遠きに行くは必ず邇きよりす


凡事徹底。当たり前のことをきちんとやること。
「小さなことを積み重ねることが、
とんでもないところへ行くただ一つの道」これはイチローの言葉。

他人と比べてはいけないと分かっているが、どうしても比べてしまう。私を取り巻く環境は、あまりにも雑音が多い。どれを拾うべきか、どれを捨てるべきなのか分からなくなる。とくにSNSとの距離感が私は上手く掴めない。
生活の綺麗な部分だけを切り取っていると知っているけど、あまりにもキラキラしていて、充実していて楽しそうで眩しすぎる。だから、私はinstagramが苦手である。圧倒され、疲れてしまうからいったん放置している。

現実世界で言葉を交わしたことのない人に自分の私生活の一部を見られたくないと感じている。考え方が古いのかも。

優位性を気にする。負けず嫌いなのだ。それも隠れ負けず嫌い。一見飄々としているようで、内心ものすごく悔しがっている。内に圧力鍋を飼っています。

ときに、そのせいで感情を抑えすぎて自分で自分を苦しめてしまうこともある。自分で自分のハードルを上げてしまうのだ。

「なんとかなるさ。ケセラセラ~」と呟いてみる。自己啓発本に「辛い時こそ、にこっと微笑もう!」と書いてあった。辛いのに笑うなんてあほか。余計に疲れるだろ。騙されたと思ってやってみても、やはり私にはピンとこなかった。鏡に映った私の顔はあまりにも酷かった。

普段から無意識的に気持ちに蓋をしている私からすれば、辛いのにまた笑うことで本当の気持ちを抑え、隠れていた本音をさらに偽り、何がなんだかわからなくなってしまうのだ。

本音を加工し、それをさらに加工して、しまいには原型をとどめていない。

焦る、周りに置いて行かれそうに感じる。周りより劣って見える。能力がない。何かスキルを身につけなくては。何かができるようになったら、自分を認められる。あ、でも楽しもう。いや、楽しまなくちゃ。何かをしている自分じゃないと、認められない。

このような考えが、自分を苦しめる。考え過ぎってわかっている。分かったうえで、どうにもならないからとりあえず言語化して吐き出してみる。

「自分を縛っているのは自分。自分の敵は自分」っていうのもわかってる。

頭では理解していても、人と比べることで自分の位置を図ってしまう。

最近でいうと、留学。コロナ禍で長期留学はできなかった。だからこそ、外大に通っている友達がIELTSでスコアを取得し、留学に行くと聞き、素直に喜べなかった。

そこから悶々としている。なぜか変な負けず嫌いが溢れ、「その子よりいい点を取得してやる!」と考えてしまう。

でもよく考えて。「なんのために英語を勉強し始めたの?スコアを取るため?留学行くため?そもそもなんで留学に行きたいの?海外に憧れがあるの?」

よし、他人軸ではなく、自分軸で考え直してみよう。

勉強することが目的、大きく言えばスコアを取ることに執着していた。その先にあることをつい忘れてしまっていた。手段が目的になっていた。英語を勉強するのは、あくまでも、私の夢を叶える手段の一つに過ぎないのだ。
20代のうちに、本や映像だけではわからない、現地の食べ物、文化、歴史、音楽、芸術など海外の生活を肌で感じ、体験しながら、考え方や価値観などの目に見えない文化にも触れたい。そのために、「ことば」を学んでいる。「ことば」を知らなくても、風景を見て体感はできる。でも「ことば」を知っていることで、価値観やその奥に秘めた深さをより感じ取ることができる。

今は、毎日悩んで、彷徨っているけれど、
小さな積み重ねが思いもしない道へ繋がっているのかもしれない。

そう考えると、わくわくしてきた。幼い頃、夏休みによく探検した。その感覚をまた味わいたい。どこまでも続く田んぼ。どこに繋がっているのか分からない道。その先にみえる空だけを追いかけて走る。

「遠きに行くは必ず邇きよりす」に、注釈をいれたい。「遠きに行くは必ず邇きよりす ※されど、いかなるときも遠くの場所を忘れるべからず。」
目の前にあることに圧倒されつい、なぜ地道にコツコツと努力をしているのか分からなくなってしまう。今の自分の小さな積み重ねのその先にある景色を思い描きながら明日もいい日にしていこう。

服が汗でひっつき鬱陶しかった夏。小さな足で、一歩一歩かけていった。
躓いて転んでもまた起き上がって、空の青さに飛び込んでいく。
そんな人生をこの先も歩んでいきたい。


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