ピース・ターナー【アイルランド随一不遇のシンガーソングライター】
1987年にソロデビューして以来、アルバムを10枚以上発表。デビューアルバムをプロデュースしたのは現代音楽の巨匠フィリップ・グラス。ホットプレスやアイリッシュタイムズなどの地元メディアには絶賛され、アイリッシュフォーク界の重鎮クリスティ・ムーアがその曲をカバーしたことがある……と書くと、それなりに人気のあるミュージシャンのように思われますが、ツイッターのフォロワー数は2009年3月に登録しているのに、2015年8月現在で600人強しかいません。これだけで彼がどれだけ不遇か偲ばれるというものです(2024年4月現在861人)。
母親がレコード店を経営し、トラディショナルバンドのリーダーだったという環境で育ったことから、ターナーは、7、8歳の頃には既にトラディショナルバンドやブラスバンドの一員として、人前で演奏していました。10代半ばにはショウバンドに加わり、ライブやレコーディングを経験。そこで出会ったのが同郷のラリー・キーワンでした。
ラリー・キーワン(写真右)は後にBlack 47というケルト音楽とヒッポホップを融合させた音楽をやるバンドを結成して、それなりに成功を収めた人物です。ターナーと彼は70年代前半にAftermathというバンドを結成してシングルを一枚発表した後、活動の拠点をニューヨークに移し、Turner & Kirwin Of Wexfordを結成してアイリッシュパブやクラブで演奏して回るようになります。その音楽性はプログレとニューウェーヴを融合させたようなものでした。
やがてバンドはシングルを発表するようになり、その中にはブリティッシュフォークリバイバルの立役者イアン・マッコールの「Traveling People」のカバーもありました。
そして2人は前のバンドを発展的解消してThe Major Thinkersを結成し、1980年、ポリドールからアルバムを発表します。時代はポスト・パンクですね。
時に2人はCopernicusという叫ぶ詩人の会@ニューヨークとも言うべきバンドでも活動していました。が、商業的成功を収めることができなかったからか、これで2人はバンドを解散し、ターナーはソロ活動に入ります。
これはソロ活動を始めた当時の貴重な映像。歌っているのはThe Major Thinkersの曲。
1986年、ようやくターナーは、Beggers Banquetというゲイリー・ニューマンやBauhausやThe Charlatansも所属していたるロンドンの有名(らしい)インディーズレーベルからシングルを発表します。当時彼の音楽性は「The ByrdsやThe Beach BoysやThe Whoのようなストレートなロックがケルト、フォーク、ジャズ、テクノに出会った」と評されていたそうです。
1987年の1stアルバム『It's Only A Long Way Across』の曲。コメント欄の「なぜ君はファッキンU2みたいにビッグになれないんだい?」という言葉が泣かせます。またコメント欄によるとThe Stranglersの前座をやっていたようです。ちなみにコメント欄に本人が登場。
1990年の2ndアルバム『The Sky and The Ground』の曲。コメント欄の「ポール・マッカートニーみたい」が言い得て妙。ローリングストーン誌からは4ツ星評価を頂いております。
1991年3rdアルバム『Now is Heaven』の曲。が、やはり商業的成功に結びつかなかったのが災いしたのか、ここでBeggers Banquetから契約を切られてしまいます。
1995年には『Snakes and Ladders』というB級ラブコメ映画のサントラを担当。
ターナーがアルバムを出せるようになったのは、Beggers Banquetから切られて7年後からで、これは2006年「The Boy to Be With」。同郷のブルーズマン・ロリー・ギャラガーに捧げた曲です。
2008年「Catch a Wave」の曲。PVが非常に面白いです。
これは Sun Palaceというあまり売れてなさそうな女性フォークシンガーとのデュエット曲。
2012年「Songs for a Very Small OrchestRa」の曲。フィリップ・グラスとの共演です。
残念なことにアンディ・ホワイトといい、デヴィッド・キットといい、豊田道倫といい、IQの高いシンガーソングライターは売れない運命にあるのかもしれませんね。
何はともあれ、彼の前途に光あれ。
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