好きっていうのが怖い

感情を表に出すのが苦手。なんでなんだろう。

本音を知られ、拒絶されると自分の存在をも否定されたと感じるから。
自分を自分で認められない私は、幼少期から他者に必要とされることで、自分の存在価値を認めてきたのかもしれない。
ただでさえ傷つくのが怖い。だから、傷つかないように、自分で自分を固いガードで守ってきた。

幼い頃から、曾祖母、祖父祖母、父母、の前で、子供っぽく無邪気にふるまったり、オーバーにうれしがったり、大人が喜びそうな自分のふるまいをして、とにかくその場その場で求められた姿になることを頑張っていた。
それも、この相手の顔をうかがっていた と気づいたのも最近だ。今まで無意識のうちに行っていたのだから、なお重症である。


ピアノのレッスン後、お迎えに来てくれた母が車の中でいう。
「なんで、先生の前だと猫かぶってんの?」「自分の殻を破りなさい」

自分を表現すること、積極的な子供の姿を健全とする雰囲気が大嫌いだった。なぜ堂々と自信を持つ姿でいなくてはいけないの?なんのため?

自信をもって人前で歌っている子をお手本とされ、比べられる。

感情を表に出し、元気に無邪気に遊ぶ子ども。 
    なんて可愛らしいんでしょう。


私はそのような模範生とは全く正反対の性格だった。学校では。学校という小さな社会。いかに目立たないか、めんどくさい争いごとに巻き込まれないかに徹した。そのため、内気、静か、というカテゴリーの中に納まっていた

1人でいる方が楽なことも多かった。小学校の頃は、よく1人で図書館へ行った

1人で教室にいると、先生から「友達がいない可哀そうな子」としてレッテルを貼られる。親に言われる。変に心配されるのが億劫だ。

図書館へ行き、本を読むことで「本が好きな女の子」を演じていたのかもしれない。
そうすることで、可哀そうな子にはならないから。あくまでも自分が好きで図書館へ行き、本を一人で読むことを選んでいるから。


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