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これは私の1週間前に起きた本当の話である。
(少し長いけど、暇な方はぜひ)

この見た目だからか、私は昔から周りの人に甘やかされて育ってそうと沢山言われてきた。周りをそれは悪い意味ではなく、自分のしたいことをしたいと言えるような環境だと言う。果たして本当はどうだろうか。題名と文章の1文目を呼んだら分かるだろう。決して甘えて生きてきたとは言えない。遡ること2ヶ月前、母親は更年期障害、はたまた躁鬱になり、仕事に行くことが出来なくなった。年齢は控えるが、この歳なら普通は小遣い稼ぎ程度に働いて、他の時間は孫の面倒を見たりするのだろう。しかし私の母親はこの歳にしてまだ私という娘がいる。社会保険に入らなければ、ちゃんと週5で働かなければ、そう意識をすればするほど厳しい仕事になっていき、しまいには仕事先の何十個も下の人から性格はいいのに仕事はできないんだね、可哀想。と言われたらしい。2ヶ月前、母親は糸が切れ、今に至る。
父親も私も、このことに対し責めることはなかったが、父親にはもしかしたら大学を辞める羽目になるかもしれないと言われた。私はその時、精神的にキツく、退学ができるならこれ以上の幸せは無いと思っていた。父親には今月中(5月中)にでも退学手続きをしようと言うと、今すぐには退学はしない、最後まで粘ると言われた。私はその時、奈落の底に落とされたような感覚になり、自暴自棄になっていった。
1週間前、なんでもいい。と答えがちな私に対し父親は必要以上にキレてきた。父親は怖い。本気でキレると、リモコンで頭を殴ってきたり、ビールを頭からかけてきたりする人だ。そんな父親を怒らせたのだ。しかし私もとうに限界は来ていた。イスを投げようとしてきた父親の手を取り、私は父親に向かってイスを投げた。そこからはありえないくらいの殴り合い、大声で喧嘩をしていた。ものの5分も無かっただろう。隣の家の人から、何時だと思ってるんだうるさい。とキレられたが、それにすら腹が立ってベランダから人の家庭事情知らないくせにしゃしゃりでんなクソ(めっちゃ言葉悪い)と叫んだ。
喧嘩後はしっかり話し合った。私が今どんだけ辛いのか、母親はどんだけ辛いのか、父親はどう思っているのか。しかし私はその時ですら父親の言葉を考えていた。どんなことを言われたかは忘れたが、私には「お前はこの世にいても意味が無い」そう聞こえていた。
私はこの世にいても意味が無いのだ。今までの人生に意味があったとは思えない、自分のことよりも私を考えてくれている母親すら不幸せにしてしまう、とんだ親不孝な娘だ、今母親が鬱になっているのも、今お金が苦しいのも、今兄弟と連絡が取れないのも、私さえいなければない話だったんだ。私の頭にはこの言葉が1日中流れていた。
その夜、私は自分の部屋に引きこもり遺書を書いた。涙が出るとかそんな綺麗な話はなく、やっと人に迷惑をかけれずに済む、その一心だった。遺書を書き終わり、ひっそりとリビングに行って包丁を取り出し部屋に戻る。いかに素早く死ねるのか。変に生きて、病院にいって治療するなんてことがあれば、これこそ親不孝だ。死ぬならちゃんと死にたい。深夜1時半、包丁で自殺 簡単に と調べ、包丁は上にした方がいいことを学び、あとは刺す部位を調べた。しかし心臓は骨に守られているため死にずらいとのこと。簡単に死ぬのが難しいことを知り、私は死ぬことすら出来ないんだと涙を流した。
物は試し、1回この包丁がどれくらい切れるのか試してみようと左腕で練習するが、全然切れなかった。部屋にあったハサミですら切れない。かれこれ30分試したが血すら出なかった。もういい、明日生きるのも嫌だけれど、明日は朝からバイトのため、寝ることにした。
このことから1週間経った今、母親は無事に鬱から脱却し、また社会に出ている。私は母親となるべく過ごせる時間を多く取り、何気ない愚痴や仕事先の話を引き出すようにしている。私の愚痴なんてどうでもいい、母親だけ元気だったらなんでもいい。母親が笑顔でいるならそれでいい。この左腕の痕と共に、母親の鬱が消えればそれでいい。

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