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好きなことやって生きてきた男の残りの人生の生き方 〜今までやってきた好きなこと〜 社会人編①

専門学校を卒業して、社会人になった。
勤めたのは大手スーパーのJuscoってところで、今は日本一の大規模店になったイオンの前身だ。

もちろんデザインする事が好きで、デザイナー専門学校を卒業したので、広告や宣伝のおしゃれなデザインをできるんだろうなと喜んでた。
広告宣伝のできる販促課に行くのだから...

ところが、入ってすぐの入社後説明会では、新入社員は先ず売り場で研修があるという。
売るということはどういう場所でどのようにして行われているかを体験させるという事のようだ。

ただ僕はその時、売り場に出るのが嫌で、売り場以外のセクションを無理やり選んだ。
そこが、誰も行きたがらない商品管理課だった。
その行動にその時の上司は驚いてた。
自分から望んで行きたいというのは相当珍しいらしかった。

兵庫県の川西市の駅前にあるJusco川西店の商品管理課が入社すぐの配属先になった。

商品管理課が受け持つ仕事は
早朝の荷受け
入荷品のチェックと入荷数チェック
入荷品を台車に乗せて各フロアに運ぶ
場合によっては品出し
棚卸しのメイン担当
等々

ラグビーをやってたからか骨太でガタイがいい僕には体験するなら、売り場での接客よりこの商品管理課が馴染むと思った。

それにしても、ペンとか定規とかとはまったく
無縁(当時まだパソコンが無いので、印刷物の版下は全て手書きだった)
の商品管理課で働くとは全く想像していなかった。

朝は普通の社員よりかなり早く出社して
朝の生鮮品の荷受けをした。
冷凍トラックから魚のケースを下ろしたり、
野菜やパンの荷受けをする。

昼間は次々と訪れるトラックからカゴ車を下ろすが、これがとにかく重い。
そしてとにかく、ひっきりなしにトラックはやってくる。

でも、この仕事嫌いじゃなかった。
ガテン系のトラックの運転手や荷受け場のガードマンの人ともとても仲良しになった。 
とにかく、こういう野性味あふれる人達の話しは面白くてたまらなかった。
重い荷物運びの日々で筋力も体力もついた。

慣れてきた頃に販促課に配属になったが、
「動」の仕事からいきなり「静」の仕事で、身体がおかしくなりそうだった。最初に任された仕事が
売り場のPOP(プライスカード)書きだった。

手書きで太マーカーで描くのだが、描き方が決まっていて何も面白くない。僕が専攻してたグラフィックデザインとはかけ離れた単調な作業の繰り返しだった。


それを数ヶ月続けて、そろそろ嫌になってきた頃に、チラシの版下を先輩に教えてもらいながら描く作業をやったが、これまた前の版下の真似を延々続ける作業で、「ザ・バーゲン」や「創業祭」とか「特売市」とかタイトルも決まってるし描き方も決まってる。
少しでもデザインにオリジナリティを出そうものなら、先輩から怒られる。
変えちゃダメなのだ。

仕方なく面白くないその作業を嫌々ながら、1年くらい続けた。

ある日、上司との面談があって、要望を伝える事にした。
「こんな同じ事の繰り返しのためにデザインを勉強してきたんじゃない」「オリジナルのデザインをしたい」と、
それに対する答えは、「じゃあうちの販促課では、お前の仕事は無い」と言われた。

このまま販促課に残るか、売り場に配置転換かのどちらかを選べと言われ、仕方なくどちらかというと自分が好きな家電売り場を希望した。

この時、親にも相談したが、親はせっかくデザイン学校を卒業したのだから、我慢して販促課に居続けたらいいのにと言っていたが、嫌な仕事を続けるのは精神的に無理だった。

1ヶ月後、僕は家電売り場に立っていた。

今思えばこの時が、好きで始めたデザインという職業路線からの分岐点に来た時だった。

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