平成初期
恥の多い人生でした。というのは太宰だったか安吾だったか。
30年近く前の就職活動では就職するのを潔くとせず、なんとなく早めに決まったSIerに決めて夏中沖縄でリゾートバイトにかまけていた。当時はまだバブルの残滓に浸れる頃で、10月1日の内定式は帝国ホテル。大阪から支給された新幹線チケットで日帰り。沖縄帰りのバカみたいな黒い肌で参加したが、未来の同期からは白い目で見られていたようだ。
就活。今でこそシビアなものなようだが、自分の頃はいかに良い目にまみえるかを競っていたところもある。自分も神戸でリクルーターにごちそうになったことがあったりした。そこは辞退したけど。
そんな感じで入社した会社は新人研修も充実していて全くの素人の自分でさえもしっかり教育してくれたと、今でも感謝はしている。流山の独身寮も快適で出される食事も美味しかった。寮の管理人のおじいいちゃんにも気に入られ、よく飲みに連れて行ってもらった。おじいちゃんはサブちゃんのカラオケをよく歌っていたな。まだ生きているのだろうか。
なんだかんだその寮の寮長も努めながらも2年ぐらいで寮を出て横浜で一人暮らしをはじめ、そのまま会社も辞めてしまった。
若かった。ゆえに野心もあったし、破滅願望らしきこともあった。要はロックだった。若かった。ピチカートファイブだってフリッパーズ・ギターだって、そのキラキラした音楽の根っこには深い闇があったし、だからこそ愛着もしたし。
いい時代を過ごせたと思う。平成初期。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?