる「社台ノーザン帝国」を築いてしまった。

日本競馬史の一部というより、もはやこの馬が歴史そのものと言っていいほどだ。

サンデーサイレンスは血統が貧弱か?

社台ノーザンに有形無形の富をもたらした漆黒の大種牡馬サンデーサイレンス。しかし「血統が(特に母系が)貧弱である」というのが定説である。

レイ・ポーリックが書いた「運命に噛みついた馬 サンデーサイレンス物語」は同馬に関する最も正確な評伝だが、同馬の母ウイッシングウェルについての記述はこうだ。

サンデーサイレンスの母系はかなり地味である。
母ウイッシングウェルは西海岸で重賞レベル…(その)父アンダースタンディングはその他には1頭しかステークスウィナーを出していない。
(その)母マウンテンフラワーは7戦して未勝利の牝馬。その父モンパルナッセ2は南米アルゼンチン産馬

運命に噛みついた馬 サンデーサイレンス物語/レイ・ポーリック(2002年)

競馬関係者の世界では、これを「ブラックタイプが薄い」と表現する。
わかりやすく言えばセレクトセールに最も縁のないタイプという事になる。(同セールの成立経緯を考えれば、これほどの皮肉はない。)

どうもこれはBloodhorseのwebサイトなどでユーザーコメントを見る限り、アメリカ本国では今でも「サンデーサイレンスの血統は貧弱である・貧弱だったのに」と評価が固まっているらしい。

米国はイージーゴアを選び、サンデーサイレンスを捨てた。そしてこれからも彼らは間違い続けるのだろう。
米国はディープインパクトやオルフェーヴルの血を求めてきたこともない。

だが私は定説に反旗を翻す。
「サンデーサイレンスの血統は、特に母系が優秀である」と。

日本の血統評論家によるサンデーサイレンス評

むしろ「サンデーサイレンス貧弱血統説」に反論ぽく解説をしている望田潤氏のような存在が確認できるだけ、私は日本の血統評論家の方が少し賢いとすら思っている。

サンデーサイレンスの血統表には、「3/4同血」「1/4異系」「優秀な牝馬のクロス」「緊張と緩和」という笠理論の根幹、配合史に書いてあることほとんど全てが織り込まれている

血は水よりも濃し 望田潤の競馬blog(2023年1月4日)

だが実は、サンデーサイレンスはマスコミの評は高くなかった。むしろ散々に近い。
代表例として当時の血統のバイブル、山野浩一氏による「サラブレッド血統辞典」(1992年版)を見れば、産駒が実際にデビューするまでの評価は明らかである。

サラブレッド血統辞典/山野浩一、吉沢譲治(1992年版・二見書房)より

これは歴史に埋もれた過去にしたくない。何度でも掘り返す。(純真な競馬少年だった私が2600円払ったのに一杯食わされた事もあり)

馬事文化賞受賞作において、極めつけにひどい言われ方をする

その後サンデーサイレンスは革新的な産駒を次々送り出すのだが、日本の競馬シーンで「先生、サンデーサイレンスの血統を解説して下さい」となれば、せいぜいこのような具合になる。

大成功の秘密は、第一に「気性の激しさ」、第二に「雑草的な逞しさ」にあり、それが種牡馬として優秀な産駒を送り出す強力なエネルギー源

競馬の血統学 サラブレッドの進化と限界/吉沢譲治(1997年)

と、吉沢譲治氏は血統分析の場面において突如精神論を持ち出したかと思えば、こう続ける。

サンデーサイレンスの母親ウイッシングウェルは、最下層のCランクの地味な配合から生まれていた。もうこれ以上の雑草はないといった感じの極めつけの地味さで、近親どころか母系を6代前までさかのぼらなければ活躍馬が見つからない。
6代前のシナーという牝馬は英1000ギニーを勝った名牝で、その子孫からは活躍馬が出ているが、ここまでさかのぼれば地の果てにいるサラブレッドだって名馬に行きつくものである。むしろ6代前まで探さないと活躍馬のいない母系血統は存在した事自体が珍しい。
その父アンダースタンディングもまったくの無名種牡馬であった。それ以前に代々配合されてきた種牡馬もこれまた全くの無名で、判で押したように「CランクにはCランクを」の配合で、地味に伝えられてきた雑草血統である。

競馬の血統学 サラブレッドの進化と限界/吉沢譲治(1997年)

どうだろうか?クソミソもいいところである。
JRA馬事文化賞受賞作品でここまで侮辱された血統も珍しいだろう。(1998年受賞作品)

ちなみにこの書籍は版を何度も重ねるほど売れに売れたそうで、改訂増補版まで出版され、全国各地の図書館に鎮座している。

サンデーサイレンスを生み出した「貧弱な?血統」を作った男の名を誰も知らない

そろそろ気付かれたと思うが、私は学生時代からずっと血統を見ていて「サンデーサイレンスの血統は貧弱」説にどうも納得できないという、僅かな心の引っ掛かりが本稿の出発点だ。

近年、ウイッシングウェルに関連してトピックを提供してくれたのは僅かに1つ。木下昂也氏による、この記事しかない。

そう。サンデーサイレンスの血は今や南米を一気に侵食しつつある。日本を追われた悲しき大種牡馬アグネスゴールドによって。

また同時にサンデーサイレンス系種牡馬とアルゼンチン血統を持つ牝馬との配合が「走る」というのは、今や日本でも南米でも常識となっている。(その証拠にアルゼンチン牝馬の購買相場は不当ではないか?と思うほど吊り上がっている)

その成功例はマカヒキ(日本ダービー)、サトノダイヤモンド(菊花賞、有馬記念)、レシステンシア(阪神ジュベナイルフィリーズ)…今はもっといるはずだ。

コイントスノーザンポラリスが走っていた時代には、南米血統アレルギーのようなものは確かにあった。しかし今やアルゼンチン血統は業界トレンドである。

時とともに苦手意識が払拭されていた事に気づき、世界に「アルゼンチン血統混じり」を馬鹿にされていたウイッシングウェルの血統を丹念に調べていくうちに、私の評価はこう固まった。

(この賛辞は色を変えて大書きしたいくらいの心境であるのだが)彼のとてつもない業績に反して、あまりにも情報が無い。
なんとwikipediaにも彼のページだけは存在しない。

これがサンデーサイレンスが世を去って21年、ディープインパクトが世を去って4年が経過しての競馬界の現状である。

なぜこのように、最初から存在していなかったかのような扱いに耐えているのだろう?と不思議に思ったが、調べてみるとジョージ・A・ポープ・ジュニアはサンデーサイレンスの生誕より7年前、1979年1月27日(ウイッシングウェルが2勝を挙げた時点)で天に召されていたのである。

ウイッシングウェルの生産者、ジョージ・A・ポープ・ジュニアに関して、先に挙げた書籍「運命に噛みついた馬」において、(まとまりに欠けるものの)2ページだけ記述はある。
しかし、レイ・ポーリックは血統表が読めない。血統とはすなわちビジネスツールだろうという、通り一遍の理解しかしていない。
ゆえに「アメリカのフェデリコ・テシオ」を正確には評価できていなかったのである。

  • ジョージ・A・ポープ・ジュニアとは何者か?

  • ジョージ・A・ポープ・ジュニアはどんな配合をしていたのか?

限られた情報源からこれらを説明することで
私が彼を「フェデリコ・テシオの再来」とする賛辞、その根拠としたい。

今回の連載は最後まで無料で書きます。サンデーサイレンスへの正当な評価を広めるためです。長い間誰も触らなかった話題ですので、慌てず騒がず、後々まで残る情報が書ければと考えています。 (最後まで読めたら「読んだぜ」のメッセージ代わりに♡を押して貰えれば十分でございます。)