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日々是ぼんやり

農道を走る軽バスの窓から吹き込む風は
汗ばんだ顔を撫でて、心地よさを運んでくれる。
青々とした田んぼの上を風の道が流れ、土の匂いと草の匂いの混ざった懐かしい刺激が鼻の奥をくすぐる。
みちのくの牧歌的な景色を車窓からぼんやり眺めるのが私は大好きだ。
夏至を迎え日の長くなった夕暮れ時は、特に風が心地よい。

ここ数年、私と相方さんは長年放置されていた梅畑の手入れをしてあそんでいる。
その梅の木は祖母が20年以上前に祖父の米寿のお祝いにと植えたものだそうだ。

祖父母は亡くなり、梅畑の手入れをする者もなく、何年も放置されるうちに身長を超えるほどのクマザサや、そこらじゅうに蔓延るバラ、カナムグラにすっかり覆われてしまった。
哀れな梅の木ではあったが、それでも健気に毎年実をつけるので、私は梅干しにしたりジャムにしたり、酵素ジュースを作ったりと、梅仕事を楽しんだ。

ある日、明け方近くに夢を見た。
「梅の木が可哀想なの」と祖母が私に言うのだ。
目が覚めてからもその声が脳裏から離れないので、相方さんに夢の話をした。

そして、梅畑再生プロジェクトが始まった。

最初のうちは刈っても刈ってもニョキニョキ伸びるクマザサに疲労困憊の私たちであったが、諦めずに刈っているとある程度勢いが落ちてきた。そのタイミングで植生が変わるように工夫しながら草を刈った。

昔から祖父母を知る農家のおじさんは梅の木を植えるのを手伝ったそうで、全部で100本植えたと言っていた。
梅畑の全容がようやくわかるようになり、数えてみると生き残りは73本だった。

近頃はシロツメクサやヨモギ、芝やチドメクサ、スミレなど草丈の低い可愛らしい草たちがカバープラントの役目を果たしてくれている。
それまで藪に飲まれ日の当たらなかったヒョロヒョロの梅の木も、ここ数年見違えるほどに立派になった。
梅の木を手入れをし始めてから、毎年美しく花を咲かせている光景を近所の老人がとても楽しみにしているという。
そんな嬉しい話を聞くとますます梅畑に愛着が湧く。

彼女に出会ったのは、そんな梅畑での作業を終えた帰り道でのことだった。
農道の片隅でポツンと座っていた彼女はそこで何かを待っているように見えた。

耳が大きく茶トラと鯖トラの混ざった綺麗な毛並みの三毛猫で、おそらく生後2ヶ月ちょっとという感じである。

さほど車の往来は激しくない道ではあるが、アスファルトの上では危険だと、相方さんは車を降りて仔猫を道路下の草むらに移動させた。

私も車から降りてその様子を見守っていたのだが「ミャーミャー」と鳴きながらこちらに歩いてこようとするので連れて帰りたい衝動に駆られた。しかし近くに親猫がいるだろうと後ろ髪を引かれる思いでその場を離れた。

猫好きの私たちは、案の定、一晩中彼女のことが気になって仕方なかった。

翌朝、梅畑の作業に向かうため同じ道を通ると、彼女は前日と同じ農道の脇に倒れていた。「死んでる・・・」私は連れて帰らなかったことを深く悔やんだ。と、その時、仔猫の小さな手がほんの微かに動いた。
彼女は生きてた。

車から飛び降り仔猫を間近で見ると身体中に小さな蟻が群がり、道路に接する顔の右半分は涙とよだれでグチャグチャだった。そっと抱き上げるとやせ細った身体は水気のないスポンジのように軽かった。

すぐさま自宅近くの獣医さんに駆け込むと「ほとんど死んでます。持ち直したとしても脳に障害が残る可能性がありますけど。どうしますか?」と。
私は「うちの子にします。可能な限りの治療をお願いします!」少しの躊躇いもなく答えた。仔猫の生命力はとても強い。前日の彼女の姿を思い出した。私は確信していた。
「この子は絶対に大丈夫!」

獣医さんは、「熱中症と脱水症状がひどいので一晩持たないかもしれない。ひとまず預かって様子を見ます」と、やせ細った哀れな死にかけの仔猫の細い首にようやく点滴の針を刺した。

翌朝、獣医さんから連絡が来た。
「会いに来ますか?」
どうやら死線をくぐりゆけたようだ。

すぐさま病院に行き彼女と面会した。
初めは診察台の上で痛々しい姿で横たわっていたのだが、私たちを見るとヨタヨタと歩き出し、そして力強い声で鳴き出した。
彼女は必死に生きようとしていた。
先生は「ごはんも少し食べましたよ」と満面の笑みだった。もう大丈夫。

「良かった!」と胸を撫で下ろすも、少し問題があった。

相方さんと私はキャンプ場で仕事をしている。
翌日から泊まりで仕事だ。
獣医さんに無理を言って次の休みまで面倒を見てもらうことにした。
帰り際に、仔猫の名前を聞かれたのだが何も考えていなかった。咄嗟に「ミーヤン」と答えた。
カルテには「ミーヤンちゃん」と書き込まれた。

仕事中も仔猫のことが頭から離れない。
あの時、「この子は絶対大丈夫」と思った確信はグラグラと揺れていた。
命は救えたものの、脳に障害が残った場合仔猫は果たして幸せなのだろうか。
余計な手助けをしてしまったのではないか。
親猫は近くにいなかったが、彼女は一体どこから来たのだろうか。
捨てられたのか、迷子なのか。
何もわからない。
考えても仕方がない。
彼女は生きている。
どんな障害が残ったとしても彼女を守ってあげよう。覚悟は決まった。

そして3日後、病院へお迎えに行った。
彼女は相変わらずヨタヨタとしつつも以前よりしっかりとした面持ちだ。

爛れた瞼につける薬をもらった後、恐る恐る請求書を見ると驚くほど安い金額が記されていた。獣医さんの話によれば保護猫価格というものがあるらしい。

一命を取り留めたとはいえ、数日前までほとんど死んでいた子猫にどうやってお世話をしたら良いのか全くわからなかったが、私たちには多少の自然療法の知識と経験があったのであまり不安はなかった。

ミーヤンは、我が家に着くと初めはウロウロとあちこちの匂いを嗅いで回ったが、しばらくすると落ち着いた様子でそばに戻ってきた。相方さんはミーヤンのために買ってきたおもちゃで少し遊ばせた。
病院でいただいたサンプルの猫缶にMTCオイルを数滴垂らし、飲み水は湧水を与えた。トイレもすぐに覚えた。まだ小さいので毛繕いをしてやる。ニガリを数滴加えたぬるま湯をガーゼに浸し顔と身体を拭いて、病院でもらった薬をほんの少し付けた。

一連の儀式を終えるとミーヤンはぐっすりと眠った。


翌日、突然ミーヤンに変化があった。
てんかんの発作のようにひきつけを起こしたのだ。最初は30分に一度の頻度が、15分10分5分とどんどん間隔が狭くなりその度に瞳孔の開ききった真っ黒な目で何かを追うように天井を見上げ、涙を溜めながらニャーニャーニャーと3回訴えるように鳴くのだ。
それはまるで死の世界を恐れているような、死線を越える際に出たアドレナリンのフラッシュバックが起きたような、とても不安な鳴き方だった。私たちはミーヤンにCBDを試した。

CBDの効果があったのかどうかはわからないが、その後しばらくは眠ってくれた。

心配だったので、病院に行き先生に発作の事を知らせると「なぜ早く来なかったのか」と軽く叱られた。
発作を抑える薬をもらい帰宅。

しかし、あれ以降一度も発作は起きていない。
薬は使わずに済んだ。
CBDが効いたのかな?

すっかり病院臭くなっていたのと、顔半分が涙と目脂で固まっていたので、ぬるめのお湯に数滴ニガリを垂らしたお風呂で顔と身体を清め、病院でもらった薬を少しだけつけた。お風呂は嫌がらずむしろ気持ちよさそうにしていた。
体が温まったのかその後、ひたすら眠り続けた。

眠っている間にトイレの掃除をしようとしたらウ◯チに白いモノが混ざっている。

翌日、再度病院へ行き、虫下の薬を投与される。

自宅で4日間過ごした後、私たちはミーヤンと一緒にキャンプ場へ出勤した。
私たちの心配を他所に、ミーヤンは移動中の車内ではゲージの中で眠り、キャンプ場ではテントの中でおもちゃで遊び、トイレもちゃんと知っていた。私たちが仕事でいなくなると自分からゲージの中に入って大人しく眠っていた。まるで自分のお部屋だと思っているようだった。

脳に障害が残るどころか
むしろ普通の仔猫よりも賢いように思える。


テントの中で2人と一匹、一緒に過ごしているとなんだか本当に娘といるようで愛おしくてたまらない。しかし、トイレの匂いとカリカリの匂いがテントに充満して、これはいただけない。

というわけで、トイレの砂を三沢にある青森みらいペレットさんで購入してみると、これがとても良い。
原料は青森県産のスギとヒバの間伐材
で、再生廃油を利用して作られている。
固まる砂と違って、ペレットは濡れると崩れる仕組み。匂いは全く気にならない。

そしてカリカリ。
金沢港で水揚げされた新鮮な魚と国産の安全な材料で、ヒトが食べられるクオリティのカリカリ。本気で犬や猫のことを考えて商品を開発なさっている「犬猫生活」というペットフードメーカーさんを見つけた。
犬猫生活さんは、日本の犬猫殺処分ゼロを目指して収益の20%を活動資金に充てている。
HPの文章からも犬猫への思いが溢れ、とても好感が持てる。
そして、このカリカリを食べてみるとなかなか美味い。素朴なおつまみという感じだ。
キャットフードにありがちな強すぎる匂いもない。ミーヤンも気に入ったようで、皿に出すとすぐに食べ切ってしまう為、匂いが充満して臭くなることもない。
なるべく自然なものを食べさせてあげたいと思っていたのでとても満足している。
値段はそれなりに高いが、意識の高い会社へ一票投じる気持ちで定期購買した。

今後こういう会社が増えることを期待する。

ミーヤンに出会ってからもう2ヶ月以上になる。あれからすっかり元気になり、今ではキャンプ場を駆け回り、木登りも上手になった。キャンプ場スタッフにも慣れて私たちのサイトはまるで猫カフェのように賑わった。
毛繕いも上手になり良い匂いがしている。
毛艶も良く運動神経もすこぶる良い。
興奮すると止まらなくなることはあるが、これは子ども特有の行動と思って間違いない。
脳への障害も心配なさそうだ。

さて、こんな健康そのものの仔猫に予防接種は必要なのだろうか?と最近は思い悩む。

ミーヤンがお世話になった病院で、生後4ヶ月になったら年一回予防接種を打つと聞いた時は思わず仰天した。

そもそも猫にワクチンを打つようになったのはいつからなのだろう?
子どもの頃から猫を飼っていた私だが、避妊手術やキャットファイトの治療以外、病院に連れて行ったことはなかった。

病気を防ぐのはワクチンではなく健康な食生活と適度の運動だと思うのだが。
それでも病気になったとしたらそれは「素質と運」が足りなかったということだと考えていた。

タイの山奥に暮らしていた頃に仲良くなった猫たちは、とても健康で賢い。
「素質と運」に恵まれたしなやかな精鋭たちだ。

この厳しいジャングルでは、自分で餌を捕まえることのできない弱い子や鈍い子はあっという間に命を落とすことになる。
さらには毒蛇や毒虫などがそこらじゅうに潜んでいる。

生き物にとって「素質と運」というのが長生きの鍵だと思う。

毎日がサバイバルのタイの猫と、ミーヤンを比べるのも可笑しな話だが、見事に生還したミーヤンもまた「素質と運」に恵まれているような気がするのだ。

果たしてワクチンを打つというのはヒトの都合以外何があるというのだろう。

また、ペットとして一緒に暮らす以上、避妊手術は現代の常識なのだろう。とは、おもうが。
これもまた、ヒトの都合。

実際、ミーヤンが病気になったり、次々と子供を産んだら困ったことになるのはわかっているのだが、どうも気の毒に感じる。

「獣医さんにすがって助けてもらったくせに。つべこべ言わずに言わずにワクチン打って避妊してもらえ!」と世間様に叱られそうだが、もう少しそのままのミーヤンを愛でていたいのだ。

梅畑と良い、ミーヤンと良い
弱った彼らが元気を取り戻すのを見る時
私たちも元気をもらえる。
そんな時、いつも心から幸せを感じる。





mia

道端に横たわる
仔猫のmia
その瞼に
その鼓膜に
宇宙が広がってゆきそうな
夏至の明後日のことでした

天使はそっと君の手を握り
一緒にいるよと微笑んだ

君はどこからきたの
仔猫のmia
その瞳に
その命に
ヒカリが広がってゆきそうな
夏至の明後日のことでした

天使はそっと君の手を離し
遊んでおいでと飛んでった

あの日僕らが
拾ったちいさな命
その輝きは
とてもとても儚くて
だけどとても眩しくて

mia mia
大切なきみが
mia mia
いつでも安心できるように
mia mia
ぼくらはいつでも
mia mia
笑っているよ








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