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導天和はじめます

第一期 DAO
第二期 dao ten hou

関係各位
いつも応援してくださってありがとうございます。

第三期 導天和
はじめます

このバンドは常に進化を続けます。
DAOからdao ten houへのアップデートでは
アンダーグラウンドからオーバーグラウンドへの挑戦、音楽ジャンルのより深い理解、ドラムレスバンドとしてのトラック最適化およびエレクトロ化、内向きのエネルギーを外向きに、平和の中で音楽を、がテーマでした。

個人的なことを言うと、陰鬱とした表現や環境への絶望感からの離脱もあります。

キックオフは功を奏し、第一期では作り得なかった作風の楽曲が生まれたり、以前ではまず当てられなかったであろうバンドとご一緒できたりと、素晴らしい経験をさせていただきました。

そこからほどなくして、私はある鈍りを感じます。
音楽への向き合い方までが、ある意味、遊び仕事のような、確実に表現者としてはワンランクダウンした感覚がありました。

私は気づきを得ました。発信者と表現者は大きく違うということです。dao ten houスタート時は発信者の性質が強かったように思えます。
主語が大きいことは重々承知の上発言しますが、発信者は多くの人が受け取れるようにデザインを整えます。
より聞いてくれる人を増やそうと、受け入れられようと、アウトプットするもののステータスをあえて整合化ないしは平均化しておりました。

DAOにあってdao ten houにはないもの。
それは必死が故に尖り鈍く光る異質感。
表現者としてはこちらのほうが圧倒的に強いです。
理解不能なものに人は美しさを見ることがあります。
芸術とはそういうものです。
なんかこれ、DAO期にMCで言ったことあります。
これはアップデートの際、伝わりづらいものとしてあえて切り離したものではあります。

また、メンタリティ部分では、バンドマン然とした振る舞いが嫌でした。しかし私の根っこは自分が思うよりバンドマンだったみたいで。

いろんな「あえて切った」が実は大事なものだった?
これはライブ回数を重ねるにつれ浮き彫りとなってしまった心境でした。
商売は芸術を鈍らせるという言葉がありますが、この言葉がチラつくことが増えました。

チカラ抜いて、遊びながらバンドをやろうとか言ってたこともありましたが、今ではその言葉を激しく後悔してます。


2023年夏ごろでしょうか。
私は表現者であるべく、再び神を目指そうと決意しました。
わざわざメンバーに宣言しました。

そこからライブのたびに第二期の曲をベースに第一期の風合いを織り交ぜるようになりました。

同年の冬を迎える頃、気づけばもう第二期スタート時のdao ten houとは別物の姿になりました。

命名というものは、文字の通り、命に名前をつけます。
現在の姿を表す必要があったのです。
第二期を経験し、ブラッシュアップを経て、第一期のままでは見ることのできなかった世界を覗き、紆余曲折を経て、気づけば別物になった今の姿。名前も表現の一部です。その姿を表すのはdao ten houではないという感覚がありました。漢字がピンときました。

導天和を始めます。
読み方はそのままダオテンホウです。

第二期では確実に音楽は深く、エネルギーは外向きになりました。
今、第一期と第二期が統合します。

音楽シーンとは、その行為に営利があろうとなかろうと、表現し続ける者達の集合体です。このシーンにおいて、全霊で表現する者でありたいです。

より深く、より異質に、より本質に。
妖しく鈍く光ります。

導天和をよろしくお願いします!

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