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第五信 Joep Bevingの四分音符

<ブギーアイドルから赤帯への手紙>


「だまされる」というのは、一度熱狂させられ、そのあとで冷静になってみると、何で熱狂したのか自分でもわからないからである。(『カラヤン』 吉田秀和 河出書房 2019年 p.19)

振り返りの振り返り


2021年7月1日ですが明けましておめでとうございます。1月11日に誕生日を迎え37歳になりました。元GAROの日高富明さんより長生きしてしまったという実感が全く湧かないまま時間が過ぎて行きます。これから先の僕の人生で「一人で行くさ」「地球はメリー・ゴーランド」「僕のすべて」「大男の歌」「吟遊詩人」(堀内護さんとの共作)「夕日の空」「旅立ち」「不思議な夢」(村井邦彦さんとの共作)「南十字星」「風のアフロディーテ」「Mr.Blue」に及ぶ曲が書けるはずがないことを分かっていながらもポチポチとDTMをやっています。

理由は分からないのですが、2021年になってしばらくアシッド・ジャズおよび1991年のことを考える日々が続きました。ハービー・ハンコック『Inventions & Dimensions』(Blue Note 1963年)ジャケットを模したYoung Disciples『Road to Freedom』(Talkin’ Loud 1991年)発表から30年が経ちました。リバーブを全面否定したデッドな録音が賞賛される状況はフィル・スペクター(Back To Mono)、ビーチ・ボーイズ、ナイアガラ周辺再評価、シューゲイザーといった例を除いて長らく続き、僕からの返信では苦い思い出として強く残る1990年代(特に後半)の音像が確定した年だと思います。Talkin’ Loudの中でもOmarはKORG M1を全面的に使用していたので『There's Nothing Like This』(Talkin’ Loud 1991年)は今でも愛聴盤です。元ネタ、サンプラー、リバイバルの極北といえる1991年から30年経ったという実感が湧かないです。1961年はビートルズ「Love Me Do」発売前と考えると同じ30年という年月でもかなり異なる間隔だと思います。

実家がお金持ちであることは前提ですが膨大な量のレコードとサンプラーがあれば自宅である程度のプリプロが可能であることが証明されたフリッパーズ・ギター『ヘッド博士の世界塔』(Polystar 1991年)発表の一方、加藤和彦さんはニック・デカロを招き「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産をはたいてもどこへだって飛んでいく」(『朝日新聞』200910月19日付 きたやまおさむ「すべて一流のプレーヤー」加藤和彦さんを悼む より)という発言をそのまま音楽に昇華したようなスタジオ録音文化の究極ともいえる自身最後のソロ名義アルバム『ボレロ・カリフォルニア』(東芝EMI 1991年)を発表しました。本作については大滝詠一さん『A LONG VACATION』(NIAGARA/CBS/SONY 1981年)以上に今後もっともっと語られるべきだと思います。国府弘子さんはリオデジャネイロに向かいながらもプロデューサー、オスカー・カストロ・ネヴィスの絶妙なコントロールで日本人が許容できる範囲にリズムの訛りを抑え、MPBとスムースジャズの中間地点のようなアルバム『Light and Color』(Victor 1991年)発表しました。まだまだメジャーがこういったジャンルに対してお金を出してくれた時代だったのです。とんねるずは「情けねえ」(PONY CANYON 1991年)で世の中を憂う”フリ”をしているにもかかわらず、聴き手がストレートに受け取ってしまうもはや制作側・演者側がコントロールしきれない状況になっていました。森羅万象あらゆることに突っ込み続けた『ビートたけしのオールナイトニッポン』終了が1990年です(フォーマットは『北野ファンクラブ』に受け継がれましたが)。突っ込み過多だった1980年代が一旦リセットされたのが日本における1991年なのかもしれません。翌1992年から24時間テレビでチャリティーマラソンが始まります。マイルス・デイヴィスは『Live in Montreux 1991』(Warner 1993年)においてキャリア史上はじめて後ろを振り返り、クインシー・ジョーンズの指揮でギル・エヴァンスの編曲に向き合いました。一部トランペット、フリューゲルホルンの演奏を自分のそっくりさんであるウォレス・ルーニー(1994年『A Tribute To Miles』ではV.S.O.P.を従え、帝王になりきり吹いています)に任せたものの、死の約二ヶ月前に「Gone, Gone, Gone」を選曲するというあまりにもでき過ぎなセットリストから考えるに、もうある程度自分の行く末が見えていたのかもしれません。昨年ウォレス・ルーニーが亡くなり本体、影武者、共々いなくなってしまった2021年です。マイルスがあまりに大き過ぎるので忘れがちですがスタン・ゲッツ没後30年でもあります。

春の定点観測と現行ブルーグラス事情


第四信の中で色々と書いたグラミー賞ニューエイジ部門ですが・・僕が肩入れしていたCory Wong & Jon Batiste『MEDITATIONS』(自主制作 2020年)は惜しくも受賞を逃しました。長年に渡りアル・ヤンコビックのサポート・メンバーを務める(!!)という特異な経歴を持つJim Kimo West『More Guitar Stories』(Westernmost Music 2020年)がローリー・アンダーソンを抑えての受賞。ギタリスト対決として記憶に残る2021年グラミー賞ニューエイジ部門となりました。この件がなければアル・ヤンコビックの名前を思い出すことはなかったかもしれません。ニューエイジ・ミュージックの懐の広さを改めて痛感した次第です。

第四信を書いた時点ではノーマークだったのですが、個人的に全部門で最も印象深い作品は『BEST BLUEGRASS ALBUM』を受賞したビリー・ストリングス『Home』(Rounder Records 2019年)です。ミックスにおける考え抜かれた各パートの配置、ダブ的なリバーブ、ディレイのかけ方、電子音SE、ストリングス、エスニックなパーカッション等々、従来のブルーグラスのイメージを覆す斬新な楽器編成の響きには驚きました。そしてそれらをただのギミックにしない楽曲の強さがあります。すごいアルバムです。メインで演奏する楽器こそ異なれど、真にデヴィッド・グリスマン(ブルーグラスの編成でモード・ジャズ、ラテン、ボサノヴァの演奏を試みたマンドリン奏者)の正当後継者と言うべきビリー・ストリングスがこの先ブルーグラスを軸にどんな新しい音楽を生み出すのか楽しみです。ライブでは伝統的なカーターファミリー・ピッキングを披露することで録音物とのギャップを強調する効果となっています。とにかく各部門見飽きないので、この辺りでグラミー賞の話題はやめておきます。

ケニー・ロギンスが光る球体を持った頃

僕からの返信が最後ということで特に解決しないボンヤリした話題なのですがメモとして書き残しておきたいことがあります。ケニー・ロギンスの名前を見てロギンス&メッシーナの温かいアコースティック・アンサンブルを思い出すのか「Danger Zone」(CBS 1986年)の破綻しない歪みの完成形を思い出すのか、これによってかなり世代が別れると思うのですが、1970年代後半の彼はジャケットの中で明らかにニューエイジ的な振る舞いを見せていました。アルバム『Keep The Fire』(CBS 1979年)ジャケットでカフタンのような衣装に身を包み、光る球体を持っていたことの理由について何かご存知の方、いらっしゃいましたら教えてください。ちなみに『Keep The Fire』の内容はいたって直球のAOR・ヨットロックであることがかえって謎を深めています。そう考えるとキャット・スティーヴィンス(Yusuf Islam)はまだ分かりやすいです。SE程度ですがシンセサイザーを導入したアルバム『Buddha And The Chocolate Box』(A&M 1974年)ジャケットの仏像写真。『Izitso』(A&M 1977年)でのニューエイジ・ミュージックに近い質感のエレポップへの一時転向。この辺りのシンガーソングライターとニューエイジ・ミュージックの接近については色々と資料が欲しいのでまずは神保町に行ってみます。

未知の生物を愛でる為のニューエイジ


ここからは1991年以降のニューエイジ・ミュージック周辺について非常に偏った見方ではありますが振り返ってみようと思います。田中芳樹さん原作『創竜伝』アニメ放送に伴い発売されたCD『GUIDE TO THE SORYUDEN』(Victor 1991年)には巨匠・出崎統さんによる”『竜』になる?”と題されたものすごいライナーが収録されています。

『竜』はどうもこの世に存在するらしい。それは多分、UFOよりも確かに、ネッシーよりも歴史を持って、あまりTVスペシャルに特集されることこそないが、それでもどうも我々の心の奥深く、『竜』はこの世に存在しているようだ。(中略)孤独になること、哀しみと正対することが恐ろしいばかりに僕たちが失ってしまっている、その『咆哮』。思う存分に聴いてみよう。ひょっとして僕たちも、あとほんの少しの勇気とほんの少しのプライドがあることに気が付いて、蘇ることが出来るかもしれない。『竜』とまではいわないが、せめて『狼』ぐらいに・・・。

ちなみに1991年はmp3元年でもあります。さて、竜の次は恐竜です。アメリカ他、世界各国で現在も続くパワー・レンジャー・シリーズ第一作目『Mighty Morphin Power Rangers 1st season』の原形『恐竜戦隊ジュウレンジャー』放送開始(テレビ朝日 1992年)。つのごうじさんによる約1分間の壮大なニューエイジ・ミュージックがイントロの主題歌はスーパー戦隊史上屈指の名曲です。長尺の為イントロのほとんどが放送時カットされましたがプロデューサーの鈴木武幸さんは非常に高く評価していました。後につのごうじさんは神保彰さん、オユンナさんとJOEというユニットを組むなど、時々思い出したかのように極上のニューエイジ・ミュージックを作ります。同年、スムースジャズの世界にもニューエイジ的な考えが浸透して行きます。正規メンバーはギターとパーカッションだけという変則ユニットSPECIAL EFXの疑似MPB的な質感のアルバム『GLOBAL VILLAGE』(GRP 1992年)には「OZONE ALART」という曲が収録されています。ちなみにモントリオール議定書の採択が1987年、発効が1989年です。ニューエイジ・ミュージックではありませんがエリック・クラプトン「Unplugged」(Warner 1992年)発表は作り手、聴き手、どちらにとっても「疲れ」が商売になると気付くきっかけになった出来事として今後きちんと検証したいです。

日本テレビ系『アメリカ横断ウルトラクイズ』レギュラー放送終了、フジテレビ系東映不思議コメディシリーズ終了と現在に至る不況の足音が少しずつ近づいて来た一方でJリーグ開幕という華やかさもあった1993年。サッカー応援定番曲「PASSION」他、数々のテレビCMでおなじみニック・ウッドを音楽に迎えた景山民夫さん原作、今沢哲男監督『遠い海から来たcoo』アニメ版(東映 1993年)が公開されます。そして角川春樹監督『REX 恐竜物語』(松竹 1993年)公開。映画の内容以上に記憶に残る騒動がありました。そんな年に意外な方向からニューエイジ・ミュージックの決定打が発表されます。CHAGE and ASKA『RED HILL』(PONY CANYON 1993年)に収録されている「TAO」という曲です。以下、ASKAさんによるセルフライナーを引用します。

中国の思想家、老子の本の中に「道(TAO)」という教えがあります。
意味は「自然体」です。
人間という動物は、悲しいかなとても頭のいい動物で、
この「自然体」が、僕を含めなかなか出来ません。
たとえば、相手の気持ちを裏読みしたり、世間体を気にして自分の気持ちとは
裏腹の行動をとってみたり…まったく厄介な動物です。
そして、もっと厄介なことは、この「自然体」を忘れて行きている人達が、
「自然体」で生きている人に向かって、後ろ指を指すことです。
このてのテーマは、とても奥が深いけど、今の僕の気持ちは、
自分が、後ろ指を指すくらいだったら、後ろ指を指される立場の方がいいかな?
…なんて思っている…今日、この頃です。

この時期のASKAさんの方向性に難癖をつけたミュージシャンがいるのですが名前は伏せておきます。ちなみに中西圭三さんの現在の所属プロダクション名はTAOミュージックなのですが、命名の経緯についての資料は見つかりませんでした。そしてバレアリック方面からは完全にオミットされていますが決して見逃すことはできないニューエイジ・ミュージック集団、DRUM TAOの結成もこの年です。第四信の補足として蓜島邦明さんがOSTを手がけたフジテレビ系深夜ドラマ『NIGHT HEAD』放送もこの年。病んでいる雰囲気が商売になったおおらかな時代です。

翌1994年も未知の現象、生物のBGMとしてニューエイジ・ミュージックが機能していました。「映画を観た。病気が治った…。」という現在ではJAROから一発レッドカードであろうキャッチコピーでおなじみの佐藤純彌監督『未知への旅人~超能力者』(東映 1994年)公開。いち早くジャングルを取り入れた長谷部徹さんによるOSTが大変素晴らしいです。そして石井竜也監督『河童』(日本ヘラルド 1994年)公開。主題歌「手紙」作詞・作曲クレジットの関係で米米CLUBに亀裂が入るきっかけとなりました。未知の現象、生物からは離れますが、尺八奏者のKAZU MATSUIさんはどういった経緯からなのかマルチ弦楽器奏者・D.リンドレーとタッグを組み『WHEELS OF THE SUN』(UNITY 1994年)という名作を発表しています。ジャンベ、トーキングドラム、乾いたブズーキー、高らかな尺八の響き・・世界中の音楽を通じて地球が一つになればきっと良いことが起こるという純粋さが伝わって来ます。第二信を書いた時点では知らなかったアルバムです。

そして翌1995年、いよいよ未知の現象、生物にはかまっていられない地獄の蓋が開きます。そんな年にベストセラーとなった春山茂雄著『脳内革命』(サンマーク出版 1995年)はパラっとめくった限りでは人智を越えた現象から冷静に距離を取っているように見えます。しかし「脳内モルヒネ」「α波が出る瞑想」「筋肉をつければ病気にはならない」「限界寿命百二十五歳」等々・・改めて2021年に読み返すとズバリ「奇書」です。序文に”1995年4月”とあるので結局どれだけのことが起こってもふてぶてしい人間は存在するということに妙に安心してしまいます。とは言え・・まあ・・ダメなんですけど。音楽の話題に戻ります。ニコラ・アレッシーニとピエル・ルイジ・アンドレオーニは『マルコ・ポーロ』(KING RECORDS 1995年)という不思議なアルバムを発表しました。なぜマルコ・ポーロというお題がそれほど魅力的だったのか謎ですが、D.シルヴィアン、ロジャー・イーノ、ハロルド・バッドと豪華な面々がゲスト参加しています。シーケンスと生演奏のバランスが心地よい作品です。イタリアは面白いですね。

翌1996年、未知の生物がついに現実世界に登場します。クローン羊ドリーです。ご存知の通りクローンについての議論はほとんど進まないまま宙ぶらりんの状態です。1997年から1998年にかけては長野オリンピック開催に伴うテーマソングの乱立によりこのイベントの舵取りが不在、もしくは一切機能していないことを世に示す結果となりました。埋もれてしまった名曲も多いので非常に残念です。そういった混乱の末に行なわれた長野オリンピック閉会式は萩本欽一による「地球」の連呼、杏里が歌う唱歌「故郷」、AGHARTAによる疑似・無国籍サンバ「ILE AIYE~WAになっておどろう」で大団円というまるで1980年代前半からタイムスリップしたかのような浅利慶太による演出で幕を閉じました。翌1999年、オリコン史上唯一インストゥルメンタル曲での週間一位を記録した坂本龍一「energy flow」(WEA Japan 1999年)発売。冒頭は中谷美紀「STRANGE PARADISE」(FOR LIFE 1996年)サビでも使用していたいわゆる短調版カノン進行です。

ニューエイジ・ミュージックから少し話題が逸れますが1999年はつんく(現:つんく♂)さん、高野寛さん、小田和正さん、久保田麻琴さん等々・・Pro Toolsの導入によりストレスなくオーディオデータをコピー&ペーストできる喜びを素直に語るミュージシャンが多かった印象です。そして2000年、東芝EMIから『the most relaxing feel』第一弾、SONYから『image』第一弾、BMGビクターから『FLOW~healing compilation』第一弾、UNIVERSAL MUSICから『PURE- BE NATURAL』が発売されます。これにより日本において「癒し」という言葉は完全に定着したものと思われます。漫画家・吉野朔実先生は生前「癒し」という言葉を使うまいと必死に抵抗されていたことが忘れられないです。翌2001年、中江功監督『冷静と情熱のあいだ』(東宝 2001年)テーマ曲「Wild Child」でエンヤはキャリア何度目かのピークを迎えます。「Wild Child」はエンヤ作品の中で珍しく9thの響きが特徴的です。

21世紀最初のスーパー戦隊『百獣戦隊ガオレンジャー』(テレビ朝日 2001年)エンディング曲のタイトルはズバリ「ヒーリン’ユー」です。奥慶一さんによる素晴らしいニューエイジ・ミュージックですが、ついに未就学児までもが疲れているという状況に突入しました。翌2002年、ヴァンゲリスが日韓ワールドカップの公式アンセムを書き下ろしていますが、どうしてもエレクトロニカの隆盛でニューエイジ・ミュージックがやや霞んだような印象があります。そして思い出せる限り日本において最後のインストゥルメンタル・ブームである女子十二楽坊の日本デビュー盤『女子十二楽坊~Beautiful Energy~』(KING RECORDS 2003年)発売・・1991年から干支一周、全くハウスとテクノが現れない偏った振り返りとなってしまいごめんなさい。

『the most relaxing feel』シリーズの企画・発売について非常に積極的だった音楽家が千住明さんでした。

今まで僕は、世界中の様々な場所へ行き、多くの人々に出会い、喜びも哀しみも、感動も怒りも、音楽で表現できるようになるまで沢山の音楽を創って来ました。言葉も習慣も違う人々に対し、音楽は共通の言葉となります。人々の心に直接響き、何かを伝える力が音楽にはあります。傷を癒し、幸せを演出する事、二度と会えない誰かに語りかける事も出来ます。
そして、あなたの人生のひとこまに僕の音楽が流れているとしたら、なんて素晴らしい事かと思います。
そんな日が訪れる事を願い、今まで通り明日からも僕は音楽という言葉を使って、あなたへメッセージを創り続けます。(『feel solo selection~Best Wishes~ 2002年』ライナーより)

千住明さんはかつて尺八奏者・藤原道山さんのアルバム『空-ku-』(日本コロムビア 2004年)をプロデュースしました。グレゴリオ聖歌、ゴスペル、スタンダードを尺八で演奏させるという意欲作です。そういった地道な活動が実を結び、今やJ-POPのど真ん中でそういったアプローチをする人たちも少なくありません。SixTONES「僕が僕じゃないみたいだ」(SONY 2021年)カップリングには箏、十七絃(お正月定番の「春の海」作曲者・宮城道雄考案による箏)、津軽三味線、尺八、和太鼓を取り入れた「NEW ERA」(Japanezed Rearrange)が収録されています。

水音はハイハット


20世紀後半〜21世紀前半にかけてライト・クラシック界、ニューエイジ・ミュージック界で水音SEを武器に天下を取った作曲家といえばタン・ドゥンでしょう。1957年生まれ。クラシックの世界にいながらもMIDI以降の縦線がハッキリしたリズム感の持ち主。これは推測ですがDeep Forest(エリック・ムーケ)が最も驚異に感じた後進はタン・ドゥンだった思います。ましてや同じSONY所属。何しろすごい度胸の男。千年紀の終わりと始まりに鳴り響く音楽はこれだと言わんばかりの『2000 TODAY』(SONY 1999年)。そしてバッハ没後250年である2000年には『新マタイ受難曲ー永遠の水』作曲という宗教上の理由を差し引いたとしてもあまりに巨大過ぎて誰も引き受けたくはないであろうこの案件に堂々と乗ってしまい、ドイツ・シュトットガルトで自身の指揮による初演を行ないます。CDは2002年にSONYから日本先行発売されました。十字や円形の譜面でいかにもかましてくる強気な姿勢、17台のウォーター・パーカッション(その中には炭酸水も)、サンプラー(YAMAHA A3000)の使用・・お祭りとして聴く分には楽しいです。現状『新巨人の星』並みの評価だと思いますが、ニューエイジ・ミュージックの延長として広く知られて欲しい作品です。以下はCDライナーに収録されているタン・ドゥン本人による楽曲解説です。

永遠なるものと外面的なものがひとつに結び付いていることの隠喩である水、と同時に洗礼、再生、再創造、そして復活のシンボルである水が、《新マタイ受難曲ー永遠の水》を構想する上で大切な役割を果たしている。
この作品には”水を使った楽器のオーケストラ”と古代のセラミック製の笛=損(シュン)、シルクロード地域の弦楽器奏法、私の”世界伝統のサウンド・マップ” ー それ自体の中に、僧侶による詠唱、モンゴルの北に隣接するトゥヴァの倍音唱法(ホーミー)、東洋オペラの伝統である高音唱法が含まれる ー の独唱と合唱による母音唱法とが使われている。《新マタイ受難曲ー永遠の水》は聖マタイによるイエスの受難の物語に基づいた、言わば形而上学的な音楽劇である。(訳:渡辺正)

この時期なぜかこういった企画が相次ぎました。『マタイ受難曲』に比べれば重くないバトンではありますが、グスターヴ・ホルストの組曲『惑星』追加曲としてコリン・マシューズは「冥王星、再生する者」(Pluto, the renewer)を作曲します。ご存知の通り2005年に天文学者マイケル(マイク)・ブラウンが太陽系外縁天体エリスを発見した功績によって冥王星は準惑星になってしまったのが綺麗なオチです。ちなみにマイケル・ブラウンのTwitter・IDは「plutokiller」です。何と清々しく分かりやすいヒールっぷり。

『新マタイ受難曲-永遠の水-』初演の翌年、YouTubeや各種音楽ストリーミング・サービスの登場を予見するかのようにそれまで買い込んだレコードを迷うことなく処分した小山田圭吾さんが発表した『Point』(Polystar 2001年)はYMO、ディー・ライトにとって鬼門であった海外ツアーをポジティブにこなし、精神的・身体的なタフさを手に入れ、もはやレアで高額な元ネタがなくとも勝負できるという力強い自信に満ち溢れています。本作について元ネタが一切ないと書く一部ライターもいましたがそれはまんまと本人インタビューに攪乱された証拠でしょう。現在もライブの定番曲となっている「Point of view point」は分かりやすくPublic Image Ltd.「Four Enclosed Walls」を洗練させたリズム・パターン。しかも中盤までベースを抜いた編成です。後半挿入されるシンセベースは短くA音のみを鳴らすシンプルなもの。続く「Drop」ギターリフの譜割りは分かりやすくスティーリー・ダン「Aja」後半部分と同じです。MVには「Drop - Do it again」と表記する親切さ。四つ打ちでありながらハウス、テクノからは遠い質感の不思議な曲の中でハイハットと同列に打楽器として使用されているのが水音SEです。

共作は難しいと思うので、せめて対談でタン・ドゥンと小山田さんがいつか出会うことはないだろうかと勝手に期待しています。

体育会系ニューエイジが鳴り続ける


『葉隠』の中の一説であった「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」。新渡戸稲造の著作であった「武士道」。塚原卜伝の兵法であった「戦わずして勝つ」(無手勝流)。これらを吉川英治、大山倍達、梶原一騎を経由した"概念としての宮本武蔵"の中に放り込み混ぜ込んだ人物が藤岡弘、さんです。サイケデリック・トランスからチャールズ・ブロンソン「The Lovers Of The World」(男の世界)のカバーまで幅広いジャンルの楽曲が収録されたアルバム『愛こそすべて合掌、』(South to North Records 2005年)はTBSラジオ『コサキンDEワァオ!』末期の定番オンエア曲でした。女子十二楽坊ブームの終焉以降、ニューエイジ・ミュージック、ニューエイジ思想が多方面(ややライト寄り)に拡散して行くきっかけとして藤岡弘、さんがこのアルバムや著作『実践・五輪書―武道を通して学んだ宮本武蔵』(ビジネス社 2002年)を残してくださったことはこの先貴重な資料になると思われます・・ならなかったらごめんなさい。藤岡弘、さんと田上力哉の共作「DREAM OF THE WORLD from EAST」から歌詞を引用します。

神秘の大地で暮らす人がいる 厳しく奏でる大気の中
暖かい太陽 祈る雨季の日も・・・歓喜に身を委ね 唄っていた
世界の夢 咲き誇る愛で 空高く望みを抱いて
わずかな元気を分け合おう そして皆で麗しい未来を・・・
夜空に流れる星を手のひらに 集めて生命(いのち)を輝かす
自然の中にだけ映る人間の 優しさや勇気を見つけられた
共に歩もう 大いなる愛で 栄光の時が聞こえる
地球を・・・この宇宙(そら)の下で 輪を描こう 飾らない心で
世界の夢 咲き誇る愛で 空高く望みを抱いて
わずかな元気を分け合おう そして皆で麗しい未来を・・・

もう一人2000年代ニューエイジ・ミュージックのキーパーソンとして紹介したいのは堂本剛さんです。ソロ活動において幾度となく名義を変更されていますが、ご自身の出身地である奈良県を創作の原動力に仏教、神道、ファンクを混ぜるという独自の姿勢がブレることは一切ありません。神社仏閣ライブも積極的に行なっています。剛 紫(読み:つよし)名義で発表されたアルバム『美 我 空 - ビ ガ ク ~ my beautiful sky』(Johnny's Entertainment Record 2009年)ジャケットには空、雲、雲に隠れる太陽が写されているのみ。前情報がなければジャニーズ関連のCDと分かる人は皆無と思われます。さらにすごいのはアルバム一曲目のインストゥルメンタルです。東儀秀樹さんが笙、篳篥で参加した「美 我 空」はニューエイジ・ミュージックとファンクという二部構成の不思議な曲。高円寺4thでこの曲を流した際、anòutaさんが喜んでくださったことが個人的に楽しい思い出です。耳のご病気を抱えながらも堂本剛さんの音楽探究は止まりません。ENDRECHERI名義で発表したミニアルバム『one more purple funk… -硬命 katana-』(Johnny's Entertainment Record 2018年)は2010年代に発売されたCDの中で最も音質の良いものの一つです。これは断言できます。録音を担当したのは福田聡さん、大西慶明さん、杉本哲哉さんの三人。ちなみに堂本剛さん、ASKAさんといったシャーマン気質なミュージシャンの御神託を翻訳するような立場で呼ばれる編曲家・鍵盤奏者が十川知司(現:十川ともじ)さんです。十川さんがいなければアイデアのみで終わってしまったアルバムが多数存在したかもしれません。

2010年にはバンクーバー・オリンピックが開催されました。雪の影響で白を基調とした中継映像になり夏期オリンピックに比べそれほどお国柄が出ないからなのか、開会式・閉会式において無難な着地点として選ばれることが多い音楽ジャンルがライト・クラシックもしくはニューエイジ・ミュージックです。開会式・閉会式の音楽はThe 2010 Vancouver Olympic Orchestraを中心とした素晴らしいものでした。ドラマ『24 -TWENTY FOUR-』シリーズでおなじみキーファー・サザーランドの父親、ドナルド・サザーランドの渋い低音の語りとオーケストラ、シンセサイザーが違和感なく融合した「Hymn To The North」は名曲です。綺麗なCDジャケット・デザインですので手元に置いておくだけで気持ちが少し落ち着くと思います。


ちなみに2018年・平昌オリンピック開会式・閉会式は近年のガールズポップ・ブームの中で決して欠かすことのできないアルバム『JOY』(SONY 1993年)でおなじみ神崎まきさん作品の編曲者としておなじみ梁邦彦さんが音楽監督を務めた素晴らしいものでした。

グラミー受賞には届かなかったものの喜太郎さんは2011年、2014年、2018年とニューエイジ部門でノミネートされ、順調な音楽活動を続けていました。そんな2010年代において藤岡弘、さんに続き体育会系方面からニューエイジ思想の決定打といえる書籍が発売されます。アテネオリンピック金メダリスト、ロンドンオリンピック銅メダリスト、現スポーツ庁長官・室伏広治さん著『ゾーンの入り方』(集英社新書 2017年)です。この中に書かれている言葉の数々はまるで喜太郎さん、姫神、宗次郎さん、S.E.N.S.、杉本竜一さんのCDライナーに書かれているNHKプロデューサー、ディレクター推薦文、もしくは前述のASKAさんのセルフライナーのようです。そもそも「ゾーン」というものは存在するという前提、そしてそこに「入る」という表現は非常にニューエイジ思想と相性が良いと思います。以下引用します。

ゾーンという言葉があります。
集中力が極限まで高まって、心技体が完全に調和して、ほとんど無意識な状態なのに最高のパフォーマンスが発揮できた。その状態をいわゆるゾーンというのだとすれば、私もゾーンの体験者だといえるでしょう。(p.31)
「過ぎて改めざる。これを過ちという」
これは私が常日頃、大切にしている孔子の『論語』にある言葉です。「過ちがあるのに改めないことこそ過ちである」というシンプルで強い戒めです。(p.114)
「君の対戦相手は無限の蒼空と不動の大地だ」
これは私がずっと大切にしてきた言葉で、身体教育総合研究所の野口裕之先生が玉川学園の小原芳明学園長の言葉を引用して私にくださったものです。メダルをとるとか世界陸上で新記録を出すとか、もうそういう小さいことを目指すのはおよしなさい。広い空と大きな大地を相手にしなさい。大自然の中で自分の競技をもっと思いきり楽しみなさい。不動の大地を力強く踏みしめて、大空にハンマーを飛ばす喜びを追求しなさい。(p.155)

Joep Bevingの四分音符


2009年にドイツ・グラモフォンがYouTubeチャンネルを開設し、ポピュラー音楽と見分けがつかないほど明るい質感の動画をアップし始めました。この転向と非常に相性が良かった音楽家がオランダ出身のJoep Beving(ユップ・ベヴィン)です。1976年生まれでありながら1stアルバムの発表は2015年。いかにもなボサボサの長髪、髭、眼光の鋭いポートレートが素晴らしいです。「Kawakaari」「Ad Ovo」(Grammophon 2017年)、「Saudade da Gaia」(Grammophon 2019年)他、数々の作品で聴かれる淡々と四分音符を刻む左手。「Sirius」(Grammophon 2019年)でのシbドレミbファソという単純な上昇の連続。こうした作曲方法が全く手抜きに聴こえない不思議な人物です。第四信で引用した20世紀初頭の作曲家たちの苦悩などまるでなかったかのように調性圏内の中心に堂々と居座っているにもかかわらず、なぜかそこから自由に羽ばたいているように聴こえる不思議な音楽です。曲想、曲調は壮大な一方、演奏の際はアップライト・ピアノを好むひねくれっぷり。自作自演というスタイルも珍しいです。確かに正当なピアノ演奏の訓練を受けた者にとってJoep Beving作品の演奏ほど苦痛なことはないかもしれません。さすがに作曲者本人も想定外だったとは思いますが、淡々と刻まれる四分音符が良くも悪くも2020年以降あまりにもでき過ぎなほどにピタッとハマってしまいました。この先様々なジャンルの方々が2020年以降の世の中を描こうとするはずです。しかしその際一度立ち止まって「Joep Bevingのレベルまで行けるだろうか」と自問した方が賢明かと思われます。最も時勢に近い放送の現場にいるRCCラジオ・横山雄二アナウンサーが現在執筆中の小説には流行病が一切出てこないそうです。横山コノヤロー。

どうしてもJoep Bevingフォロワーに聴こえてしまう音楽家として紹介したいのが1990年生まれ、アムステルダムを拠点に活動するMatteo Myderwykです。ミニマルな四分音符、十六分音符の使い方、演奏におけるアップライトピアノの使用等々、多大な影響を受けていると思います。シンプルな水音SEとピアノの相乗効果が素晴らしい「A Hillside View」収録アルバム『Consolations』(Excelsior Recordings 2020年)を経て2021年9月にはメジャー初のアルバム『Notes of Longing』発売が予定されています。今後の動向に注目したいです。ワーナー・クラシックスのTwitterでは「Remembrance」という曲について作曲者本人による解説コメントが引用されていました。

The key of E-flat minor is, for me, the ultimate sound world around memories.


手っ取り早く半音下げチューニングをしてしまうギタリスト諸氏に届いて欲しい言葉だと思います。

先日赤帯さんが紹介されていた久保田翠さんはJoep Bevingに比べ、遥かにアカデミックな素養をお持ちだと思いますが作品についてはどうしてもこの系統に聴こえてしまいます。久保田さんにとって本意でなかったとしたら本当にすみません。2019年3月に初演されたピアノ小品「ニューヨークの地下鉄でジャズを聴きながら」におけるブルー・ノートやミスタッチのような音の慎重な選択はメキシコの作曲家・シルベストレ・レブエルタスの交響詩「Janitzio」(1933年)、そして時代が一気に飛びますがパット・メセニー・グループ「Forward March」(ECM 1984年)辺りの影響があるのかもしれません。この曲の左手はウッドベースをイメージしながらもウォーキングのように跳ねることなく淡々と進んで行きます。


ジャズ界ではサックス奏者・デヴィッド・ビニーがこの辺りの動向に敏感なのか、打楽器奏者・ケニーウォルセンと組んだアルバム『BASU』(Mythology Records 2020年)はジャズ・ミュージシャンによる作品とは思えないミニマルな仕上がりでした。翌年発表されたシャイ・マエストロの新作『Human』(ECM 2021年)でのOfri Nehemyaのドラムは過去作に比べ非常に淡々と、入院患者がカレンダーに印を付けるかのごとく低体温な雰囲気でゆっくりと進んで行きます。それがとても心地よいので聴いていると困ってしまいます。ポップスのど真ん中ではポール・マッカートニーの一人多重録音企画アルバム『McCartney III』(MPL 2020年)に漂う不穏な空気、特にバスドラムの残響はJoep Beving作品と非常に近い気がしました。第一信に書かれていた赤帯さんからの「では、ニューエイジの最後の熱狂はいつあったのか、そのときに鳴っていた音はどのようなものであったか」という問いについてですが、ブームの終焉と次のブームのクロスフェードが途切れることなく常にニューエイジ・ミュージックは鳴り続けていると思います。現行ニューエイジ界において、音楽よりもトランスフォーマティブ・テクノロジーの方が盛り上がっているのかもしれないですが全く実態を知らないので何も書けませんでした。Joep Bevingの話題に戻ります。彼はアルバム『H・E・N・O・S・I・S』(Grammophon 2019年)についてこのように語っていました。

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きたやまおさむさんより上の世代の強さ


ニューエイジ・ミュージックから始まった往復書簡ですので最後もニューエイジ・ミュージックというかニューエイジ思想の話題を。坂崎幸之助さんがパーソナリティを務めるNACK 5の長寿番組『K’s Transsmission』年始の恒例ゲストはきたやまおさむさんです。今年はきたやまさんが邦訳を手がけたヒュー・プレイサー著『ぼく自身のノオト』新装版(創元社 2021年)の宣伝を兼ねて主演されました。『ぼく自身のノオト』アメリカ本国での初版は1970年。きたやまさんによる邦訳版発売が1976年。その後、中川吉晴さんによる邦訳で『わたしの知らないわたしへ 自分を生きるためのノート』(日本教文社 2001年)と改題され発売されました。「二十周年記念版への序文」はヒュー・プレイサーによるこのような回想から始まります。

1968年に、わたしはこの本を、かたちにしはじめました。そのときゲイルとわたしは、結婚してまだ四年目でした。わたしたちは、サンフランシスコと湾をへだてた大学町バークレーに住んでましたが、それはちょうど、フラワーチルドレンと呼ばれたヒッピーたちが、サンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区からバークレーのテレグラフ通り(訳注・カリフォルニア大学バークレー校の正門からのびる学生街)に移ってきて、自分たちの道を見失ったころでした。
人はみな「自分のしたいようにする」のを許されるべきだという彼らの理想、つまりおたがいを完全に受け入れるという理想は、たちまちのうちに崩れ去り、仲間のうちの怒りに転じて、熾烈な分派争いにエスカレートしていました。その争いが近くの八番街にまで飛び火してきたとき、わたしたちはコロラドで牧場の仕事を引き受けることにしました。1969年の夏、チャーマの近くの山に入って、わたしはビーバーのつくったダムをとり払い、ゲイルは小屋をきれいにしました。わたしは空いた時間に、この原稿をしあげ、なんのあてもなく、それを出版社に送りはじめました。(p.5 p.6)

ここから本編に入ると「直感」「心を解放」「本当の自分」「気づき(アウェアネス)」「スピリチュアル」等々の単語がこれでもかというほど出てきます。現在、書店の店頭に平積みされている多くの自己啓発本のお手本の一つが本書ではないかと思われます。以下、ラジオでのきたやまさんの発言の文字起こしです。もはやご自身の体験を語っているのか、ヒュー・プレイサーをなぞっているのか分からなくなってきます。

1960年代の終わりにさあ、僕たちはある挫折を経験したんだよね。で、その時に多くの者が旅に出た。さっきの「心の旅」もそうよ、ね。あるいは「青年は荒野をめざす」と言って荒野に出た者もいる。あるいは「去年よりずっと綺麗になった」って言って出発した者もいる。「木綿のハンカチーフ」振りながら出て行った者もいる、ね。「今日も倒れた旅人たちは生まれ変わって」とかっていう奴もいる、ね。そういう風にしてね、あの時1970年の頃すごいみんな旅に出たのよ、旅に出たのよ。でね、その時の旅の名前を自分探しの旅って言ったんだよみんな。ありましたでしょ。で、それで迷惑かけたりもしてる人もいるんだけれども、でも、自分を見つける旅にみんな出たんだよ。何と、フーテンの寅さんも旅に出たのは1968年か1969年だよ。みんなあの時に旅に出たんだよ。ね、で、その旅の一つにね、心の中への旅があったの。みんなだから心の中を探求する旅・・こんなこともうちょっと古い話なんだけどみなさんあんまり・・心の中にも宇宙があって、心の中にも空間があってさあ、私たちの心の中には本音というものが埋まっている心の世界がある。これを描き出そうというのが、まあこの本の狙いなんですよね。(『K’s Transsmission』2021年1月1日放送)

この発言はさすがミュージシャンっぽいというか下手クソなベース弾きとはいえ一応ミュージシャンなのですが。佐村河内守『交響曲第一番』(講談社 2007年)帯の推薦文を書いてしまった五木寛之の言葉を作詞家としてザ・フォーク・クルセダーズ最後のシングルに関わった人物とはいえためらうことなく引用したことには驚きました。きたやまさんが体験した挫折、具体的には1970年、京都府立医科大学コンサートでの学生たちのステージ占拠。翌1971年、第三回『全日本フォークジャンボリー』(通称:中津川フォークジャンボリー)ステージ上での観客たちの衝突を目撃したことについては『コブのない駱駝 きたやまおさむ「心」の軌跡』(岩波書店 2016年)の中に詳しく綴られています。この自伝におけるきたやまさんの音楽に対するあまりにも純粋過ぎる考えについては加藤和彦さん以上に心配になってしまいます。吉田拓郎さんが森進一さんに「襟裳岬」を書き下ろしたことにすらショックを受けたというのですから信じられない純粋さです。かといってチャートとは無関係なジャンル、例えばバルトーク、コダーイ、グレインジャー、小泉文夫さんのように辛抱強く、それこそ本来の意味での”フォーク”を研究をする訳でもないのですから、きたやまさんの物差しによる非常に曖昧で勝手なルールに思えます。きたやまさんがもう少し成熟した音楽リスナーであったならば晩年の加藤さんを助けることはできなくても、せめて的確なポイントで相づちを打つことくらいはできたはずです。『コブのない駱駝 きたやまおさむ「心」の軌跡』の気になる部分を挙げるとキリがないのですが以下引用します。

再びプロの音楽集団が売れそうなものを仕上げて、世の中に提供していくという再体制化の時代に移っていき、そのアンチとしての草の根からのフォークソングの思想も失われていってしまったように思います。着いたところが、やっぱり「何もない春」だった。私の心は、こんなはずではなかったという、どこか騙されたような気分でした。(p.144)
私がかつて作詞した「風」(1968年)という歌があります。旅に出た人間が、ふと振り返ってみても、ただ風が吹いているだけだったー。この歌に限らず、旅をモチーフにした日本の歌が昔からたくさんあります。(中略)ここで歌われているのは、いずれも「旅に出たけれど何も見つからなかった」という経験であり、それでも「また旅に出ていく」という経験です。(p.201)

はじだのりひこさんのメロディはまぎれもなく”プロ”だからこそ紡げたものです。「風」を聴く度に複雑な気持ちになります。いっそ口笛だけで良かったのに。さて、旅に出るには鉄道、車、船舶、飛行機、とにかく交通手段とお金が必須です。歩くにしても舗装された道が楽でしょう。きたやまさんが語った、もしくは歌詞に書いた旅の中にあるどこか夢見がちな、勝手に悩み、勝手に自己完結する奇妙で青臭い感覚とは対をなす旅・・というより鉄道による移動を生涯続けた方といえば宮脇俊三さんです。『増補版 時刻表昭和史』(角川文庫 1997年)にはプロを蔑視・軽視する純朴なフォーク青年の挫折などまるで比較にならないほどの挫折・・という書き方が正しいのかどうかも分からない長い、長い一日であったはずの1945年8月15日の時刻表と鉄道状況について淡々と記されています。痺れるほどの名文です。

こんなときでも汽車が走るのか、私は信じられない思いがしていた。
けれども、坂町行109列車は入ってきた。
いつもと同じ蒸気機関車が、動輪の間からホームに蒸気を吹きつけながら、何事もなかったかのように進入してきた。機関士も助士も、たしかに乗っていて、いつものように助役からタブレットの輪を受けとっていた。
機関士たちは天皇の放送を聞かなかったのだろうか、あの放送は全国民が聞かねばならなかったはずだが、と私は思った。
昭和ニ〇年八月十五日正午という、予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである。
汽車が平然と走っていることで、私のなかで止まっていた時間が、ふたたび動きはじめた。
私ははじめて乗る米坂線の車窓風景に見入っていた。(p.250)
昭和ニ〇年九月号の時刻表によれば、私が乗った米坂線の列車は今泉発13時57分の坂町行109列車であったように思われる。けれども、私は今泉発12時30分頃の列車に乗ったような気がしてならない。天皇の放送が終ると、待つほどもなく列車はやってきたのだ。(p.251)

きたやまさんがマスメディア、商業主義(ヒュー・プレイサーの著作が500万部売れていることについては特に問題ないそうです。勝手だなあ・・と思います)と同じくらい恐れているものが”空間と空洞”です。同じく『コブのない駱駝 きたやまおさむ「心」の軌跡』から引用します。

もともと人の心には、どこかに空間、あるいは空洞があるのだろうと思います。その空間(あるいは「間」といってもよいのかもしれませんが、それは「魔」でもあるのです)を埋めることができたとき、人は満足が得られるのでしょう。(中略)精神科医の対話による仕事とは、時に、この空しさを埋める言葉を発見するのをお手伝いすることなのだと思います。(p.149、p.151)

一方で”空間と空洞”に対して何ら恐怖心を抱くことなく肯定的にさえ捉えていた方がいらっしゃいます。音楽評論家、NHK-FM「名曲のたのしみ」パーソナリティ、水戸芸術館初代館長の吉田秀和さんです。

時間に対する感覚もそうだけれど、日本にいて特に感じるのは、日本人はだだっ広い空間を嫌うということね。広い場所、空き地があると、なんやかやもってきて埋めてしまう。僕はよく新橋で横須賀線を降りて地下鉄に乗るんですが、その途中に前は広場があったんです。ところが、そこに、いつの頃からか、売店ができ何ができ、どんどんどんどん埋まっていって、ただその場所がなくなるだけじゃない、飲食店や何かができるからいろんな匂いがするし、売るために絶えずだれかが怒鳴っているし、音と匂いと色ともので、ごっちゃになってる。日本人は狭い国でザワザワ生きているせいかどうか、ともかくガラーンとしたものに対する恐怖というのが特徴的にありますね。
このあいだもある人から聞いて僕は驚いたんだけど、東京駅で音楽会やギャラリーを始めたというんです。僕は、それをやった人に「どうしてそんなことしたの。ガランとしておけばよかったのに」って言ったら、やっぱりそれは「もったいない」って。(『広告批評』1988年7月号 インタビュー「音楽の退屈」より。)

きたやまさんが1946年生まれ、宮脇さんが1926年生まれ、吉田さんが1913年生まれです。”戦前/戦後”、自身の表現が世に出るまでの”早さ/遅さ”以上の大きな断層を感じます。僕にとっては精神科医であるきたやまさんが書かれた文章よりも宮脇さん、吉田さん、ここでは紹介できませんでしたが山下洋輔さん、相倉久人さん、山藤章二さん、橋本尚さん、瀬川昌久さん、伊福部昭さん、山本夏彦さん、殿山泰司さん、あらえびす(野村胡堂)さんが書かれた文章を読む方が穏やかな精神状態になることは確かです。赤帯さんにはバレバレだったと思いますが、往復書簡の中で音楽の聴き方、ものの見方の多くを参照させて頂いた片山社秀さんは吉田さんについて「旧制高校的教養主義という土俵の上に花咲いた究極の存在」と表現しています(河出書房新社 『文藝別冊 吉田秀和』特別インタビュー「吉田秀和、心に底流していた声を聴く」より)。

精神について多くを語る人間が音楽に近づくとロクなことにならない例として河合隼雄による約3分間の語り、テレマン、モーツァルト、ドップラー作品のフルート演奏が収録された地獄のようなCD『音と心』(MESON 2000年)を紹介します。谷川俊太郎、村上陽一郎がライナーを書くという周到な外堀の埋め方、ジャケット裏面に堂々と"24bit96kHz"と表記する神経の太さが恐ろしいです。影武者としてきちんとフルートを演奏されているのは佐々木真さん、水越典子さんのお二人。大変なご苦労があったと思われます。お疲れさまでした。

音楽リスナーになりたいな・音楽リスナーになれば


これにて僕からの返信はおしまいです。クリストファー・ラウズ『交響曲第5番』、ウィントン・マルサリス『Blues Symphony』、平井真美子さん作品についても色々と書く予定だったのですがどうにもまとまらなかったです。クラシック、東映特撮劇伴、現行演歌、ムードコーラスを聴くことがとても楽しい時期だった為、いとうせいこうさんの話題についてほぼ無風状態だったこと、すみませんでした。言葉を紡ぐ方が実際に発声した録音物の例はいくつかありますがジャン・コクトーのリズム感の方が僕にとって心地よかったというのも理由のひとつです。ごめんなさい。ちなみに野坂昭如さんのリズム感については"好き/嫌い"の次元を越えています。ASMRについては宮崎美子さんのYouTubeで体験しました。最高だったのでもっと早く知っていればと後悔しました。

ツイートやディスクレビューの際に小出しにしていたネタが尽きこれから膨大なインプットが必要になりました。音楽リスナーになるためのスタート地点に僕は立てたのか、それは分からないのですが往復書簡企画以前よりも音楽リスナーになりたいと強く願うようになったことは事実です。『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』(DU BOOKS 2020年)というカードゲーム的に音楽を取り扱うレア盤至上主義の書籍にうっかり関わってしまった後悔と反省から「コミュニケーションツールとして音楽を利用しすぎている」(©とぼけがおさん)方々に対して否定的な立場だったこと、お許しください。とは言え全音楽譜出版社から発売されているスコアの冒頭に収録されている諸井三郎さんによる博覧強記でありながら楽器演奏経験がない方にも読みやすいという細かい配慮がなされた名解説を読んだ後に『ニューエイジ~』を読むと苦く、辛い気持ちになることは事実です。

P-VINE『テクノ歌謡』シリーズ選者のひとりである山本ニューさんは再三「ミュージシャンはバカ」とおっしゃっています。ご存知の通り2020年以降、著名な電子音楽家の方々が流行病の情報収集や「真実」を知ることにすっかり夢中です。百歩譲って「真実」に夢中になることについては構わないのですが情報を得るために足とお金を使わずTwitterとYouTubeに頼り切りという点があまりにも貧相で泣けてきます。赤帯さん、そして鯔さんに勝手なお願いなのですが僕がこの先「真実」の落とし穴にウッカリ落ちそうになったら思いっきりブン殴ってでも引っ張り上げて頂けたらありがたいです。ご面倒おかけして申し訳ありませんが何卒よろしくお願い致します。

五官のうちでも、視覚をもっとも信用したということ、あらゆる禍根はこれに尽きるのではないでしょうか。
それにはある程度の必然性はある。触覚よりも視覚のほうが、遠い現実を把握でき、支配できるでしょう。が、視覚によって把握しえた現実が、触覚によって把握している現実とおなじ程度に、われわれのものになっているかどうかは疑問だ。視覚においては、われわれは安易に ー というのは、ほとんど行動なしに、まったく受動的に ー 現実をとらえうるというだけの話にすぎません。それがあまりに安易に可能であるため、われわれ身近な現実を触知する習慣を失ってしまいました ー このマイナスに比べれば、遠くの事物を自分のものにしえたと錯覚するプラスは、はたして喜ぶべきことであるかどうか。ひとはよく見うるために ー ただ見のがしたくないばかりに ー 近接視覚を抛棄して遠隔視覚に頼るようになったのではないか。そしてひとびとは、自分が対象を見うることによってのみ、自己の勝利をはじめて確信するような習慣を身につけてしまったのです。(『藝術とは何か』 福田恆存 中公文庫 1977年 p.94 p.95)

“全力全開”


2021年3月7日(日曜日)9時30分からテレビ朝日系で放送が始まった『機界戦隊ゼンカイジャー』劇伴(これに限ってはOSTではなく劇伴と表記したいです)を大石憲一郎さんとともに務める御年95歳の渡辺宙明さんは制作発表会宛てのビデオメッセージでこのようにおっしゃっていました。

「皆さん、BGMは、ボヤッと聴かないで、集中してBGMも聴いてくださることを希望致します」



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